第7話

 東を向いた窓から日が差し込み、陰鬱とした小屋を照らす。壁の焦げ茶の板材には染みが斑点となって付着し、年季の深さが窺える。その床には、子供の工作のような5つの土人形が壁に凭れ掛かっていた。人の形を精巧に模ってはいないものの、五体が備わった彼らは、胸に青い箱を露わにしている。

 日光が箱に差し掛かかり熱が加えられると、それは目覚めるように青白く励起する。土人形は顔を上げ、箱を土の体の中に押し込んだ。

 彼らが真っ先に見たのは、床に倒れた主人だった。横にうずくまり、顔色は優れない。一回り大きなゴーレムは他の4体に号令をかけ、音も振動もなく瞬時に意思疎通を行う。知性に乏しい彼らでも学習はする。人間とはベッドの上で休息する生き物であり、固い床の上で眠るのは一般的ではない。これが数回目となると、そう判断する速度も増していた。

 ぞろぞろと集まったゴーレムはフロネーの周りを囲み、息を合わせて身体をゆすり始めた。人間の横幅にも満たない身長で、痩せているとはいえ成人の肉体を動かすのは難しい。それでも、精確なタイミングで足並みをそろえるならば不可能ではなかった。

 起きる気配がないと察知した1体のゴーレムは、フロネーの正面にゴーレムを集って5体同時に押した。

 フロネーが寝返りするように仰向けになると、抱えられていた青い籠手が床に叩きつけられた。防具にしては薄く、男性が着けるには細いその筒が、衝撃に震える。間延びした金属の反響は、眠りの底に居た彼女を覚醒させた。

 フロネーは唐突に起き上がった。彼女の胸に乗り上げていたゴーレムはしがみつく間もなく、床に打ち付けられる。律されていた人型は半壊し、あえなく湿り気のある土の姿に還っていく。その様子をはっきりしない視界で見届けたフロネーは、机の機械時計に手を伸ばした。金属製のそれは、明らかにこの島の物ではなかった。

「もうこんな時間……。そろそろ来ちゃうな」

 丁度、玄関からノックが3回、続いて7回鳴った。フロネーはそれだけで、相手はイポスティだと確信した。

「片づけといて」

 1体少なくなったゴーレム達に指示して、彼女は股の間に盛り上がった土から青く光る箱を懐に仕舞った。

「すみません、遅くなりました」

 飛び起きた反動か、フロネーの頬には紅の毛髪が貼りつき、異常な量の脂汗が膜になるほどだだ漏れている。

「具合、悪いのか」

 昨日は王族への敵意に眼を滾らせていた老人も、弟子の不調を気にせずにはいられない。

「ちょっと運動してたんです。それで頭がくらくらしていて」

 イポスティの視線は美術品の真贋を見定めるかのごとく、じっくりと彼女の身体を嘗め回す。フロネーは作り出した笑顔の裏で、ひたむきに嘔吐感を無視しようと努めた。

 彼女は師匠を心配させたくはなかった。その一心で、当たり障りのない綺麗な自分を演じている。養父であっても、フロネーにとってイポスティは唯一の家族だ。

「お主は錬金術にとって希望の星なのだ。心労をかけさせないでおくれ」

 フロネーは胸を撫で下ろすと、荒れた胃がピリピリ痛んだ。

「さぁ、頼んでいたアレを貰えるかな」

 イポスティの来訪はこのためだった。彼がフロネーに一任していた至上の研究は、既に完成を迎えている。しかし、彼女にはためらいがあった。

「どうした? まだ出せぬか?」

「いえ、完成はしております……」

 フロネーは回らない頭で考えた。しかし、論理を組み立てようとすればたちまちに瓦解し、まともな思考ができない。仕方なく彼女は合図を出した。すると、4体のゴーレムがとことこと球状の物体を運んできた。瑕疵一つないそれは、特大の水晶玉のようでもあり、生物の心臓のように真っ赤に染まってもいた。

 名を、『永遠の生命フィロソフォス・コア』。純粋な生命の循環を体現する、人体を生成するよりも高度な技術。霧に閉ざされたこの島の理の範疇にあるが、この惑星に在ってはならないもの。それは格の高い錬金術師でないと手を出すことも憚られる、細大の難関だった。

「素晴らしい。これぞシンフォレシアの錬金術の集大成。無限の命の具現化を達成したのか」

 イポスティはすぐさま、待機させていた長身のゴーレムを呼び寄せた。ゴーレムは指のない腕でコアを抱擁し、粘土と金属の破片で出来た上等な体に、鮮やかな赤色を吸い込んでいく。ゴーレムの胸部はみるみる歪に膨らんでいき、重さに耐えきれないのか、脚部は太くなった。

 その始終を満足げに見届けたイポスティは、ゴーレムを側に待機させた。

「水を火に変え、土を草に変え、生を死に、死を生に変える。流転を操作する神の術。お主が辿り着くとはな。

 ありがとう。儂の悲願は間もなく叶う」

 イポスティは涙ぐんで、汗ばんだフロネーの手を握る。しかし、感謝を伝えるには異様に長い握手だった。肉が薄くなった唇を震えさせて、老人は言葉を繋いだ。

「時に迷惑かもしれんが、話に付き合ってくれんか」

 フロネーは偽りの笑顔で「喜んで」と答えた。

 イポスティがコアを飲み込んだゴーレムに腰掛けようとすると、その左腕は瞬時に椅子の形に変形した。

「儂の師匠、カタスト様は偉大なお方だった。儂はその背中を追い続けて、錬金術を必死に学んだ。人生の全てを錬金術に注いで、妻も子も得られず、同志は居るが友人はおらん。だが、お主を養子に貰い、愉快な人生を知った」

 イポスティは険しい顔を破顔するが、隠すようにフードを深く被った。

「けどな、儂は納得がいかんのだ。カタスト様は、神鳥様の力が弱まっていることをいち早く危惧し、王に進言した。直ちに対策が施されたが、なんということか、王室はそれを圧政だと裁断し、追放されることになった。神童だったお主がこんな森奥の寂れた小屋に住まなければならんのも、奴らのせいじゃ。

 開国はシンフォレシアの循環をせき止める蛮行。神鳥様がいなくては錬金術も紋呪も無に帰す。儂ら錬金術師が烏合の衆になる前に、シンフォレシアに一矢報いる。表向きの信条はそうだが、儂は、ごく個人的な理由を持っておる」

 フロネーは気を失いそうな意識を磔にして、息を詰めて聞き届けていた。

「その準備も、お主のおかげでようやく整った。決行は明日。お主はここで待っているだけで良い。もし我らが失敗しても、お主には科学がある。聡いお主のことだから、外の技術にもきっと馴染めるだろう」

 フロネーはくらっとした。声も出せず、身振りは鈍い。それでも、フードを深く被りなおしたイポスティは彼女の不調に気付けなかった。

「さらばだ。儂の弟子、フロネー」

 イポスティはフロネーの姿を大切に心に仕舞って、ゴーレムに指示を下した。彼が座っていた粘土の座面はゴーレムの腕をせり上がり、彼を肩に登らせる。ぽつんと建つフロネーの小屋に背を向けた彼らは木々をかき分け、重い足音で森に消えていく。やがて気配がなくなると、フロネーは重力に身を任せて倒れた。

「ローシー、ごめんね……。渡しちゃいけないもの、渡しちゃった。師匠のことも、裏切れないんだよ……。ごめんね……」

 まどろみの中でフロネーは何度も謝罪を口にする。もはや力は入らず、発音も声量も粗末になっても、喉を動かすことはやめなかった。

 4体のゴーレムは力を合わせて、彼女を小屋の中に引きずっていった。

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