第6話

 ぶくぶく、ぶくぶく———。

 目の前の透明な隔たりに、誰かが顔を覗かせる。表情はわからない。その人は数秒こちらを向くと、隣で何かを手に取った。すると、ぶくぶくが少しの間止んで、また始まった。

 なんとなく、推測する。

 この「ぶくぶく」という音は何なのだろう。あの人が満杯の水槽に息を吹き込んでいる音なのか、それとも水が沸騰している音なのか。そもそも水ではなく、何かしらの液体が反応しているのかもしれない。いくつか浮かんだ考えは、やがて一つにまとまった。

 沸騰だ。何一つ境界がはっきりしない視界で、確たる証拠なんてものは望めない。単に私が錬金術に従事しているから、その原則である「循環」に一番近い考えを摘まんだだけかもしれない。それでも湧いた不思議な満足感が、それが妥当だと告げている。

 ぶくぶく、ぶくぶく。

 空気に触れた水泡が消えては、水中でまた新たな水泡が現れる。飽くまでも続くその過程は、正確には循環とは言えない。水泡の中身は気化した水であり、破裂する度に水の嵩は減っていく。たとえ底が乾燥しきる前に注ぎ足されているとしても、水の流れは一方通行。錬金術の原則には合わないように思える。

 しかし、このシンフォレシアは循環そのもの。大局的に捉えれば、この土地で起こる全ての現象が循環として成り立っている。神鳥が創り出す青の炎が揺らめくことで、水は巡り、土は固まり、風は絶えない。沸騰して空へ上がった水でさえも、いつかは神鳥を経由する。

 全ては神鳥から生まれ、神鳥へと還る。私たちの身体も例に漏れず、血も命も、神鳥によって創られたという。故に、シンフォレシアの人々は神鳥を崇め、私の師匠は循環を司る錬金術で神鳥へ献身する。

 次第に視界がほころんでいく。夢が替わる合図だ。無意識に肩に力が入ってしまう。これから私はどんな夢を見なければならないのだろうか。できればアレは見せないで欲しい。凄惨なローシーの姿は虚構だとしても目に入れたくない。


 様変わりした光景は、過去の記憶だった。だって師匠はこんなに若くて、私はこんなに淡泊なんだから、過去の事。

「フロネー、錬金術はな———」

 その時の私は、師匠の教えに集中して耳を傾けていたんだと思う。多分、スクールに通う前の幼い時で、両親の居ない私が師匠の家に住み込みで錬金術を教えてもらえることになってから数日のことだと思う。

 師匠の教えは楽しかった。この頃の師匠はとにかく声は大きくて、責められているみたいだったから怖い気持ちもあった。それも今ではもう衰えて、緩慢な声になってしまったのが名残惜しい。

 師匠が説いているのは、錬金術の基礎の基礎の成り立ちの話。それは初代シンフォレシア王と神鳥の約束にさかのぼる昔話。

 錬金術が成立するのは神鳥の御力を借りているからなんだ、って神鳥様を堅く信じる師匠は熱烈に語っていた。初めの授業はそれでおしまい。確かこの後、師匠が遊んでくれたんだっけ。年齢の近い人が近くに居ないから、部屋の隅で本を読んでいたところを見つかった。そしたら、忙しいはずの師匠は笑って外へ連れ出してくれた。

 ……実は、私は遊びたいわけじゃなかった。私は感情を出すのも感じるのも苦手な子供で、遊ぶことが楽しいとは思っていなかった。おかしな話だけど、まあ、師匠は物静かな子だな、くらいにしか思ってなかったんじゃないかな。

「遊びも勉強の内だ」って師匠は言って、川の水を凍らせたり、特大キャンプファイヤーを作ったり、ゴーレムを使って山登りもした。本当は師匠が息抜きをしたかっただけなんだろうな。

 なんて懐かしい記憶。今は相変わらず苦悩の毎日だけど、私にも楽しい事はあったんだ。その思い出を一緒に作ってくれたロクサーヌも、師匠も、私には大切なひと。

 だから、私は苦しくなるんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る