第23話 今を翔る者
――――side 白峰 心――――
(空振り、かぁ。えっと。確か目撃情報が寄せられたのは山の方だったよね? うん。やっぱり合ってる。何度も確認したし間違ってる訳ない)
ゴールデンウィーク最終日。私は終始無言の苦行とも言える高尾山登山を終えて、麓にある売店の前でスマホとにらめっこしていた。
(夕方のなのに人多いなぁ。みんな楽しそう……はぁ)
後ろでひとつに束ねていた長い髪を勢いよくほどき、ため息をつく。世間から見れば私は華の高校生。それも大型連休中だ。自分はいったい何をしてるんだろうと疑問に思う。深く考えていたら軽い目眩を感じてしまった。流れる人波を見ながらこうなってしまった経緯を思い出す。
『えぇっ? ちょ、ちょっと待って下さい。飛鳥さん来てくれないんですか? 私ひとり? そんなの聞いてないです』
『このバイト2年目だっけ? やるねっ。そんなスピードで情報収集とはいえ単独で現場任されるなんて。ウチで最速じゃない?』
『無茶言わないで下さい! 何言ってるんですか!? 私まだ高校生ですよ!?』
『大学生のあたしにそれ言われても。この業界の人材不足はここちゃんだって知ってるでしょ? 別にさぁ、特別手当もつくしバイト代も爆上げ確定だからよくない? いいこと尽くめじゃん』
『だからお金の問題じゃないですって。っていうかそもそも飛鳥さんみたいなベテランで規格外な人と一緒にしないで下さい』
『……規格外? うーん。そっかなぁ。あたしはここちゃんの方が大概だと思うけど。境遇も能力的にも。まぁ、聞いた限り楽な仕事だし大丈夫っしょ。ナントカなるなる。いつもみたいにちゃっちゃと視て来てよ』
『か、軽い。他人事だと思って』
『じゃあ話もまとまったところで概要ね。ここちゃんの仕事は情報の精査。場所は八王子の高尾山。で。対象の案件は最近、昼夜問わず男性の霊が目撃情報が多数寄せられている件。変な噂も流れてるみたいだし、これ以上話が大きくなる前に先んじて手を打つ感じかな』
『わ、私はまだやるなんてひと言も……』
『寄せられた情報、それにめぼしい被害もない現状から総合的に判断して対象の脅威はどう見繕っても深度1未満。だから大丈夫だって。詳しい事はメールで送るから後で確認しておいて。んじゃ確かに伝えたよ。あー。忙しい』
『ちょっ!? 飛鳥さんっ。待って下さい!』
いきなり学校の前に現れたアッシュブロンドの派手な髪の色をしたバイトの先輩は、私にそう告げてそそくさと立ち去ってしまった。それが数日前の事。いくら私がこの業界でも珍しい特異体質を抱えているとはいえ、高校生のバイトに対して人使いが荒すぎる。信頼してくれるのは嬉しい。でもあの会社は本当に大丈夫なんだろうか。
きっとあの適当な先輩にそれを尋ねても『ここちゃんは真面目だねぇ』とまともに答えてくれない気がする。
再びため息をついた後、売店で飲み物を買ってから駅に向かって移動する。
(でも散々お世話になったから……うん。切り替えてこ。これも恩返しだ。飛鳥さんの話では
深度――――業界用語で本来この世界にいてはいけないはずの死者がどのくらい根ざしてしまったかの指針。
通常人間は死ぬと世界にとどまる事は出来ない。だが何事にも例外は存在する。稀に強い念を残したりするなどの理由で世界にとどまってしまう者がいる。それがいわゆる霊と呼ばれるものだ。
(山を登っている時だけに遭遇する老齢男性の霊、か。同じ場所だけで複数の人の目撃談があるなら、たまたまそこにいた浮遊霊じゃないよね……)
そして霊は現世にとどまればとどまるほどに変質する。肉体を失い残ってしまうだけでも異常な事。当然代償もある。長く居つけば徐々に人間らしさをなくし最後に抱いた最も大切な思いに支配される。
(だとすると執着してるタイプ? あ。だから早めの調査が必要なのか。土地とくっついちゃって地縛霊になっちゃったらマズいもんね。万が一深度3になったりしたら大事になっちゃう)
亡くなってから日が浅く人と見分けのつかない深度1。人としての在り方を忘れ、理性すらも消えていく2。その過程をへて人に直接的な害を成す悪霊と呼ばれるステージが3。霊が現れた周辺に深刻な被害を及ぼしかねない4……などなど。
(問題は高尾山のルートはいっぱいあるからなぁ。現に今日はハズレだった訳だし。下手したらかなり時間掛かっちゃうかも……メールだと今月中ってアバウトな指定だったけど念のため今日来て下見しておいてよかったな)
スマホから顔を上げてなんとなく太陽を見る。時刻は夕方に近いがまだリフトも動いている時間帯。
ここまで登ってる時の目撃談が多い霊の特性から今後、上りは調査を兼ねて自分の足、下りに関してはリフトを使おうと心に決めた。明日は金曜日で学校があるので次の調査は明後日の土日にしよう。
(ううん。今月は登山月間かな? 確かにこれは飛鳥さん嫌がりそう。普通の人でもゲンナリするよね。それで危険性もないときたら……なるほど。実力もない若い人に経験を積ませるには打ってつけ、と。うん。これ以上ないくらい私向き)
そこで私は深く考えるのをやめた。意味のない詮索してもしょうがない。なにより運動するのは好きだ。今はこのバイトをしているため部活には入っていないが東京に引っ越してくるまで中学では陸上部に入っていた。種目は長距離。
走っていればその間は何も考えなくていい。それだけに集中していれば見たくもないものを見なくて済む――――と昔の事を思い出していると、少し先の小さな橋の向こう側で横断歩道で手を上げている子供……少年が目に止まった。微笑ましいその姿に思わず目を細める。
(ふふっ。私もあのくらいの頃は単純に走るのが好きだったはずなんだけ…………なに? これ……?)
ゾクリ……と背筋に走った悪寒に身を震わせる。目を落とし腕を見る。ブツブツと鳥肌が立っていた。意味が分からない。呆然とそのまま生き物の本能につられるようにして少年の遥か後方に視線を移す。
ありえないモノがいた。
「ひっ」
無意識に小さな悲鳴が口からもれる――――赤い。
体が警告を発していたのは猛スピードで少年に迫る大型トラックだった。もっと適切に焦点を絞ればフロントガラスにはりついた異様な形相が元凶である。なぜならそれを見た瞬間魂で理解したから。あれはこの世にいてはいけないモノ。人々を害するモノへと墜ちた人間のなれの果てだ。
「っ!? 危ないっ! そこから逃げてっ!!」
我に返り叫びながら現場に向かって走る。考える前に体が動いた。声に気づいた少年の足が止まる。
「お願いっ。そこからすぐに離れ――」
直後、鳴り響いた大音響のクラクション。怨霊と化したトラックが加速する。私の声はかき消され、ソレに気づいた少年の足は迫る恐怖により地面に縫い付けられてしまった。
(止まっちゃダメっ。ああっ。このままじゃ間に合わない!?)
溢れたアドレナリンで世界がスローモーションで流れる。だが自分の足もそんな世界と歩調を合わせるように鈍化する。遅い。あまりにも。これでは悲惨な現場をじっくり眺める事になるだけ。そもそもあの場に辿り着いたところで、あんなモノ相手にほとんど素人同然の自分が出来る事はない。無力感で涙がにじむ。
(私……じゃダメなの? なら神さまどうかあの子を救)
(……あれ? じゃあ、私はいったいなんのために……お願い。もう、誰でもいいから)
「……誰かぁ。助けてっ」
「――僕に任せて」
「……え?」
絶対に聞こえるはずのない声が聞こえた。幻聴? しかしそれを否定するようにすぐ真横を突風が通り抜ける。
――
全力で走る私に並ぶことなく、一瞬で抜き去っていった人のカタチをしたナニカは、元陸上部の私からみても考え得る限りの理想的なフォームだった。自然に逆らう事なく大地と一体になって駆けるその姿はまさに疾風。
あまりに非現実的な光景を目の前にして刹那の時間、全てを忘れ、目があの人……
私を抜き去り遥か彼方を進む彼に釘付けになる。危機は未だに去っていない。現に脅威となるトラックは少年の目と鼻に存在している。
――――ああ。
だが、私はこんな状況に関わらず生まれて初めて感じる奇妙な安堵感を覚えていた。あの風の如きストライドを見て思う。私の思いに応えてくれた彼はきっと何ものにも屈する事はない。
そんな根拠のない期待に応えるように彼は瞬く間に現場に到着する。と、立ち尽くしている少年を重さのまったく感じない素振りで小脇に抱え、あろうことか暴走するトラックに向かって――――
「あ、はは。何、あれ……」
交錯は瞬きほどの時間。彼は迫ったトラックのフロントガラス……正しくは元凶となっている怨霊の顔をピンポイントで足場にして、更なる飛翔を果たし、その勢いのままトラックそのものを乗り越える事で無事にやり過ごした。
足蹴にされた怨霊の顔は彼の足に触れた際、今までにない苦悶の表情を浮かべ目標を見失う。
そして――――制御を失ったトラックはそのまま慣性に逆らえず、ガードレールを突き破って橋の下の川へと落下した。左右をコンクリートの壁に囲まれ、おまけに川の水に浸ってしまったあの状況ではこれ以上人を害する事など出来ないだろう。まさにあっという間の決着であった。
フワリと人を抱えているとは思えない足取りで着地した彼が少年を降ろす。未だ何が起こったか分からない様子で、夢うつつの子の頭に手をおいて彼が笑いかけていた。
『大丈夫? ビックリしたでしょ?』
そんなどこか間の抜けた声が私の耳に微かに届く。
「おいっ。大丈夫か!?」
「いったい何があった」
「え? あれ、事故じゃね?」
どうやら騒ぎを聞きつけた人が集まってきた。彼は最後に再び少年に微笑むとその混乱に乗じるようにして
「あ。あのっ」
そこではじめて彼が振り返る。真正面から向き合うかたちで私たちの目が合った。改めてまじまじと相手の顔を見て――――私は驚愕する。とても、とても見覚えのある顔だ。
「えっ。うそ!? く、
人知を超えた身体能力で子供を華麗に救ってみせたヒーローの正体は…………同じ高校に通うクラスメイトだった。
「…………へ? あぁ。やば」
鞍馬くんは何かイタズラが見つかってしまった時のような罰の悪い顔をして、現れた時と同じスピードで
「……見間違い? ううん。絶対に見間違いじゃない……鞍馬くん、だった」
ひとり呟いたそんな言葉は、遠くから聞こえる救急車の音と混ざり合うようにして高尾の山に吸い込まれ――そしてまた彼と同じようにどこかへ消えていった。
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