第22話 さよなら天狗の里


「昨晩の事だ。兄者が意識を取り戻されたのは……」


 真っ青になっている僕の様子に気づかず、どこか自慢げな師匠の説明は続く。その話によると知らないうちに事態は動いていたようだ。


 神々の呪いから里を守るため身代わりになった石鎚の意識が戻った。


 呪いの効果が薄れるとした当初の予測よりも数年早い。本人や師匠にも不思議で理由がわからない唐突な目覚め。しかし喜んでばかりもいられない。数年の時短には、それなりの代償があったと気づく。

 

「夜半に儂を呼ぶ兄者の声が聞こえてきてな。驚いたわ。最初は何かまやかしの類いかと警戒したくらいだ。しかも、声は儂の家で預かっていた兄者愛用の羽団扇はうちわから聞こえてくる」

『仕方なかろう? 体を動かそうにもまったく自由が効かなかったのだから』

「あ。いえ。兄者を責めている訳ではないんです。ただ、少し肝が冷えたというだけで」


 説明をしていた師匠が慌てた様子で石鎚をフォローしている。師である愛宕は里長。この集落で最も偉いはずなのに……。


『ふん。まぁよい。我の見立てでは半覚醒の状態。言うなれば人間の金縛りに近い。体を動かせない現状、呪いは未だに健在であろう。完全に元に戻るには予測通り後数年を要するだろうな。ともかくまずは意識が戻っただけ僥倖ぎょうこうだ』

「ええ。本当にそれはそうですな」

『だが、参ったのはほとんど六通も使えぬ事だ。辛うじて残っていた力も、どうにかこうにか強力な繋がりがあったうちわに意識を飛ばし、転写したところで力尽きてしまった……こんな有様で其奴そやつの力になれかどうか』

「何を言います。此奴こやつ、今でこそ大人しくしておりますが馬鹿息子と毎度毎度、頭が痛くなる問題ばかり起こしておりましたっ。兄者の知恵や経験、その心意気こそ此奴に最も必要なものだと儂は考えております」

『ほう?』

 

 散々な言われようだが僕はうつむいてぷるぷる震えながらふたりの話を聞いている事しかできない。色々やらかしてしまった張本人が目の前にいるのだ。大人しくせざるを得ない。

 しかし比良はともかく、いたって善良な僕までその評価に加えて巻き込むのはやめて欲しかった。そのせいで石鎚の意識がこちらに向いたのがわかる。


『翔と言ったか。愛宕から聞いたぞ? 我が眠りについている間、飯綱むすめが大分世話になったそうだな。こんなナリで出来る事は限られているが、それでも全力でお主を支えてみせよう』

「い、いえいえいえ。そんな恐れ多いっ。僕には本当にもったいないんで……何ならこのまま里で安静にして過ごして頂いてもいいんですよ?」

『そういう訳にはいかん。受けた恩は返さなければ天狗の名折れというものだ……それにしても聞いていた印象と違うな。貰えるものは貰う厚かましい子供と聞いていたのだが』


「理由はわかりませんが猫被っておるのです。今度は何を企んでいるのやら。おいっ。くれぐれも兄者に失礼ないようにな」


 師匠がまたしても横から口を挟む。いったい僕は彼にどう見られていたのだろう。いい加減にして欲しい。何も企んでなどいない。ただ、ちょっと事後なだけなのだ。


「そういえば兄者。先ほどまでの続きなのですが、目覚めにあたって本当に心当たりはなかったのですか?」

『……うむ。関係あるか分からぬが……実は、何だか頭がチクチクしていた気がするのだ。その刺激がこのような不完全な目覚めに繋がった可能性もある』

「ほう? それは気になりますな。鳥や獣など自然の生き物は兄者の霊力に恐れをなして近づきませんし。里の皆も避けておりますから」


「――――っ! 師匠! 話はこれくらいにして出発するならそろそろ行きましょうっ。今までの例だと時間にまだ余裕があるかもしれないですけど、門については不可解な事も多いですよね!? 急ぐに越した事はないでしょうっ。石鎚さんも! かして頂けるならお力ありがたくお借りしますっ」


「あ、ああ。言われてみればそうだな」

『うむ』


 これ以上この話題はマズい。石鎚に助力を要請し強引に話題を切ってうやむやにする。結局、勢いで自ら退路をふさいでしまったが致し方ない。今ここで真実が明らかになって殺されるよりはマシである。

 カタカタと震える手で師匠から羽団扇を受け取って立ち上がる。こうして僕の旅路に因縁の同行者が加わる事になった。



「あ」


 げっそりしたまま師匠の家を出て、師に追従したところまでは覚えている。気づけば目の前には1年前は特に意識せずくぐり抜けた古ぼけた社の姿。どうやらこれから先の事を考え頭を痛めているうちに目的地に到着したようだった。

 

「比良……それにこれは?」


 今では見慣れた里の天狗の面々が門の前に集結している。代表して一番前で待っていた比良に問う。


「よう。待ってたぜ。里の連中がお前に挨拶したいんだと。気づいたら大所帯になっちまった。流石に遠征に出てる他のヤツらは間に合わなかったみたいだけどな」


 改めてゆっくり辺りを見回す。人と見分けがつかない者がいれば、知らない人が見れば可愛らしい犬そのものの外見を持つ者、逆に見た目が化け物でしかない者もいて。


「よかったなぁ。達者でやれよ」

「向こうに行っても体に気をつけて」

「本当に大変なのはこれからだ。気張ってこい」

「困ったことがあればいつでも遊びにきなさい」

「また来るなら土産の酒を忘れるなよ」


「みんな……」


 次郎坊、小桜、伽藍、剣坊、阿闍梨、他にもたくさん。輪に交じらず隠れてこちらを見守っている者もいる。考え方もその在り方も本当に多種多様な者たち。

 しかし、投げかけられる言葉はいずれも同じ意味を持つ――――僕を気づかう優しいものだった。


「…………」


 予想もしていなかった出来事に鼻先にツンとした痛みが走る。こみ上げてくるものがあった。慌てて空を見上げ目元を拭う。

 思い起こされるこの1年間の記憶。長かった。過酷な環境、まるで違う生活習慣、それらがいつまで続くかもわからない不安。もちろん知り合いなんていない未開の地に最初の頃は恐怖と戸惑いしかなかった。いろんな人に迷惑をかけて助けられてばかりの日々。死にかけた事だって数えるのが面倒になるくらいある。

 

 でも……それでも。決してそれだけじゃなかった。


 初めて自力で登り切った崖から眺めた世界。温泉に浸かって見た沈む夕日。何かにつけて催される天狗達の大宴会と、飯綱や比良と騒がしくも楽しく過ごした時間。


「今度は俺の方から遊びに行く。そん時は案内してくれよ」

 

 笑いながらバシっと僕の背中を叩く比良に何とか頷く事で返事を返す。


『ふっ。随分、慕われているではないか』

「困った事に人気だけはあったんです。よくない影響も受けている者達もいるので、兄者がいない間にしっかり叩き直さくては。今から頭の痛い問題ですな」


 僕と師匠だけに聞こえる小声で感心したようにこぼす石鎚に、師匠がため息をつきながら答えている。

 それを聞き流しながらふと大事な用事を思い出した。そうだ。感極まっている場合ではない。ここには来る事の出来なかった飯綱に伝えなければいけない事がある。


「比良。お願いしたい事があるんだ」

「ん? なんだ?」

「飯綱ちゃんに伝言を頼める?」



「――――――って伝えてほしいんだけど……お願い出来る?」

「ああ。もちろん。お安いご用だ」


 よし。これでもう思い残す事はない。比良と別れの握手を交わし師匠に今までの礼を告げる。

 そして最後にもう一度だけ振り返った。忘れない。僕はきっとこの光景を忘れる事はないだろう。


「今まで本当にお世話になりましたっ。きっと……いや。必ずまた遊びにきます。だからまだ、さよならは言いません。また会いましょうっ。それまで皆さんお元気で――――行ってきます」


 深く深く頭を下げ、仲間たちに見送られながら僕は門をくぐった。後ろは振り返らない。なぜならこれは一時的な別れに過ぎないから。

 正直また訪れるには大きな課題が山積みだ。急に現れる奇妙な社、それを渡る事で発生する時間の差異の問題。それらは超常の天狗でも原因を特定出来ていない案件で、それを再び利用するという事は多大なリスクを伴う。そして何よりこれからの自分自身の問題もある。安易に約束するべきではない。

 でも、里の天狗たちの助けがなければ今の僕の命はなかった。こんな急でなし崩し的に別れを済ませる訳にはいかないし、助けてもらった恩は返さねばならない。預かった羽団扇いしづちの件もある。

 もちろん化け物揃いの天狗に何かが起こるとも思えない。でも、もし彼等に何かあれば……きっとその時は、僕のちっぽけな命の賭けどころだったりするのだろう。まぁ、そんな事はありえない事だ。気軽に考えよう。いずれ全ての問題が片付いたら酒でも持って遊びに来るくらいの感じで。


 そんな他愛のない事を考えながらしばらく歩いていると、あからさまに空気の質が変わった。以前だったら絶対気づかなかった変化。でも今なら分かる。感じられる霊力が極端に薄い。思わず独り言が口からもれた。


「戻ってきた、のかな?」

『どうやらそのようだな』


 石鎚が同意する。その言葉に期待と不安で自然と足取りが軽くなった。それはいつの間にか駆け足に変わり――ついに開けた場所に辿り着く。


「……帰ってきた……」


 目の前に以前とまったく変わった様子を見せない展望台がある。高尾山、金比羅台。フラフラと夕日に照らされた展望台に立って景色に目を向ける。


「――――――――変わって……ない? よかったっ。全然変わってない気がする。ここからじゃ詳しい事は分からないけど。この様子ならもしかしてあまり時間が経過してないんじゃ」


 少なくとも戦争が起こって終末の世界になってはいなさそうでホッとした。それが考えうる限り最悪のシナリオだった。しかし、そうなるといったい今はいつだ? 

 太陽の位置は日暮れが近い事を示している。里に迷い込むきっかけになった日の事は今でもはっきり覚えていた。2022年のゴールデンウィーク最終日、5月5日こどもの日である。


「とりあえず、ここにいても何も分からないんで移動します」

『うむ。ぬ?』

「どうしまし…………え?」


 夕方。つまりそれは逢魔おうまが時。人が魔に出遭う時間帯。

 

 展望台から振り返ってみれば遠くの方に見覚えのある人が佇んでいた。微動だにせずジッとこっちを見ている。登山ガチ勢っぽい服装、シワの目立つ顔に虚ろな表情。そして極めつけは死者特有の青白い輪郭。間違いない。以前ここで出会った老人の霊だ。


「……貴方は……いったいどうして」


 霊は答えない。その代わりに今まで虚ろだった表情が僕と目が合った瞬間、変化を見せた。必死な顔。鬼気迫る表情だった。懸命に僕に何かを訴えるように手を持ち上げてある方向を指し示している。


(下? 下山しろって事?)


「あの。なんでここに――――あっ」


 真意を問いただそうと声を上げた瞬間、老人は瞬く間に消えてしまった。それは本当に一瞬の出来事。まるで最後の最後に力を使い果たしてしまったような消失。見間違い? 白昼夢でもみていたのだろうか? 何はともあれ意味がまったく分からない。


『何だ? あの亡者と知り合いだったのか?』

「いえ。僕にも何が何だか」

『その割にはお主に何か言いたかったように思えたが……』

「そう、ですね。まぁ、元々下山して情報収集するつもりでしたし。ちょっとだけ先を急ぎます」


 小走りで展望台を後にしながら老人の霊について考える。あの日、消えてしまったはずの彼が待ち受けていたかのようにそこにいた理由。死んだはずの人間があそこまで必死に訴えた訳。消える間際、まるで「後の事は頼む」とでも言いたげだったその表情。


「ん? おおっ」


 そんな疑問は目にした物によって一瞬で吹っ飛んだ。人だ。念願の人である。つい、今し方下山してきたと思わしき大学生くらいのグループと展望台と1号路の合流点でぶつかったのだ。現代風のファッションと手に持ったスマホに胸が高鳴る。これ幸いと今までずっと聞きたかった事を尋ねた。


「急にすいませんっ。変な事を聞きますけど、き、今日は何日ですかっ!?」

「は? いや、5日だけど」

「何年何月の?」

「2022年の5月。つか、何でそんな当たり前の事を聞くんだ?」

「――――えっ」


 まさか。どういう事だ? 僕は天狗の里で1年過ごしてきたはずなのに……こっちで時間が経過していない? 


「おい。やめとけって。そいつ何か独りで喋ってた奴じゃん……気味悪い。そんな奴構ってないで早くいこうぜ」

 

 奇異の目でこちらを見ながらそそくさと去る大学生グループを見送る。


(さっきからいったい……何が起こってるんだ)


 下山中、他に出会った数人にも確認した。麓まで下りて売られていた新聞の日付を確認しても結果は同じ。信じられない事だが今日は間違いなく僕が失踪した日で間違いないようだった。

 喜ばしい、事のはず。想定していた中でも最善の結果。他に何も望む事なんてない。だが――――なぜだろう? 妙な違和感。と心が警鐘を鳴らしている。何か取り返しのつかない致命的な見逃しをしてしまっているような……


『翔』


 ボンヤリと現実感がない夢見心地の気分で駅までの道を歩いていると、周囲の通行人に聞き取られない小声で石鎚から声が掛かった。


「え、と。どうしました?」

『混乱しているところ悪いが我はこっちの事情には疎い。それで、聞きたいのだが……今の人の世はあんな風に亡者が暴れ回っているのが常なのだろうか?』

「えっ?」


 石鎚が意識を向けている方に視線を向けた。すると普通の人では目視不可能なソレを霊脈の力で強化された人外の視力が捉える。遠くの方にひと目で普通じゃないと分かるがあった。


 炎のように揺らめく赤い巨大な顔。そんなあり得ないものがフロントガラス一面に浮かび上がった大型トラックが走っている。


 ガラスを覆い尽くすように張りついたその顔には大きな欠損が見られる。それは目。本来、目があるはずのその場所にはくり抜かれたような真っ黒な空洞がぽっかりと奇妙にふたつ並んでいる。

 何より恐ろしいのは、距離は離れているはずなのにここまで伝わってくるたったひとつの感情。殺意。目はないはずなのに顔全体で作られる表情は遠目に見ても憎悪にまみれ、酷く歪んでいた。


「……次から次へ。いったいなんなんだ……」


 そんな異常な物体が、今まさに猛スピードで交差点に突っ込もうとしている。信号は――――赤。明らかに暴走している。止まる気配は微塵もない。

 不幸は重なる。そんな危険が迫った横断歩道に小さな子供がひとり手を上げて渡る姿が見えた。奇怪なトラックはそんな子供目がけて一直線。子供に気づいた様子はない。このままでは、あと僅かな時間で確実にぶつかる。


『見るに余程この世に怨みを残したま死んだ者だな。あの亡者、今を生きる者を少しでも多く道連れにしないと気が済まんらしい』


 亡者。真っ赤な幽霊。生者に悪意を持ち続ける事で現世に留まる者――――悪霊。思い起こされるのはかつて子供の頃に出会った赤い影。


『赤い人には関わっちゃいけない』


 昔は母親にそういさめられ、ただ遠くで見ている事しか出来なかった。無力で無知だった頃の過去の記憶。


『で? どうするのだ?』


 回想を断ち切るように石鎚が淡々と感情の色が乗らない声音で僕に問う。


(……僕は、どうしたい?)


 逡巡は一瞬。過去と今が重なる。人のなれの果て。赤く染まった亡霊。無力で見て見ぬ振りをした前回。しかし――今の僕はあの時とは違う。


 そうだ。他の考え事なんてこの際全部後回しでいい。重要なのは今、目の前に手を伸ばせば助けられる人がいる。僕にはそれを見なかった事にするなんて出来ない。


(なんだ。単純な事だった。結局僕の芯は何も変わっちゃいない。状況に振り回されてぐだぐだ悩む必要なんてない。やりたいようにやろう。そのための力はあの里で手に入れたんだから)


 今この瞬間、自分に出来る事があるならば後悔のないように全力で。気に食わない現実が立ち塞がり、世界が僕を否定しようとも力押しで突き進めばいい。僕は自分のために自分の理想を押し通す。


『最後までやり抜きなさい』『私達の自慢の子なんだから』


 背を押すように頭の中に浮かんだ母の言葉で覚悟が決まる。恐怖は欠片もなかった。なぜならもっと恐ろしい本物の天狗ばけものを僕は知っている。いまさら、脅威にならない。いつも通りの自然体でコンディションも万全だ。何だか里の連中に勇気をもらった気がした僕は笑う。


「石鎚さん。そんなの考えるまでもないよ」


 遠くの方の現場付近で若い女性の声が響く。どうやら自分以外にも異変に気づいた人が出始めたようだ。目標の交差点までの距離は雑に見繕っても百メートル以上はある。普通の人なら絶対に間に合う事のない絶望的な間合い。


 でも、だからこそ、僕は両足に力を込めて――――その1歩を踏み出す。


「――――


 その日、高尾の山の麓で一陣の風が吹いた。







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