第17話 ババしか引かない男


「翔。今日もよろしくな」

「比良、昨日も言ったけど加減して。寸止めね。ただでさえ実力が違いすぎるんだよ? 言っとくけど振りじゃないから。マジで当てないで」

「わかってる。わかってる」

「絶対分かってない。昨日もそんな事言って思いっきり僕の事ど突いたじゃん」

「あれは……何だか楽しくなっちゃって。今日は自重じちょうするから心配すんなって」


 秘密の自主練スポットを手に入れてからさらに時が経ち、天狗の里を訪れてから今日でちょうど1ヶ月となった。里の住人との仲も深まり、鍛練漬けの生活にも大分慣れ最近では自分でも簡単な料理を試したりしている。

 だが天狗崖の攻略、もとい神通力の習得については残念ながら行き詰まっている。もちろん全く成長していない訳ではない。自分でも前に進んでいる自覚はある。自主練は継続していて師匠の言う霊力の知覚――例の大木以外にもアレが見えるようにはなったのだ。具体的には彼等、天狗が身に秘めた霊力である。

 

『――何? もう見えるようになっておるのか?』

『ええ。師匠とか比良や飯綱ちゃんにはがボンヤリ重なって見えます』

『……早いな。いや。早すぎる。ありえる、か? ……むぅ。それだけこの環境が体に合っているという事か』

『でも悩んでる部分もあるんです。大地とかに宿る霊力の存在っていうのがいまいち分からないんですよ。そもそも知覚出来ないんじゃ扱う事だって出来ない』

『それはそうだろう。いくらこの場所が霊域とはいえ、自然の霊力はとても繊細なものだ。儂らのように意図的に体に取り込んだ不自然なものではない』

『なんかこう、もっと効率のいい方法はないですか』

『本来は時間を掛けてゆっくりやるものだ。それに今の崖登りや滝行がまさにそれだろう? 瀑布ばくふ急崖きゅうがいで生命をあえて危険にさらし、極限状態まで追い込む事で全身の感覚を鋭敏にする……ああ。だが、他の者の霊力が知覚出来るなら……』

『お? なんか良い方法あるんですね?』

『うむ。他者の霊力の流れや動きを直接見て目を慣らすのがよかろう。先人の霊力の扱い方も学べて効率もよい…………ただ、見るだけではな。うむ。ちと早いが実際に体験してもらうとしよう――――組打くみうちだ』

『へ?』

『実戦にも生かせるし、行動の幅も広がる。良い事ばかりだ。明日から励むがよい』


 そんなやりとりがあったのは一昨日。崖の鍛練の合間の出来事である。

 隠れスポットの大木でせっかくある程度霊力の扱い方を身につけても、その場所以外に存在する霊力を知覚出来なければ扱う事はできない。それが崖攻略に行き詰まっている主な理由だった。

 そして師匠に相談した結果、新たな鍛練を開始する運びになる。自分で考えた自主練とは別の記念すべき3つ目の天狗鍛練である。それが組打ち。空手でいうところの組み手。柔道で言うなら乱取り。簡単に言えば天狗の組打ちとは実戦形式での殴り合いだ。


(馬鹿げてる。こんな熊みたいな男と殴り合いなんてマジで勘弁。絶対殺されるっ)


 そう思った僕は『相手だけは僕が選びます』と言って、隣で話を聞いていた飯綱に真っ先にお願いした。拒否された。絶望した。


(うそ……えっ? まさか僕って嫌われてる?)


 ショックを受けた僕は鍛練の後、温泉に入っている時にそれとなく理由を尋ねる。彼女は恥ずかしがって何度もはぐらかしたけど、あまりのしつこさに観念して理由を教えてくれた。どうやら僕を殴るのは抵抗があって嫌らしい。天使だった。娘にしたい。


(でも困ったぞ。師匠は絶対嫌だ――――ある程度本気でやらないと鍛練にならん。とか言い出すに決まってる。お約束の無茶ぶりパターン。僕はわかってるんだ……そうだっ。うってつけの奴がいるじゃないか)


 そこで白羽の矢が立ったのが比良だ。思い立ったら即行動。温泉の帰り、飯綱と別れた僕は比良の家に寄って彼に事情を説明する。反応は信じられないくらいの好感触。眩しい笑顔で快諾を得る事ができた。やはり持つべき者は親友である。この関係性は一生大事にしていこうと心に誓った。


 一刻も早く報告しないと熊と対戦するハメになる僕は、その足で師匠の家に向かって組打ちのパートナーを比良に決めたと報告する。なぜか感心した顔で頷く師匠と、困惑顔の飯綱がほんの少しだけ気になったがこれで安泰あんたいだ。少なくとも師匠に殺される未来は回避できた。


 そう思いぐっすり睡眠をとって望んだ翌日の組打ち。


 結果。僕は組打ちという名の体のいいサンドバックにされる事になった。情け容赦など全くない。ボッコボコのボロ雑巾である。地獄の鬼の方がまだ慈悲の心を持っているだろう。

 

 そう。比良は里でも悪名高いバトルジャンキーだったのだ。



「いやぁ。里の連中が相手してくれなくて困ってたんだ。俺も定期的に他者と鍛練しないと体が鈍っちまいそうで。苦手な手加減をする勉強になるしな。これから毎日付き合ってくれるんだろ? 感謝するぜ」

「……こんな事になるなら素直に師匠くまの相手をしていた方がよかった……」


「ほれ。いつまでも話してないで早く始めろ」


 師匠に促され昨日と変わらない鍛練の相手である比良と向き合う。


(くっそ。昨日は他の鍛練は休みにしてもらってずっと温泉に入ってたのに、まだ痛い。冗談じゃないぞ)

 

 今までの鍛練は里に満ち満ちた不思議パワーや食事、例の温泉の効能もあり、残っても軽い筋肉痛くらいで翌日まで後を引く事はほとんどなかった。だが昨日の組打ちという名の拷問。これは違う。未だに体はジンワリ熱を持っており紫色のあざがしっかり残っている。受けたダメージに規格外の回復を総動員しても回復が追いついてないのだ。僕がどれ程の責め苦を味わったか分かるというものだろう。

 

 対峙たいじしたまま目を細めて相手を観察する。彼が身に秘めた霊力が嫌でも目につき、思わず悲観のため息が口からもれた。

 

(……やるしかない。もう向こうはやる気満々だ……)

 

 だらり、と。脱力した独特の構えを見せる比良に僕は半身の構えを取り警戒する。半身の構え。体の正面をさらさず、あえて斜めにする事で相手に対して見せる面を減らす防御の構えだ。積極的な攻め手に対しては非常に有効に働く。これは今日、この組打ちに備えて里の天狗に聞いて回った付け焼き刃である。しかし同じ比良被害者の会の先人の知恵は侮れない。何もやらないよりはマシのはずだ。

 

(……飯綱ちゃんと尋常じゃない頻度ひんどで鬼ごっこをしていて助かった。人外のスピードは意外にも目で追えてる。。後はあの体術――意識の外から迫る独特な動きをどうするか、だ)


 この世の中いったいどこで何が役にたつかわからない。そんな事を考えているとお預けをくらっていた戦闘狂からついに死刑宣告が下る。


「来ないなら――こっちからいくぜ?」


(――――来る! ……右足っ)


 ヒュンと風を切って迫る右の上段蹴りを後ろに飛び退いてかわす。その場に棒立ちになっていたら頭に直撃するコース。冗談じゃない。完全にりにきている。彼はほんの少し前に交わした約束を既に忘れているようだ。


(ふざけんなっ。このっ)


 こっちから一撃入れて正気に戻す。

 比良の右足は空を切り地面には残された軸足の左足だけ。勢いで彼の姿勢は流れていて、こちらに晒した背中は大振りの蹴りで空いた致命的な隙だ。


(――――っ!?)


 すぐさま距離を詰め反撃に出ようとしたところで背筋に悪寒が走る。反射的に腕を持ち上げ頭をかばったところで腕にもの凄い衝撃が来た。激痛に顔が無意識にゆがむ。痺れる腕に気を払う余裕もなく、無我夢中で後ろに下がり現在の状況を確認した。


(――――痛ぅ……ヤバかった……あのまま反撃に出てたら後頭部に直撃もらってた。マジで殺されるぞ……コレ)

 

 比良は右足の蹴りの勢いを殺さず、むしろさらに体の捻りを加える事で勢いを加速させた。右足が地面に戻り左足と軸足じくあしの役割が瞬時に入れ替わる。流麗なダンサーのようなステップは勢いをまるで殺さず体はコマのように回転する。僕の脳天目がけて飛んできたのは彼の左のかかとだった。

 繰り出されたのは空振った勢いをも利用した左回し蹴り。しなやかな全身の筋肉と遠心力を利用して放たれた蹴りは容易に人を殺す。加減? 寸止め? 全然話が違うっ。

 

「おお。よく防いだな」

「おお――じゃないっ。馬鹿じゃないのっ!? 当てないでっていったじゃん! これはれっきとした殺人未遂だっ」

「? 何言ってんだ? お前は死んでないし頭に当たらなかっただろ?」 

「腕に! 当たってんだよっ。見ろっ。これ! 絶対大きな痣になるぞ。もし頭にあたってたらよくて昏倒こんとう。下手したら死んでるっ」

「おいおい。たらればの話とかめんどくせぇな。別にいいじゃねぇか。結果的に翔は生きてんだから。こまけぇ事は気にすんなって」

「僕の生死は細かくないっ」


 頭をボリボリ掻きながら言い訳するサイコドキュンに全力で抗議する。もちろんその間も警戒は解かない。コイツは血に飢えた猛獣だ。隙を見せたら必ず飛びかかってくるに違いない。僕の認識では既に比良は戦闘狂の異常者。一生大事にしようと誓った親友? 彼は死んだよ。


「ってもなぁ。俺は加減してる。その証拠に足しか使ってないぜ? 昨日から霊力も神通力も使わず純粋な体術だけ。そもそも手を使っていいなら、今のも初撃で終わってる――――あまりこんな事言いたくないけどさ……俺だったら正直ここまで手加減されたら悔しくて夜も寝られなくなる。そこんところお前はどうよ?」

「――――――――あぁっ! もうっ!!」


 頭に血がのぼり血走った目で今度は僕の方から距離を詰める。


(絶対泣かすっ)

「そう来なくっちゃなっ」


わかあおりの天才だ。挑むのであればまずは冷静にな』


 鍛練前に里を回り他の天狗から受けたそんなアドバイスは、残念ながら役立たせる事は出来ていない。

 そして――――僕を迎え撃つ比良の目は、とても嬉しそうに爛々らんらんと赤く輝いていたのだった。



「そこまでだ」


 師匠から終了の合図を聞き届けた瞬間、僕は地面に倒れ込んだ。


「あー。悪い。翔。最初はここまでやるつもりはなかったんだけど、つい」

「……」


 意識は何とか保っている。いや、全身の痛みで強制的に保たれていると言っていいかもしれない。心配そうな飯綱が肩を貸してくれるがお礼を言う余裕もない。そんな僕の様子をジッと見ていた師匠から声が掛かる。 


「ふむ。昨日にも増して手酷くやられたな――――そうだな。お主もここに来てからなんだかんだ言いつつ儂らの流儀に従っておる。思い返せばずっと人の世にいたのだ……うむ。明日の鍛練は終日休みとするか。つわものにも休息は必要だ。たまには体をゆっくり休めるといい」

「……」

 

 飯綱に手を引かれながらも何とか頷きだけを返してその場を後にする。一刻も早く温泉に入り回復に努めないと……僕はどこかフワフワした感覚でそんな事をボンヤリ考えていた。



 翔と飯綱の姿が見えなくなりその場には2人の親子だけが残される。先ほどまでの喧噪が嘘のように静まりかえったタイミングで、愛宕が比良に話し掛けた。


「……で。どうだった」

「ああ。オヤジの言った通りだった。注意を払って今日は観察したけど完全に。やっぱりすげぇよ。アイツ。本当に面白ぇ」

「――――ふむ」


 もちろんこの場に彼はいないためこんな会話が交わされた事など知る由もない。彼の頭の中にあるのは今日の不甲斐ない結果、敗北感だけだ。


 認識のズレは拡大していく。


 ここに迷い込んで未だ一ヶ月。そんな短期間で戦闘狂で里の実力者でもある比良に認められる事がいかに並外れているのか――彼は未だに知り得ない。

 

 そしてまた日が沈み夜が来て……いつもと変わらぬ朝がやってくる。

 泥のように眠っていたが起きたのはいつもの時間。痛みに顔を歪ませながらも翔は何とか立ち上がる。天狗の里を訪れて以来、彼の初めてとなる完全なオフの1日はこうして始まった。

 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る