第18話 英雄の樹の上で


(痛ぅ。比良のヤツ。アホみたいに蹴りやがって……覚えてろよ)


 里を訪れてから初めてもらった休日。僕は一面の白い花畑に囲まれながら昨日の事を思い出していた。東の空にはついに朝日が昇りはじめ、夜のとばりを黄金色に染めていく。


(……怪我が治ってないからどうしようかと迷ったけど……来てよかった。なんとか日の出には間に合ったし。いきなり休みって言われてもね。この爽快感を味わってしまったからにはコレは見とかないと。うん。1日が始まった気がしない)


 そう。何を隠そうこの場所は例の大木のてっぺん。自主練の甲斐かいもあり、先日僕はついに登頂を成し遂げていた。


(扱い方は大体わかったんだよ。後は見えさえすりゃ楽勝なんだけどね。マジ今に見てろよ。あの野郎……)


 絶景に満足した僕は、太い枝に腰掛けて足をプラプラさせながら師匠特製のおにぎりを取り出す。

 これは自炊の真似事を始めた僕に昨晩、師匠が気をつかって持たせてくれたものだ。体の痛みであまり動きたくなかったのでこの気づかいは素直に嬉しい。やはりデキる熊である。


(旨い。自分でやり始めてわかったけどが火加減と水加減が絶妙だ。同じ物使ってんのにこうも違うか……巧みの技だ。僕がやるとべちょべちょになるか焦げるか。どっちかだからな)


 こっちの修行も必要だと内心思いながら、眩しい朝焼けをおかずにして朝食を食べ終える。包み紙代わりの笹の葉を懐にしまい、さて今日は何をしようかな? と枝に立ち上がったところでこの場所で聞こえてはいけない声が聞こえた。


で何してるの?」

「うわっ!? い、飯綱ちゃんっ!?」


 心なしかいつもより険しい表情をした飯綱が、違う枝に仁王立ちしたままこっちを見ている。マズい。ついに誰にも教えていなかった自主練場所が見つかってしまった。いつもより体調が悪かったせいで注意力がおろそかになっていたようだ。全く音がしなかったのと、四六時中一緒にいたので、気づかないうちにあの気配に鈍感になっていたらしい。完全に油断していた。

 

 里の天狗は僕の家の周囲には近づかない。しかし、何事にも例外は存在する。実はこの大木という僕だけの隠れスポットに近づいてくる不逞ふていやからが2名だけ存在した。師匠と飯綱である。


(しまったなぁ。師匠は僕に用がある時しか来ないから別にいいんだけど……飯綱ちゃんはな……油断した。今まで気をつけてたんだけど)


 彼女は僕が秘密を作る事を嫌う。

 というのも師匠は理解を示し、触れずに放置してくれていた隠れスポットでの自主練だがどうやら飯綱は違ったらしい。師匠の手前、その日は口にする事はなかったが翌日から飯綱の猛攻が始まる。


『内緒ってなに?』

『え?』

『いづなに内緒で何かしてるって昨日言ってた……』

『別に大した事してないよ』

『じゃあ。いづなにも教えて?』

『え、えっと。本当につまらない事だから。そ、そうだ。それより面白い人間の遊びがあるんだよ。缶蹴りって言うんだけど。鍛練終わったら今日はそれをしてみよっか! 缶は無いから何かで代用するとして、比良も誘って3人でさっ。そっちの方が絶対楽しいって』

『……』


 そんなやり取りが何度もあったので納得していないのは分かっていた。その時々は引き下がってくれるが、いつも不満そうな可愛いジト目で僕の事を見てくるのだ。言わずとも分かる。

 飯綱も馬鹿じゃない。そのうち口でいっても無駄だと悟ったのだろう。いったい何が彼女をそこまで駆り立てるのか分からないが、実力行使に出る事にしたようだ。具体的にいえば今まで以上に僕にベッタリになってしまった。

 最近では太陽が昇ってから沈むまで基本的にずっとくっついている。流石に日が落ちている時間帯は師匠に止められているようなので、僕がひとりを満喫できる時間は夜か早朝だけとなってしまった。


(おかげで陽が昇ってもない暗闇の中での朝練だよ……まぁ、最初は苦労したけど真っ暗な中での鍛練は得るものもあった。今ではちょっと感謝してるけどさ)


 困ったのが僕の家に頻繁ひんぱんに出入りするようになり、プライベートエリアが侵略を受けている事だ。気づいたら彼女の私物が増えている。いわゆる実効支配である。これは由々しき事態だった。領土問題は曖昧あいまいにしてはいけない。このままではいずれ占拠せんきょされてしまう。


(でも……少し気持ちがわかるから強く言えないんだよなぁ。お父さん。もの凄く偉大な里の英雄だったらしいから。皆、飯綱ちゃんには一歩引いた感じで遠慮してるんだよね。恐れ多い、的な。師匠と比良くらいか? 普通に接してるの。しかもなぁ……師匠はまだしも、比較的年が近く唯一理解者となれるはずの比良は戦闘狂の悲しきモンスター。飯綱ちゃんかわいそう。マジ不憫ふびんだよ)


 里の住人からは何もしていないのに敬われ、年の近い理解者は存在せず、守ってくれるはずの父親はいない孤独な彼女に……度々、無遠慮にちょっかいを出していた僕という存在はどう映ったのだろう。

 よく見てみると今日も片手に色とりどりの花が握られていた。きっと僕の家に飾るつもりだった物だろう。


「黙っててごめんね。内緒にしてたけど僕、いつもここで鍛練してたんだ」

「ここで?」

「うん」


 飯綱は珍しい事に僕に対してとても難しい顔をしていた。きっと今まで内緒にしていた事を怒っているのだろう。僕はそう思い彼女に声を掛ける。


「飯綱ちゃんを仲間外れにするつもりはなかったんだ。僕も必死でさ。気が回らなかった。本当にごめん。寂しかったんだよね? もうしないから許してよ」

「別に。さみしくない」

「そんな事言わないでさ。こっちおいで? 仲直りしよう」

「……」


 そう声をかけて見れば飯綱は無言で僕が立っている枝まで跳躍ちょうやくした。枝は二人分の体重が掛かっても小揺るぎもしていない。ゆっくり僕が枝に腰掛けると飯綱もつられるように腰を下ろす。彼女の表情は未だに厳しいままで、怒りはおさまっていないようにも見える。


(気まずいな。さてどうしたものか。お? そうだ)


 飯綱が持っている花が目に入った僕は仲直りのとてもいい方法を思いついた。天才的発想。とってもイカしたナイスなアイディアだ。このままではただ枯れゆく花に、一役買って貰うとしよう。


「飯綱ちゃん。その綺麗な花。家に飾るんでしょ? よかったらさ僕にくれない?」

「…………これ? ん」

「うん。ありがとう」


(よしっ。コレをこうしてっと)


 手先の器用さには自信のある僕によって花は形を変えていく。好奇心の強い飯綱はすぐに興味を引かれたようで僕の手元を覗き込んでいる。チラリと横目で様子をうかがえば、既に険しい表情は存在せず年相応の無垢むくなあどけない少女の顔があった。


(あれ? 少し花が足りないな……ああ。ここにはいっぱいあるじゃないか)


 やりたい事のために少しばかり材料が足りなくなった。しかし、すぐに自分がいる場所を思い出す。目の前には咲き誇る白い花々。これを使ってしまえばいい。

 僕はまったく躊躇ちゅうちょせず白い花を数本ブチブチブチっと木から豪快に引き抜いた。


(え?)

 

 隣から息を飲む気配を感じとり視線を向けると、なぜか驚愕きょうがくした表情で唖然あぜんとしている飯綱と目が合う。珍しい。彼女のこんな顔は初めて見た。いったいどうしたというのだろう? 彼女自身がよく花を摘んでいるので抵抗はないと思っていたが……

 思いがけない大きなリアクションに戸惑った僕は、聞かれてもいないのに知識を言い訳のように披露ひろうする。


「いや、さ。こういう風に抜いてあげるのも――――実は良い事なんだ。人間の世界では何て言ったかな……間引きとか間伐かんばつ剪定せんていっていうのがあってね? 確か色々ちょん切る事で、太陽の光をいっぱい浴びる事が出来るようになるから。木も喜んでいるんだよ」

「そ、そうなの?」

「うんうん。喜んでる。喜んでる。いっそツルツルにしてあげれば、いっぱい光も浴びれてもっと元気いっぱいになるよっ。僕にはこの木が涙ながらに感謝している声が聞こえてくるね」

「すごい……しらなかった」


 先ほどとは打って変わって飯綱は感心したように目を丸くしている。

 

 本当は全然知らない。枯れ枝や老木、生育の悪い芽に施すものだったような気がしなくもないが、正直うろ覚えだ。だが別にいいのだ。どうせ木は喋れないし。ここまで立派な大木の花を多少ちぎったところで影響もないだろう。飯綱との関係改善の為この木には犠牲になってもらう。悪いね。

 尊敬の眼差しに気を良くした僕は、間違った知識を自信満々にひけらかしながらも手を動かす。白い花は受け取った他の花々に同化するように編み込まれていき、数分後には色とりどりの花で出来た見事な王冠に形を変えていた。


(うん。我ながら会心の出来だ)


「はい。飯綱ちゃん。僕からお返し」

「え?」

「これはね、花かんむりって言うんだ。継ぎ目のない円は永遠の幸せの象徴として。僕たちの世界では結婚式で使われたりするんだよ」

「けっこん……」 

 

 隣に座っている飯綱に花かんむりをかけてあげながら、僕は指を立てうんちくを語って聞かせる。飯綱のような小さな女の子なら喜ぶと思っての行動で、これは仲直りのきっかけだった。


(飯綱ちゃんが興味もってた人間の世界の話だし。この年頃の女の子ってこういうロマンチックな話好きでしょ。僕は知ってるんだ)


 もちろん深い意味なんてない。いづなは確かに可愛いがそれはあくまで子供として、である。そもそも僕の好みのタイプは年上の包容力のある女性だ。僕と接しているといきなり怒り出す人が多いので、何でも許してくれる心の広い菩薩ぼさつみたいな人がいい。

 だからこれはなんだかんだお世話になっている日頃のお礼であり、関係改善の賄賂わいろのようなもの。子供のご機嫌とりである。

 しかし、話し終えると飯綱は顔を赤くしてうつむいた。何だか雲行きが怪しい。いつもより小さい声音で、もじもじしながら僕に向かって言う。


「か、翔はいつも変な事ばかりする」

「え? そうかな……僕は普通だと思うけど」

 

 首を傾げながらもこの子に名前を呼ばれたのは何気に初めてだな、とか考えていると飯綱は出会ってから一番の勢いで言葉を続ける。めっちゃ早口である。


「ぜったいに変。意味がわからない変な事ばかりしてるっ。それなのに全然物を知らなかったり。それにわざわざ危ないことに首をつっこむ。いづながこんなに心配してるのにっ。いつもそう。一昨日から弱いくせに自分からあの比良に挑んで怪我だらけになってっ。今日もいきなりお父さんを刺激した――危なっかしくて目が離せない」


(……ん? お父さん? 飯綱ちゃんはいったい何を言ってる? ってそれに僕が好き好んで比良に挑戦してるみたいになってるし。それはいかんぞ。マゾだと勘違いされるっ。すぐに訂正しなくては)


「い、いや。比良の件は誤解だよ? 僕もやりたくてやってる訳じゃ」


「――そんな変な人なのに。里のみんなと違っていつもいづなに構ってくれた。今もこうやって優しくしてくれる」


「それは」

「だから……今度はいづなの番」

「飯綱ちゃん?」


 飯綱は俯いていた顔を上げて僕を見つめる。その顔は真っ赤でまさにだこのようだ。

 いったい彼女はどうしたんだろう? それなのにその表情だけはキリっとしていて何やら覚悟完了してしまった凜々しい顔つき。どうにも僕はまた他人のおかしなスイッチを押してしまったらしい。


「翔は何も知らない。ちゃんとした、しっかりした人が見ててあげないと危ないから。だから」

「……だから?」


 とてつもなく嫌な予感を覚えながらも僕は飯綱を促す。彼女は大きく息を吸い込んだ後、覚悟を決めた表情で僕に向かって言った。 


「……し、しょうがないからっ。か、翔がどうしてもって言うなら――――――――――いづなが翔のお嫁さんになってあげるっ」

「えっ? えぇっ!?」

 

 里に来て初めての休日。黄金色の朝日に照らされた白い花が咲き誇る大樹の上で、僕は飯綱にプロポーズされた。


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