第16話 秘密のスポット


 天狗の里に来てから僕の生活スタイルは一変した。何といっても電気がないのだ。一応、僕が住んでいる家の中には照明器具の行灯あんどんっぽい物もあったりする。

 だが明るさはいまいちで娯楽らしい娯楽もないので結局、日が沈んだ後の予定といえば師匠宅にお呼ばれして晩ご飯を食べるだけ。その後やる事もないのですぐに眠りにつき、日が登る少し前に起床する超早寝早起き生活になっていた。


(……せっかくだ。今度飯綱ちゃんや比良でも呼んでパーティーでもしてみるか。僕以外の住人は夜も普通に活動してるみたいだし。2人共、人の世界に興味を持ってた。たまには息抜きも必要だろ。あ。ついでに話の対価って事で家具の使い方でも教えてもらおうかな。食事、世話になりっぱなしだからいい加減自分でも出来るようになった方がいいしね)


 昨晩帰りがけにもらった笹の葉に包まれたおにぎりをモソモソ食べながら、かまどらしき調理設備に目を向ける。

 ただでさえ日当たりが悪く暗いこの家だが今はまだ陽が昇る少し前。外はうっすら明るくなりつつある時間帯で差し込む明かりはごく僅か。そんなほぼ暗闇に近い状態で食事を取り、さらに家の間取りを確認しているという異常な状態に寝起きで覚醒しきっていない脳は違和感を感じていない。


(……この塩おにぎりは旨いな。あんなゴツい師匠が作っているとは思えない。最初の頃は冷蔵庫もないから保存状態に不安があったけど、今のところお腹も痛くならないし。笹の葉っぱって凄いんだなぁ)


 本人の気づかぬところで彼の体は変わっていく。本来ならすぐに自覚出来たはずだが運の悪い事に周囲には人間離れした怪物しかいない。

 おのずと比較対象は彼ら天狗になって、必然的に自分の足りない部分ばかりに意識が向かい目は曇る。

 天狗の里を訪れて半月。彼の体は少しずつ、だが着実に人外の領域に足を踏み入れつつあった。


(さて。師匠には昨日ああ言ったけど、どうしよっかな――――む? あれっ?)


 朝食を終え、とりあえずカレンダーに日付を記入して日課のランニングでも行こうと家から出たところで、いつもと変わらない大木が目に入った。しかしなにやら様子がおかしい。


(何だかこの木だけぼやけて見える……これって……)


 正確には木はハッキリ見えている。おかしいのは木の輪郭の部分。大きな木の全体を覆いつくすよう薄ら透明な膜が張っているように見えるのだ。先日、鍛練の合間におこなった師匠との雑談が頭をよぎる。


『質問なんですけど、天狗の人達が使ってる神通力ってどうやったら出来るようになりますか?』

『うむ。まずは霊力をしっかり認識する事かの。霊力は万物に宿っている。もちろんそれぞれ強弱はあるが……六通の入り口に立つにはまずそれを感じる事からだ』

『いや。食事や温泉効果でちゃんとそれがあるっていうのはわかりますよ? でもそう漠然と言われてもなぁ』

『こればかりは実際に体験してみないとわからんだろう――――強いて言うならより強力な霊力をまとったものの方が感じやすいのではないか?』

『なるほど……例えば師匠とかをよく観察してればいいって事ですか?』

『うーむ。まぁ、そうだの。儂のような大天狗であれば他のものよりは認識しやすいと言えるであろうな……』


(これって多分アレだよな? 他のは見えないから比べようがないけど明らかにおかしいし。でも師匠より先にただの木から霊力が見えるようになるってどういう事やねん。いくら桁違いにデカいとはいえ……木に負けてる事になりますよ。師匠)


 疑問は尽きないが僕にとっては都合がいい。仮にこれが霊力だとするのであれば鍛練の幅が広がるのだ。師匠いわく霊力というものは一度でもハッキリ認識する事が出来れば、後は芋づる式に感じ取れるようになるのだという。

 またコレが見えなくなる前にしっかり体に感じ取るコツを覚え込ませるべきだろう。そうであるなら今日はこの木を使って鍛練をするのがベストである。

 急崖きゅうがい登りと見上げるのも大変な大木登り。これも運命的だ。通じるものがある。まるで世界が自分の背を後押ししているようだ。


「……ついに吹いてきたな……僕にむかって追い風が……」


 ニヒルな独り言を呟きながら僕は木の周りをグルッまわって登りやすい場所を見繕みつくろう。大きいので一周するだけでも軽めのウォーミングアップになった。登りやすさだけでなく万が一落ちた時に備え比較的安全な所にするのも忘れない。ただでさえ周囲には岩が転がっているのだ。取り除ける石や岩は動かし安全圏を確保する。自主練のため助けてくれる師匠や飯綱はいない。慎重に事を進める必要があった。


(気休めだけど地面に葉っぱをいっぱい敷き詰めてマット代わりにしておこう。何もしてないよりはマシのはず――――――――これでよしっ)


 軽くストレッチを行ってから改めて木と対峙する。相変わらずとてつもなくデカい。だからこそ登りがいがあるというものだ。


(……ただ普通に登るんじゃ意味がない。霊力っぽい何かも見えるようになってる今がチャンス。そしてせっかく自分でさじ加減を決められる自主練だ。安全圏も作った――飯綱ちゃんに聞いた事をチャレンジしてみるか)


『飯綱ちゃん。なんかこう、さ。コツみたいなのない?』

『こつ?』

『ほら。僕この崖登り上手くいってないじゃない? だから飯綱ちゃんがやってる方法も参考にしてみたいなって』

『いづなは足でしっかり踏み抜く事を意識してる』

『え? こんな下駄履いてるのに? 危なくない?』 

『大丈夫。足でギュッと体を押し上げる』

『……やっぱり僕には難しいな……』


(もしかして飯綱ちゃんが言ってたのってあの膜――霊力を意識してそれをしっかり踏みつけるって事だったんじゃ)


 もはや履き慣れて違和感を感じなくなってしまったがこの下駄は一本歯のため接地面積が普通の下駄よりも狭い。もちろん普通の靴とは比べるまでもない。慣れなければバランスを取るのも難しく歩くのも一苦労だろう。

 だが狭い面積に体重が集中している分、地面を意識しやすい。より深く大地との一体感を味わう事が出来る。

 違和感なく履きこなして重心の制御方法や一点でバランスを取る事に慣れてしまえば、ぬかるみや岩場などの悪条件でも、地面にあまり接していないのが逆に有利に働いてあまり影響を受けずに歩けるのだ。


(足で踏み抜く。足で踏み抜くっと)


 トントンっと飯綱のアドバイスを信じ足に意識を集中しながら助走のための距離を取る。僕はこの木登りを一般的な方法で挑むつもりは毛頭ない。それでは今までと何も変わらない。またひとつ自分の常識をここに捨てていく。そんな気概で僕はこの木に挑む。


「――――ふぅ」


『勢いよく。思いっきりいけ』


 深呼吸して精神を集中する。昨日の師匠の言葉が頭の中で思い起こされたその時、僕は覚悟を決め木に向かって疾走した。

 大地を意識して体の重心を前に倒す。走り込みの成果もあり下駄を履いているとは思えない速度で景色が流れる。滝行や飯綱との遊びで鍛えられた肉体が相乗効果を生み出して、みるみるうちに木との距離が詰まっていく。もちろんこのまま速度を緩めるつもりはない。


(このまま行く)


 後数歩で木に激突する、そのタイミングで僕は速度を殺さず大地を蹴って薄い膜を纏った木に向かって勢いよく跳躍した。

 壁走り。イメージするのは都会でもよく見かけた速度を殺さず壁を駆け上がる猫の姿。

 目標である木が目と鼻の先に迫る。すぐに意識を切り替え木を覆う膜を強く意識しながら今度は木を足で踏みつけたその瞬間、全く意図していない事が起こった。


 「コレをっ、思いっきり、足で踏み抜く! ――えっ!?」 


 力強く木を踏みつけたとはいえそれは、ただの一歩。なのに――――――大木の表面に沿ってまるで弾丸のような勢いで僕の体が天に向かいすっ飛んでいく。


(っ。やばいっ!?)


 予想外の加速を重ねた肉体は意識していた4つ足で俊敏に壁を駆け上がる猫どころではない。コントロールも出来ずに重力に刃向かって真上に上昇していく僕は、弾かれたピンボールの球のよう。地面を走っていた時よりも断然に速い。凄い風圧を感じ反射的に目を閉じる。一瞬視界が完全に閉ざされた事により顔が恐怖で歪んだ。


(――しまったっ。ちょっ!?)


 慌てて目を開けるがもはや手遅れ。目の前に太い枝が迫っている。まずい。既に避けられる距離ではない。無意識に体を守るために手を前に出した瞬間に衝撃が来た。


「うっ!? ――――――――づぅっ! ぐっ……………痛ぅ」


 ドサリ、と。木の枝にもの凄い勢いのまま直撃した僕はハエ叩きでたたき落とされたハエみたい地面に落下した。

 枝ぶつかった衝撃と高所から大地に落ちた時の衝撃のダブルパンチをくらい、僕はノックアウトされたボクサーのように地面に悶絶しながら突っ伏している。


 とんでもない痛みだ。すぐに立ち上がる気にはなれない…………だが、この肉体は最近ドM御用達の滝の鍛練で散々痛めつけられており、それなりに頑丈になっている。そしてとても不本意な事ではあるが危険な痛みに慣れすぎているせいで、感覚的に骨折などすぐに治せないような致命的なダメージが入っていないのもわかっていた。我慢していれば時間と共にこの痛みは引くだろう。

 マゾは痛みの質には敏感だ。すぐ治せない大怪我をすると当分の間、痛い思いを堪能出来ない。ギリギリを見極める目を持ち長く楽しめる者こそ真性であり本物なのである。


「…………痛たた」


 大方の予想通り痛みも徐々に引いていきゴロリと仰向けになる。落下する直接の原因となった枝が大木の遥か上の方に位置しているのが目に入った。

 かなりの速度で衝突したはずなのに小揺るぎもしていない。やはりこの木には秘密がある気がする。


「…………勢いが強すぎた……でも……うん……これなら、イケる……」


 ジクジクと鈍い痛みに顔をしかめながらも僕は思わぬ手応えを感じ、完全に痛みが引くまでその場で大木を見つめ続けていた。


 その日の夜。


「おいおい。どうした? 大丈夫か?」

「痛そう」


 いつも通りの時間に晩ご飯をたかりに来た僕を見て師匠と飯綱が言う。「大丈夫ですよ」と返して定位置となりつつある場所に遠慮せずに腰をおろした。僕の頭をトコトコ近づいて来た飯綱がつついて遊んでいる。そこは大きなコブになっているのであまり触らないでほしい。

 日が落ちて暗くなってきた時点で鍛練は切り上げていた。一度自宅に戻り全身に潰した薬草を塗りたくったうえで師匠宅を訪れている。体中ボコボコになってしまったがそれに見合うだけの成果はあったと思う。


「いつにも増して傷だらけではないか。まさか、山にひとりで行っていたのか?」

「……いいつけ通りちゃんと里の中で自主練してましたって。っていうか、師匠は僕が何してたかなんて聞かなくても分かるでしょ? 心読めるんだから」

「ふぅ。お主の事だ。調子づくからあえて言わなかったが――ここ数日はよう見えんくなっての。もちろん儂が見る事だけに集中すれば見えるのだろうが。そこまでする事でもあるまい。鍛練の成果だろうな」

「えっ? マジですか! やったっ。ようやく僕の人権が保障される」


 朗報だ。ようやく僕は心に衣服をまとう事が出来たらしい。心の全裸族卒業である。すべて筒抜けというのは正直かなりストレスだったのでこれは非常に嬉しい。その気になれば見られる状態というのは少し気になるが、師匠も無闇やたらに内面を覗き見る事はしないだろう。それくらいの分別は持っている男だ。それにこのまま鍛練を続けていけば服よりも強固な鎧を着込む事も出来るはずである。読心対策。今後の課題だな。


「しかしお主。傷だらけの割には機嫌がよさそうだの?」

「ええ。ようやくあの崖の攻略の目処めどがつきましたから」

「……まことか? たった1日で?」

「ただの目処ですよ。実際まだまだです。もちろん明日とか明後日とかには無理ですって」


 例の大木以外に自然の霊力っぽいものを視認出来ていない。ボコボコになっている事からもわかる通り力加減のような制御も完全とはいえない。死なないラインの力の込め方がわかってきた、そんなレベル。多少の長期戦は覚悟すべきだろう。


「ふむ。どうやら見栄を張っている訳でもなさそうだな。いったいどんな鍛練をしているのだ?」

「木の…………いや、内緒です」


 素直に答えそうになったがある考えがよぎり口をつぐむ。

 

 今になって気づいたがあの大木は隠れスポットである。現在は僕が独占出来ているが、もしあの木の有用性がバレてしまったらどうなるだろう?


 里の住人はなぜだか僕の自宅の周りには近づかない。最初は余所者よそものだから避けられているのかと思っていたが全くそんな事はない。朝、ジョギングしているとよく声を掛けられるし美味しい食べ物をわけてくれたりもする。

 

 天狗は強くなる事に貪欲だ。そしてただの人間であるはずの僕が少しとはいえ神通力の入り口に立てたのは例の木のおかげ。鍛練の効率が半端ない。その事実を知られればきっとあそこは崖を超える人気スポットになってしまう。オープンしてすぐの行楽施設とは行列が出来るものだ。いくらデカいとはいえ里の住人がこぞって集まった場合は順番待ち待ったなし。

 未だにあの場所しか霊力を視認出来ない僕にとって、それはとてもではないが歓迎できない。いつ次の門が現れるかわからないこの状況。順番待ちの列に並んでいる時間などないのだ。


 僕の内緒発言に聞いていた者の反応は二通りに分かれた。かたわらにいる飯綱は不満を隠そうともしていない。逆に師匠は納得したように軽く頷いている。


「秘匿するか。それもまたよし。お主も天狗の心得を少しは学んだとみえる」

「えっと……秘密にしてていいんですか?」

「天狗とはあくまで個の道を追求する者だ。探求に秘密はつきもの。皆、少なからずそうしておる。なんら不思議ではないとも」


 一定の理解を示す師匠に思わず笑みがこぼれる。これで僕は自主練の場所を確保出来た。楽しい遊園地を独り占めしているようで申し訳ない気もしたが、師匠のお墨付きであれば気に病む必要もない。

 完全に憂いがなくなって気を良くした僕は明日からの自主練メニューを頭の中で組み立てる。真っ先に頭に浮かんだのはやはり自宅近くの異形の大木についてだ。


(あの白い花に触れる所までは行きたい。当面の目標だなぁ……にしてもあの花って何なんだろう。不思議な事に頂上付近に密集している枝にしか咲いてないんだよね。でも、てっぺんまで登れたら絶対綺麗なはず。是非登り切ってみたい)


 良い事が重なって浮かれていた僕は無意識に「この木なんの木気になる――」と某CMソングを口ずさむ。遠目から見れば巨大なカリフラワー。きっと頂上から眺めは格別に違いない。大木であるから絶景は保障されている。登り切ればそれを自分だけで独り占め。達成感も合わさり絶対気持ちいいはずだ。慣れて余裕が出来ればおにぎりでも持っていって朝食はそこで食べる事にしよう。鍛練にご褒美。まさに一石二鳥だ。

 

 巨木のてっぺんで白い花に囲まれながら朝焼けを眺め朝食を取る。そんな風に都合のいい妄想をしてニヤけていると、頬を膨らませながらジッとこっちを見ている飯綱と目が合う。

 なんだか気まずくなった僕は、ひとつ咳払いをした後話題を変えるため今日の晩ご飯のメニューを師匠に尋ねたのだった。





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