第14話 霊湯 天狗温泉


「って熱っ!? あっち!」


 冷え切った指先に凄まじい熱さを感じとり反射的に腕を引っ込める。危うくやけどするところだった。温泉は素晴らしいがこんな熱湯風呂に飛び込んだらあっという間にだこになってしまう。ひとり頭を悩ませていると飯綱が野ざらしになっていた木のおけを拾い上げ僕に言う。


「川の水入れないと」

「おぉ。さすが秘湯。温度の調整もワイルドだねっ。現代っ子だからこういうのうとくてさ。人が管理してない自然の温泉って大変なんだな」

「……さっきから嬉しそう。そんなに出で湯好きだったの?」

「もちろんっ。大好きだよ。今の僕が一番求めているものかもしれない」

「ふーん」


 飯綱から受け取った桶で川の水をドバドバ入れながら答える。温かい風呂に入るのは当面無理だなと諦めていたのでこれはとても嬉しい誤算だった。滝行で底冷えした肉体がその喜びに拍車をかける。体力は既に限界が近かったが無限に沸き上がる気力のおかげで、重労働であるはずのこの作業も苦を感じないものになっていた。


「よしっ。こんなもんかな」

「湯文字、着てきた?」

「……何度も質問ばかりでごめん。ゆもじって何?」


 少しだけ顔を赤くした飯綱からたどたどしい説明を受ける。

 湯文字とは入浴の際に着用する服であるそうだ。鍛練後、この温泉を利用する天狗は基本的に持参する物らしい。もちろん何も着用せず全裸で入浴する者もいるが、そういった者は神通力で周辺の気配を読み取り他者がいる時間を避けて利用するそうだ。ちなみに飯綱は気分屋の自覚があるようでいつでもすぐ温泉にいけるように服の下に着込んでいるそうな。海やプールを楽しみにしている子供みたいで実に可愛らしい。


「へぇ。バスタオルっていうか湯浴み着みたいな物なんだね」

「ここからならいづなすぐ戻れる。取ってくる」

「いやいや。いいよ。そこまでしてもらうのも悪いし。そもそも着方わかんないから。次の機会までに比良にその辺聞いておく。今日のところは頭に巻いてるコレがあるから十分だ…………ん? あっ! もちろん飯綱ちゃんが嫌なら時間ずらすよっ」


 指で汗拭き用に持参していたフェイスタオルを示しながら、ようやく飯綱が何を心配しているのか理解した。性別を考えればナチュラルに混浴である。

 相手は天狗。僕の中では未だに人外の認識が強く、しかも異性として意識できる年齢じゃなかったので全く気が回らなかった。相手が誘ってくれたのでホイホイついていき一緒に入る事に違和感を感じなかったのだ。僕にとって彼女はあくまで天狗の子供という認識でしかない。

 これがもし同じ人間相手で同年代の女の子や妙齢の女性だったらどうだろう? きっと絶対に同じ時間を避けていた。ひとりっきりの女児が相手の場合は尚更で普通に事案である。僕が子供に欲情する変態でないといくら主張したところで社会がそれを許さないはずだ。

 万が一異性の友人から誘われ混浴を避けられない状況であるなら湯文字とやらを無理をしてでも着用したかもしれない。僕にもそういった羞恥心は当然あるのだ。

 そして小さな天狗レディはそんな僕の様子から全てを的確に察したようである。


「……もういい。いづなも気にしない……」


 そう言うと飯綱は肩を落とし不貞腐ふてくされたようにしておもむろに服を脱ぎだした。さっきまでの躊躇ちゅうちょが嘘のようである。


(ちょっと元気なくなっちゃった。もしかして子供扱いしてたの伝わっちゃった? だったら悪い事したなぁ……まぁ、今更しょうがない。次は気をつけよう。それより今は温泉だっ)


 飯綱にならい手早く服を脱ぎ捨てる。ビショビショのボトムは水を切って日が当たる場所に天日干しにする。太陽は西に傾いているため効果は低いだろうがやらないよりはマシだろう。


 そうして諸々の下準備を終え、やっと待ち望んだ至福の時がきた。


 川の水を汲むのに使っていた桶を使って豪快にかけ湯を行う。足の傷口に湯が染みて痛みが走ったがそれを上回る快感が全身を襲った。やはり冷えきった体に熱い温泉の組み合わせはヤバい。気持ちよすぎる。かけ湯でコレなら湯に浸かってしまったらいったいどうなってしまうのだろう? 期待に胸を高鳴らせゆっくりと温泉に身を沈めていく。


「あ゛ぁぁぁっ………………ヤバ……何だ……この温泉」


 出した自分でも引くおっさんみたいな声が自然ともれ出る。気をつけようとしても止められない。飯綱が白い目で見ている気がするが「うー」とか「あー」とか意味も無い言葉が次々溢れ出てくる。


(……幸せだ……幸せ……最近マジでツイてなかったけど…………ようやく少し盛り返してきた……これからはずっと僕のターン……あぁ……何だか眠くなってきた……)


 しかし、久しぶりに感じていた空腹感が幸いしなんとか持ちこたえる。それでも緩い快楽はずっと続いている。まるで体が湯に溶けて自分と温泉の境界が曖昧になる今までに感じた事のない感覚。

 そんな中、今日負傷した足の指、滝の直撃を受け続けた肩や背中などがジワジワと熱を放ち少しだけ感じがした。

 違和感を感じて青黒くなっていた腕を湯から上げてマジマジ見る。少しだけ目を見張った。

 

(……湯治、かぁ。世の中不思議でいっぱいだ。だいぶ僕も慣れてきた。あまり驚かなくなってきたしね)


 打ち身が異常な速度で治っているのだ。まだうっすら赤いが濃い紫色だったさっきまでと比べれば一目瞭然いちもくりょうぜんである。熱を放っている部分は絶賛修復中という事なのだろう。普通の温泉効果で多少代謝が良くなるというレベルではない。


(いちいち考えるのもう何か面倒くさいし、僕にとっては好都合。何ら問題はない――今は何も考えずこの気持ちよさを味わう事にしよう)


 僕はそう思い、さらに深くその身を温泉に沈めていった。

 

 全身が温まり一通りの満足を覚えると同行者の様子が気になってくる。僕から少し離れたところに飯綱はいた。そういえば温泉に浸かる前にどこかよそよそしい感じになってしまって自分を優先するあまり気づかう余裕もなかった。

 チラッと盗み見れば心なしかしょんぼりしているようにも見える。これはいけない。せっかくこんな素晴らしい温泉に入っているのに。


(さっきの件もそうだけど天狗って心の成長も早いのか? 僕だったらこんな温泉見つけたら絶対泳いでるぞ)


 彼女の他に天狗の里に子供はいない。もうひとりの子供と見られている比良は自分と同年代なのだ。これでは周りに合わせて自分を閉ざしてしまう。健全な心の成長とはいえない。

 子供は子供らしく。別に泳げとは言わないがどんな場所でも子供は元気に笑っているのが一番。彼女はもう少し自分を出していった方がいい。


(……いかんな。よしっ。僕がいっちょお風呂のたしなみを教えてやるとするか。東小学校最強のスナイパーと呼ばれた僕の水鉄砲が再び火を噴くぜっ)


 道具を使わず手で水を飛ばす方法は何種類か存在するが、僕には自分独自に研究を重ね編み出した技術があった。手に水を含みそっぽを向く飯綱に声を掛ける。


「飯綱ちゃん。飯綱ちゃん」

「……なに?」

「くらえっ!」

「――――!!」


 飯綱は最小限の首の動きだけで僕の長距離射撃を回避した。残念ながら水の弾丸が彼女を捉える事はなかった。しかし、僕の水鉄砲は彼女の心を射止める事に成功したようである。すべて思惑通りとはいかなかったが生み出した効果は絶大だった。


「――すごいっ。どうやったの! いづなもやりたいっ」

「ふふ。いいよ。教えてあげる」


(やったぜ。ましていてもやっぱり子供だ。この年齢としで仮面を被って自分を殺すなんて僕が近くにいる間は許さんぞ)


 バシャバシャと勢いよく近づいてくる飯綱に満足を覚え僕は笑みを浮かべる。川の流れる音と虫の鳴き声に加え、新たにふたりの笑い声が山々に響く。賑やかになった入浴は世界が赤く染まり太陽がその姿を完全に隠してしまうまで続いたのだった。



「ご馳走様でしたっ。めっちゃ旨かったです」

「……? ごちそうさまです」


「うむ。よく食べたのう」


 飯綱が僕の真似をして挨拶している様子を師匠が微笑ましそうに見ている。現在、僕は師匠宅にお邪魔して晩ご飯を頂いていた。

 家の作りは僕が住んでいる場所とさほど変わらないが里長の家だけあってとても広い。聞けば保護者のいない飯綱とふたりで生活しているらしい。実の息子である比良は最近になって家を出てひとり暮らしをしているとの事だ。 


 晩ご飯は山の幸がふんだんに入った雑炊のような食べ物に大きな焼き魚だった。実にシンプルな構成だが物足りないという事はない。量が半端ないのと涙が出るほど美味しかったからだ。


(さっきの米だったよな。こういうのって誰が管理してるんだろう? 皆、鍛練で忙しいって聞くけど当番とかあるのかな。考えてみれば塩の調達も……いや。この人距離を無視して移動出来るとか聞いたし、やりようはいくらでもあるか)


 山に半ば同化している里の面積はもの凄く広い。飯綱と鬼ごっこしている間に畑や水田っぽい物もいくつか確認出来た。満腹感を感じながら天狗の食料事情を考えていると師匠から明日からの予定を告げられる。


「今日見た感じだが体力が全然足りてないな。次の鍛練をやるにしてもそれが無ければ何もできん。当面は限界まで里の中を走り込んで締めに滝行を行う方向性で考えておる。消耗が激しい場合は出で湯でその日の疲れを癒やすのも良いだろう」


(よしっ。毎日入る事にしよう。今日と同じ鍛練を繰り返すのは正直しんどいけど、あの温泉にはそれだけの価値がある。楽しみがあれば修行にも身が入るってもんだ)


「里の中では危険がないから走り込みは自由にしていいが滝行を行う場合は儂かせがれ、もしくは飯綱に声を掛けろ。いかに近い山とはいえお主にとってはまだ危険が多い」

「分かりました」


 そこまで聞いたところで飯綱が少しソワソワしているのに気づく。


「じゃあ明日も飯綱ちゃんにお願いしようかな」

「――! 走るのもいづなが見ててあげる。少しでいいからまた鬼ごっこもやりたいっ」

「……明日はかくれんぼにしよっか」


 興味の対象がかくれんぼに移ったのか、興味津々で僕に尋ねる飯綱の姿を師匠は終始機嫌良さそうに手酌で酒を飲みながら眺めていた。


 こうして僕の鍛練の日々が始まる。


 天狗の住まう霊山。自然の霊力に満ち足りたこの場所では現代の常識など通じない。己の意思ひとつであらゆる不可能を可能にする事が出来るのだ。

 日々の過酷な鍛練と里に満ち満ちた霊力。肉体は本人に自覚がないままありえない速度で破壊されまたたく間に再生される。繰り返される破壊と再生。里の天狗達と比べ貧弱極まる体は誰もが想像出来ないスピードで作りかえられ超人として生まれかわっていく。


 そして自作のカレンダーである石版に正の字がふたつ刻まれた頃。


「――――ふぅ。今日はこんなもんかな」

「ふむ。大分余裕が出てきたな」


 1時間ほどで滝の中心部から引き上げ、肩を回していると師匠から声が掛かった。その言葉につられ背中に首を回してみる。ほんの少し赤くなっているがただそれだけだ。自分の成長を実感すると同時に慣れの恐ろしさを知る。少し前には考えられなかったが人間意外と何とかなるものだ。そんな事を考えていると……


「そろそろ次の鍛練を始めるとしようかの」


 本当に慣れというのは恐ろしい。師匠が次なる試練を与えようとしていても、僕はため息をひとつこぼすだけで気持ちを切り替える事が出来たのだから。


「……お手柔らかにお願いします」


 その発言を聞いた鬼畜な天狗は深い深い笑みを浮かべてゆっくり頷いていた。

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