第13話 無茶ぶり開始


『本当に大丈夫なんでしょうね?』

『さっきから言っているだろう。鍛練用の滝は3つ存在するがこの場所は梅の滝と呼ばれ下流に位置する優しい滝だと。上流に位置する2つの滝と比べれば水の勢いも弱く、危険な流木なども落ちてこんし……いったい何を恐れているのだ?』


(この水の勢いが弱いだって? 冗談じゃない。イカれてる)


 先ほど行われた会話の内容を思い出しつつ、上着だけを脱ぎ泳いで滝つぼへ向かっていく。激しい落差から叩きつけるように降り注ぐ水により、大量の水しぶきが空気中に漂っており視界は半端なく悪い。マイナスイオンとか絶対すごいはずである。

 必死に泳ぎながらも、水量が凄いこの状態でどうすれば滝行が出来るのかと疑問に思っていたが近づいて分かった。滝つぼには足場になるのにうってつけの平たい大きな岩があり、つまりそこに立てというのだろう。今までは水しぶきで見えなかったが滝つぼに沿ってピンポイントでそんな岩が横に綺麗に並べられている。

 自然にできた物ではなさそうなので恐らく天狗が作った物だろう。これならば少し離れた場所に登って、自分のペースでゆっくりと滝つぼへ近寄っていけるはずだ。無理なら引き返せばいい。


(師匠が言うには他の2つの滝と違って水以外の物は落ちてこないっていうからな。死ぬ心配はないはず……極めれば自然と一体になれて流木なんか無意識にかわせるらしいけどねっ――ふざけてるっ)


 この鍛練は心身の強化は元より神通力の会得にも繋がる大切な修行らしい。師匠は「研ぎ澄ました精神で世界と一体となり大地の声を聞くのだ」とまたもや電波な事を言っていた。他にも基本的に他の鍛練を行った天狗が1日の締めとして滝行を行うとか何とか。汗も洗い流せて一石二鳥であるとも。ふざけた話であるが天狗にとってはまさにシャワーの代わりなのだろう。

 頭の中で悪態をついてるうちに辿り着いてしまった。足場に登っておっかなびっくり滝つぼの中心へ近づいて行く。

 

「あれっ? 意外とイケる? ………………あ。無理だ――――痛っ! 痛いっ。痛いって!」


 途中から信じられない衝撃が身体を襲った。当たり前だが滝とは自然のもの。水の勢いには場所によってバラつきがあり少し位置を変えただけで危険性は跳ね上がる。中心部は気を抜けば一瞬で押しつぶされそうだった。勢いが弱い場所が安全という保障はない。もし風向きが変わるなどして滝が少しでもを起こしてしまった場合は……命の危険を感じ慌てて離脱する。最初はイケると思ったがとんでもない。見た目に違わず高所から勢いよく落ちてくる水に物質的な重量を感じた。水ではなく岩でも浴びているようだった。少し離れて首を後ろに向けて見ると背中が真っ赤になっている。


「情けないのうっ!……アレを見てみいっ」


 涙目になり「これは無理だ」と出かかった僕の言葉を塞ぐように師匠から大声が飛んできた。この瀑布にも負けない空間に響く声だ。つられるがまま後ろを振り返る。そこには最も勢いの激しい滝つぼの中心で、滝に打たれながら目をつむってたたずむ飯綱がいた。


 師匠に言われるまで気づかなかった。


 きっと僕を追いかけてついて来ていたのだ。大きな滝に打たれる小さな少女は今にも折れてしまいそうで、傍目はために見てもその姿はあまりに頼りなく映る。しかし実体は違う。飯綱の表情に苦悶くもんの色は全く無い。むしろ静謐せいひつさすら感じる。ピンと張った背筋は大地に深く根を張った大木のように揺るぎない。

 そんな彼女が師匠の声に反応して薄らと瞳を開ける。出会った時とまるで変わらぬその緋色の瞳と視線が重なった。


(……くっそ)


 出かかった降参の言葉を飲み込みきびすを返す。を見て『僕には無理だ』なんて言う事は出来ない。僕にだってプライドがある。いかに天狗といえどあんな小さな子に出来て自分に出来ないはずはないのだ。


『為せば成る為さねば成らぬ何事も』


 昔の人は良い事を言った。まさにこの鍛練は気持ちの問題。現状すべてにおいて遅れをとっている自分が唯一戦える可能性のある心、精神力で負けるわけにはいかないのだ。

 僕はこんな場所で立ち止まる事など許されない。不可能を成そうとしている男がこの程度の事で根を上げるなど笑止千万なのだ。

 そう固く決意をして滝に向かっていく僕の様子を、師匠は満足げに見て頷いていた。



「ふむ。初回にしては存外粘ったの。小半刻も持つとは」

「…………」


 比較的勢いの弱い端っこの方で滝に打たれること約30分。滝から離れブルブル震えながら座り込んだ僕はもはや言葉に応じる余裕がない。背後に回った師匠が僕の背中を見て顔をしかめているのが分かる。痛みはない。というより既に背中の感覚が無くなっている。腕の部分が内出血で紫色になっているため大体の予想はついていたが、背中もかなり酷い事になっているらしい。首を回して自分で確認する勇気はなかった。見たら心が折れそうだ。


「酷いな。今日は元々これで終わりにするつもりだったが……薬草を煎じて飲んでもこれでは明日に響くかもしれん」

「いでゆに入ったらいい。すぐ治る」

「……ふむ。ここまで根性みせるとは思わんかったからな。ソレも必要か」


 僕の代わりに師匠と飯綱が言葉を交わしている。その間も無言で凍える体をさすって暖を取っていればやっと呼吸が落ち着いてきた。身体のいたるところに痺れがあり未だに芯から湧いてくるような震えは健在だが、呼吸が落ち着いた分だけほんの少し思考に割く余裕も生まれる。


(――――――死ぬかと思った。よく生き残ったよ。本当に。っていうか、いでゆって何? まぁいいや。鍛練じゃないみたいだし。とりあえず今日はこれで終わりか。でもこれが明日からも続くの? ……僕の体、持つのかなぁ……)


 そんな事を考えている合間にも彼等のやり取りは続いていく。


「いづなが連れてく。叔父さんは先に帰っていい」

「――――驚いたな。そこまで気に入ったのか? 此奴こやつのどこが良かったのだ? 最近、儂やせがれとは一緒に入ってくれなくなったのに……」


「……っとと。いきなりどうしたの? 飯綱ちゃん」


 急に腕を引っ張られて立ち上がる。見れば師匠の言葉を華麗にスルーして僕の近くに移動していた飯綱が腕を掴んでいた。残念ながら僕に拒否権はなさそうである。


「はやく行こ」

「ちょっ。待って、待って。どっか行くなら上着とか貰った薬草も持ってかないと」


 正直肉体は限界で早く家に戻って休みたかった。明日も鍛練するのなら少しでも体を癒やす必要がある。だが僕と同じ鍛練を行い、同じようにびしょ濡れの子供の手を振り払うわけにもいかない。ここで泣き言をいうのはあまりにも格好が悪すぎる。


「うーむ。反抗期かのぅ。年頃のおなごは難しい……2人共。こちらで夕餉ゆうげの支度はしておくから帰りに儂の家に寄れ。ゆじもいいがあまり遅くならんようにの」 


 「ゆじ?」と再び首をひねる僕の手を引き飯綱は師匠に頷きを返す。こうして何が何だか分からないまま記念すべき初めての鍛練は終わりを告げ、僕はこれから長い付き合いとなる滝を後にしたのだった。



「飯綱ちゃん。いったいどこにいくの?」

「いでゆ。もうすぐ着く」


(だから、いでゆってなんやねん)


 師匠と別れ口数が少なくなってしまった彼女に尋ねるが目的地は未だにわからないまま。飯綱は流れる沢に沿うように移動しており滝がある場所からはもうそこそこの距離を歩いている。まだ日が差している事もあり気温はそこまで低くないが、ふたりともびしょ濡れのためこのままでは風邪をひいてしまうと危惧し始めたころ、ツンとした匂いが鼻先に漂った。


(ん? あれ? この匂い……それに。あれって湯気? まさかっ!)


 態度のおかしかった飯綱への困惑が期待に変わる。疲労で重くなっていた足取りが自ずと軽くなり、ついつい小走りでその場所へ急ぐ。そしてついにソレが目の前に現れた。


「おぉぉ……マジか。マジかっ! いでゆ……湯治ゆじってこと!? やったっ。露天風呂。温泉じゃんっ!」


 独特の鼻をつく匂いは硫黄臭だ。これは山の中にある秘湯――所謂いわゆる、野湯である。川が真横に流れる天然の岩風呂はいつかネットで見た北海道に存在する秘湯……然別峡しかりべつきょう温泉の鹿の湯に似ていた。

 予想外の展開でテンションが急上昇した僕は飯綱が口を開く前にその温泉に手を突っ込んだのだった。


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