第12話 神足通


「まずはこれをいてみよ」


 そう言って愛宕改め師匠は手に持っていた下駄を差し出した。天狗達が履いている一本歯の高下駄である。受け取ってみると見た目に反してズッシリ重い。靴と靴下を脱いで言われるがままに下駄を履いてみる。


(意外と重い。うーん。大きさ的にそこまで軽いとは考えてなかったけど、マジで何の木を材料にしてんだコレ?)


「……やっぱり安定しないなぁ。バランス取るのが難しい」 

「そう?」


 今まで黙っていた飯綱が不思議そうな顔をしているが、歩きやすい現代の靴に慣れた僕にとっては慣れるまで時間が掛かりそうだった。

 しかし、これなら歩いているだけで体幹のトレーニングになりそうだ。重心を意識するためバランス感覚を鍛えられるのはもちろん、下駄の重量による筋力アップも期待出来る。スポ根の漫画みたいで何だか楽しくなってきた。

 ひとりでニヤニヤしていると師匠から声が掛かる。


「研ぎ澄まされた感覚を身につけるには丁度よいのだ。慣れば問題あるまい。そうだな……慣らしも必要か。まずはそれを履いて里を見て回る。鍛練はそれからだ」

「分かりました」

「いづなが案内する」


 飯綱の発言に愛宕が目を丸くする。だが微笑ましそうに一度笑みを浮かべると大きく頷きながら言った。


「なら飯綱に任せる。無駄に広いから何処に何があるか、しっかり案内してやるといい。儂は一足先に鍛練を行う滝で待っているとしよう」

「わかった」


(滝? おぉっ。もしかして最初の鍛練は滝行って事? それっぽいな! テンション上がってきたっ)


 そして黙って聞いていればどうやら飯綱が案内してくれるらしい。随分懐いてくれていて僕も嬉しくなる。そこで今朝のやり取り思い出す。これは良いことを思いついた。


「そうだ。飯綱ちゃん。ただ歩いているだけじゃつまらないから鬼ごっこしようか?」

「おにごっこ?」

「案内する飯綱ちゃんが逃げる人、そして僕が鬼だ。こういう風に……タッチされたら飯綱ちゃんの負け。ソレをこの里を案内しながら行う。だから、隠れちゃダメだよ? どう?」


 そう言って飯綱の肩に手を置く。案内と言ってもほとんど何もない所で子供には退屈のはず。であれば約束していた人間の遊びをしながらでも問題ないだろう。走ったりする事で僕も鍛練を兼ねる事が出来る。案内というハンデがあっても飯綱の健脚っぷりであればすぐに捕まるという事もあるまい。僕がこの下駄に馴れるにも丁度いい。そんな事を考えながら飯綱の反応を見る。


「……楽しそう」

「よしっ。じゃ、合図したら鬼ごっこ開始だ。繰り返しになるけど、必ず僕の目につく範囲にいなきゃダメだからね」

「うん」


(ふふ。瞬発力では勝てないかもしれないけど持久力はどうかな? 保険であまり離れちゃいけない足かせもつけた。少しは僕も大人の威厳を見せてやる。情けないトコばっかり見られてるし、そろそろ価値観のアップデートしとかないとね)


 師匠が呆れたような顔をして僕を見ているが止めるつもりもないようである。であれば知った事ではない。僕は負けず嫌いなのだ。勝つための小細工も時には必要。遊びとはいえ勝負の世界の厳しさを知るといい。


「じゃ、始めるよ…………よーい。どんっ」

「――――――――

「……へっ?」


 合図を行い無防備な彼女に手を伸ばしかけた瞬間、ズドン、と。目の前でソレは起こった。

 例えるなら彼女のソレはまさにいかづち。電光石火。瞬間移動とも見間違うほどの移動速度は音すら置き去りにする。何が起こったのか分かっていない僕の目では、残像すら捉える事がかなわない。遅れて踏みしめた大地が爆発したようにはじけ飛び、隣にいた僕は衝撃で思わず尻餅をつく。パラパラと巻き上げられた砂粒が頭に降り注ぎ、鈍重な僕の脳みそはその時点でようやく再起動を始めた。


 慌てて横を見れば地面が大きくえぐれている。万が一、真後ろにいたらどうなっていたんだろう? ……考えるだけで恐ろしい。身体能力がどうとか最早そういうレベルではない。これは人が決して成し遂げる事が出来ない神の御業みわざだ。

 気づけば彼女は50メートルほど先にいて僕に向かって無邪気に手を振っていた。近くで今までのやり取りを黙ってニヤニヤしながら眺めていた師匠に説明を求めるが、驚きのあまり咄嗟とっさに声が出ず彼女を指さすだけに終わってしまう。


「――――っ!?」

「どうした? 大人の威厳とやらを飯綱に見せるのではなかったのか」

「――いっ! いやっ。おかしいでしょ!? 何ですかっ。あれは!?」 

「ふむ。神足通じんそくつう。六通のひとつだな。心を読む他心通たしんつうに続きお主が体験した記念すべき2つ目の神通力。もっと喜んだらどうだ?  神足通は飛行や壁歩き、水面歩行など使い手の望みにより形を変える。飯綱の場合は……速さに特化しておるの。六通の中では最も多様性がある能力ちからだ」

「……もう何と言っていいのやら」


 あれではまるで人の形をした戦闘機である。冗談も大概にして欲しい。


「六通の中は基本中の基本で皆が最初に取り組む道でもある……恐らくお主が望む道も神足通を極めた先に繋がっているのではないか? ここで見られたのは僥倖ぎょうこうじゃったのう?」

「え? それって……」


 タイムトラベル。ひっそりと心に誓った時間の壁を超えるという神への反逆行為が頭に思い浮かぶ。


(そっか。当たり前だよな。ナチュラルに会話してるから気づかなかったけど全部筒抜けだった……これも何とかしないとな。確か修行すれば防げるようになるんだっけ?)


「だの。お主の心は現状丸裸だ。他の天狗同様、自然の霊力を取り込み心身を鍛えていけば心にころもまとう事も出来よう……それよりいいのか? 飯綱を放置しておいて」

「あ」


 見れば遠くでつまらなそうにたたずむ飯綱の姿が見える。あんなとんでもない子にヘソを曲げられたらたまらない。


「飯綱ちゃーんっ! ちょっ、ちょっとだけ、待ってっ。中断してルール変更しようっ。神通力はなし。衝撃波が出るような移動も控えてっ。僕が死んじゃう。僕から離れていい距離も大体そこら辺まで。うん。5メートルくらいにしよっか。そっちの方が飯綱ちゃんもきっと楽しいよっ!」


 今のままでは到底わからせる事など出来そうも無い。このくらいのハンデをつければきっと僕にも勝ち筋が見える瞬間があるはずである。もうなりふり構っていられない。どうしても彼女の悔しがる顔がみたい。


「……お主、まだ勝負にこだわっておるのか? しかもどんどん自分に有利な条件を後付けで加えて。無垢むくな子供をだまして勝つような真似をして恥ずかしくないか?」

「負けるのが嫌いなだけです。勝ちに貪欲と言って下さいっ。それに僕は世間知らずの少女に鬼ごっこを教えようとしたのであって、戦闘機と追いかけっこしたいんじゃないっ」


 僕は振り返りもせず師匠にそう返した後、こちらに近づいてくる飯綱に向かって駆け寄っていく。彼女に勝つ事だけを必死で考え始めた僕の脳内では、履き慣れていない高下駄の事など考慮する余裕は既にこの時点で無かったのだった。




「楽しかったっ!」 

「――――ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……うっ、おぇっ」


「いったい何をやっているんだ。お主は」


 興奮冷めやらぬ飯綱、そして呆れた顔の師匠がこちらを見ている。だが僕は答える余裕がない。今にも吐きそうである。


 結論から言えば、僕の飯綱わからせ計画は失敗に終わった。


 あの後、様々な縛りを追加しようとも飯綱は僕の想定を遙かに超える動きを見せ、小ざかしいルールなどまるで存在しないように縦横無尽じゅうおうむじんに駆け回った。ようやく追いつめたと思っても、きゃっきゃっとはしゃぎながら数メートルの高さのバク宙を決め、余裕で回避する者相手にいったいどんな立ち回りをすればよいのだろうか? 飯綱は大変喜んでいるが少なくともこんなの僕の知ってる鬼ごっこではない。鬼ごっことはもっとこう、童心にかえれる物なのだ。アクロバティックに動き回る者を嘔吐えずきながら追い回すのは絶対に違う。

 そういえば当初の目的は里の案内と下駄に馴れる事だった。考えてみれば鬼ごっこをやりながらも、思い出したように飯綱は里の案内をしてくれたような気もする。

 しかし、正直なところ彼女を捕まえる事に躍起やっきになっていた僕の頭には何も入っていない。気づけば大きな滝の前に佇む師匠が目の前にいたのである。

 師匠の言うとおりだ。おかげで替えの服が無いのに汗だくでビショビショである。本当に何をやっているんだろう。シャワー浴びたい。


「はぁ……はぁ……ふう――――あ痛っ」


 やっと一息ついたところで足先に痛みを感じて顔をしかめる。足を見れば親指と人差し指の間から血が出ていた。どうやらなれない下駄で走り回ったせいで、下駄の鼻緒で傷つけてしまったらしい。


「ほれ。いずれそうなるだろうと思い探しておいた。寝る前に潰して傷口に塗るといい。よく効く。次の朝には治っているだろう」

「何ですかこの大量の葉っぱ……あ。もしかして薬草?」

「そうだ」

「ありがとうございます」


 やはり厳つい顔に見合わず気づかいの出来る男だ。この薬草もこちらの世界の物。きっととんでもない効き目に違いない。ありがたく使わせてもらおう。


「さて、それはそうと身体も十分温まった頃合いだろう? 鍛練の時間だ」

「やっぱりやるんですね。で、今までツッコミませんでしたけど……」

「なんだ。どうした?」

「鍛練ってこの滝でやるんですか?」

「当たり前だろう? お主も先ほど期待していたではないか」


 ドドドドドッと流れ落ちる大瀑布だいばくふに目をやる。昔ネットで見たことがある華厳けごんの滝にそっくりだ。あの時は純粋に綺麗で迫力があると感心したものだったが、今となっては決してそんな目で見る事は出来ない。滝行とはこんな大きな滝で行うものではない。死活問題なのだ。

 

(いや……無理。コレ死ぬでしょ……親切というのは撤回だ……実は鍛練にかこつけて僕を殺す気なんじゃないの?)

 

「ずいぶん汗もかいているようだ。しゃわーとやらを浴びたいのだろう? 願いが叶って良かったな」


 実は天狗じゃなくて鬼なんじゃないか? 満面の笑みを浮かべる師匠に対して僕は、抗議の視線を送り続ける事しか出来なかった。

 

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