第11話 師弟関係


(……? ああ。そうか。そうだった。やっぱり夢じゃなかったんだ)


 朝、チュンチュンとうるさく騒ぐ小鳥の鳴き声で目が覚める。夢は見なかった。ゆっくりと体を起こして軽くストレッチを行う。不思議な事にあれだけ昨日動き回ったはずなのに覚悟していた筋肉痛は無く、特に不調はない。それどころか体が異様に軽い。


(引き続きお腹もあまり減ってない――正直、体調は絶好調だから不都合は無いんだけど。ちょっとだけ恐くなってきたな。こっちに来た事で体に何か悪影響を受けたんじゃ? ……比良に後で聞いておかないと)

 

 昨晩食べたのは大きいとはいえ魚一匹。昼食は高尾山の出店で食べ歩きする予定だったので食べ逃しており、激しい山登りを長時間行った事を考えれば消費したカロリーと摂取したカロリーが明らかに釣り合ってない。


(帰るとか修行とかそれ以前に環境が変わって死んじゃった、なんて洒落しゃれになってないからね――よしっ。今日から気合い入れていこう)

 

 弱さは昨日に置いてきた。やる事が明確になっているのなら、後はただ前に進むだけだ。意気を上げて家を出る。そうすればまず最初に異様な大樹が目に飛び込んで来た。

 

「……でっか。あっち側だったら世界遺産で観光名所間違いなしだね。もったいない」


 昨晩は暗くて全容がわからなかったが本当に見事な木である。幹の太さ、木の高さ共にこれほど立派なものはネットでも見た事がない。まるで巨大なブロッコリーのようだ。ほとんど影になっていて分からなかったので、少し距離を取って確認してみると木のてっぺん付近には白い花らしきものが乱れるように咲いていた。

 あまりの高さのため太陽が昇っていても詳細を肉眼で確認出来ない。植物に詳しくない僕であれば当然のことながら品種など分かるはずもなかった。


(ブロッコリーっていうより上が白いからカリフラワーだな。この摩訶まか不思議な木ほどではないけど他の木もかなり立派だったし。僕が知らないだけでこっち側にはこういう木がいっぱいあるんだろう。根元の辺りに転がってる石もデカい。全てのスケールが違い過ぎる……あ。そうだ)


 とある事を思いつく。再び家の近くの大樹の根元、何気なく転がってる大きな石のひとつを見繕みつくろい拾った別の小石で1本小さな横線を入れ傷をつけた。

 無造作に転がっているこの石もそれなりに長い時を歩んできたのだろう。年月という研磨材に磨かれた石はのっぺりしていて、まるで石版のようである。表面に傷がついた石を見て僕は満足げに頷いた。


「うん。これでよし」

「何してるの?」

「うわっ……なんだ飯綱ちゃんか。おはよう。相変わらず急だね、もう馴れたけどさ。これはカレンダーを作っていたんだ。この木は必ず目につくからその近くにあるこの石は丁度良いかなと思ってね」

 

 つるっとした表面の石に正の字を刻み、経過した日数を把握する簡易カレンダーである。当たり前だが不老の天狗にカレンダーなんて文化は必要ない。だからこれはあくまで僕のための物。ちっぽけで粗末な物であるが人の世界の文化の事を忘れずに、必ず帰るのだという自分なりの意思表明だ。

 経過時間を見える化する事で流れる時間を曖昧あいまいにせずに、最終目標に向かってこれから走っていくためにも大切な事である。

 日数をカウントする事で門について何らかの気づきがあるのではないか、という思惑も多少ある。そんな事を簡単に飯綱に説明するが彼女は可愛らしく小首を傾げていた。

 

「いづなにはわからない」

「あくまで人間の文化だから。飯綱ちゃんにはちょっと難しいかもね」

「もっと詳しく教えて欲しい」

「もしかして人間に興味があるの?」

「……うん」


 比良もそうだったが若い天狗は人間社会に興味津々のようである。もしかしたら、ど田舎の若者が都会に憧れる感覚に近いのかもしれない。求められれば是非も無し。純朴じゅんぼくな田舎者の若人わこうど2人には、シティボーイである僕が流行の最先端をという物を教えてやらねば。


「わかった。じゃあ、今度飯綱ちゃんにもわかるような簡単なものから教えてあげる」

「ほんとう?」


 素直に頷いてみせると彼女は出会って初めて屈託なく笑った。ただでさえ娯楽の少ない環境だ。特に飯綱のような好奇心の強い子供にとっては退屈だろう。小さい子でも一人で楽しめる遊びから教えてあげるのがいいかもしれない。


「そういえば今日はどうしたの?」

「……そうだった。叔父さんが呼んでこいって」

「おじさん? ああ。愛宕さんね」


 比良に頼んだ修行の件に違いない。特に予定の無かった僕はこれ幸いと飯綱の案内に従い愛宕の元に向かう。

 少し歩いていれば愛宕はすぐに見つかった。里に流れる小川の近くに腰を下ろして手に持った高下駄をいじっている。挨拶しようと近づくと僕らの存在には先に気づいていたようで彼から声が掛かった。


「来たな……うむ。よく寝られたようで何よりだ。とりあえずそこで顔を洗っておけ」


 彼の指示に従いそのまま川の水をすくう。冷たい。透き通ったキラキラと輝く水は汚染とは無縁の代物でどこか神聖さすら感じさせる。思わずゴクリと喉が鳴った。


「この水って飲んでも大丈夫な水ですか?」

「? 当たり前だろう。何を言っているんだ――――――寄生虫? 感染症? よくわからんが。里の連中は今まで水を飲んで不具合を起こした者はいない」


 僕の懸念を文字通り読み取った愛宕からの助言を信じ川の水を一気に飲み干す。美味しい。っていうか旨すぎるっ。体全体にジンワリ染み渡り芯から力が漲ってくる。何だコレ!?


「この水なんですか!?」

「い、いや、ただの水だが。いきなりどうした?」

「コレが普通の水なわけがないでしょう?」


 エナジードリンクなんて目じゃない。天然水業界の革命だ。昨日、魚を食べた時も思ったが口に入れた瞬間に力が湧き上がる食べ物や水など僕は知らない。 


「――ああ。霊域の水だからな。あちらとは違い儂らの住まうこの場所は自然の霊力で満ちておる。広がる大地、そこで暮らす生き物、肉眼で捉えられぬ空気など例外なく全て物にだ。だから水もを多分に含んでいる。天狗の強さの秘訣だの」

「……えっと。それって僕みたいなのが飲んじゃって大丈夫なんですか?」

「むしろ今のお主に一番必要な物かもしれん。ほれ。確か儂らの真似事をして暮らす者達が人間の中にもおるじゃろう?」


 愛宕が言うのは山伏やまぶしの話だ。山岳信仰。一般の人々が暮らす日常とはかけ離れた山を他界……別の世界に見立て生活する人達。僕は知らなかったが彼等は敢えて過酷な環境に身を置いて、厳しい鍛練を己に科す事で自然の霊力を取り込み身につける事を目的にしているという。端的にいえば好き好んで苦行に身をさらす人である。マゾかな?


「向こうにも霊力は存在する。だがこちらと比べ質が悪く量も少ない。鍛練で体に取り込むにしても、まず始めに霊力がどういった物か感じ取れなければ効率は非常に悪くなる。意味がないとは言わんがの」


 昨夜食べた魚も今飲んだ水も口に含んだ瞬間に分かった。美味しさもそうだが明らかに普通の物とは違う。自然の霊力、か。改めて川の水をマジマジ見る。


「そういう意味ではお主は最大効率でそれらを取り込む環境に身を置けた訳だ。奴らにしてみればまさに垂涎すいぜんの的で理想の環境だろう。お主が置かれている状況をあの者らが知れば血の涙を流してうらやむに違いない」


(ドM達の憧れとかマジで勘弁してよ。僕は好きやってるんじゃない。必要だからやるのだ……ってあれ?)


「もしかして、こっちに来てからあまりお腹が空かなくなったのって」

「十中八九、空気の中に満たされた霊力を取り込んでいるからだ。肉体がそれらを力に変えているのだろう。お主がこれまでと同じ生活をするのであれば、何も飲み食いせずとも当面は過ごせるのではないか?」

「……不思議パワー半端ないな」

「最も、だ。お主は己を鍛え強くなる事を選んだ。強さを求めるなら間違いなくソレだけでは足りなくなる。率先して食べ霊力を体に取り込んでいくと良い」

「あ。比良から聞いたんですね。はい。これから宜しくお願いします……それと、何か僕が手伝える仕事ってありますか?」

「うむ? 仕事とな」


 それは朝起きた時から考えていた事だ。目標も定まり気持ちを切り替える事が出来たため自分を客観視する余裕も出てきた。そして思う。彼等には流石に世話になりすぎている。働かざる者食うべからず。今の自分に何が出来るか不明だが他人の善意に甘えるだけの人間にはなりたくない。


「心意気は立派だ。ならば儂から言える事はひとつ。必死で鍛練をして一刻も早く強くなれ」

「えっと。それじゃ結局、僕の為にしかならないんじゃ」

「そうではない。人の世界に帰るにしてもここでの生活にしても、お主には致命的に足りていないのだ。率直に言って――弱すぎる。危なっかしくて目が離せん。実は鍛練の件も儂から提案しようかと思っていたのだ」

「……そこまで弱くはないと思」

「弱い。今の人の暮らしについては知らんが、こちらではお主は絶対に通用せん。里から一歩でも出れば危険地帯だと思うのだ。まずはしっかり己を鍛え自立する事だな……人の世であっても幼子に気遣われたら微笑ましいが、ねだられたからと言って大切な仕事を任せたりは決してしないだろう?」


 散々な言われようだった。少し前の僕だったら反射的に言い返していたかもしれないが黙って耐える。不思議パワーの霊力の件もそうだが自分はあまりにも無知だ。天狗と神が対立している世界、自分の知らない危険も多いに違いない。

 前提の知識もなく感情的になっていちいち反論していたら、愛宕の言う幼子と変わらない。いい加減そのステージからは卒業するべきだろう。

 そこまで考えたところで愛宕を見れば感心したように「……ほう」と声をもらしたのが見えた。彼は続ける。


「それだけではないぞ? お主が帰る場所、門が再び開き繋がった先。人の世の事だ」

「帰った後? あっち側が危ないって事ですか?」

「ああ。昨日も言った通り門のせいで時間の流れは歪んでおる。万が一かなり時間が経過していた場合、環境は一変しているだろう。変わらぬ天狗と違い人の世の変化は激しすぎる。あらゆる状況に適応するための実力は不可欠だ――ただでさえ人はいくさが好きなのだろう」

「……そっか」


 技術の発展は凄まじい。この百年で人類の生活は劇的に向上した。考えもしなかった。それがマイナス方面に向かっている場合もあるのだ。便利な物、最新の技術、兵器。作ったら試したくなるのが人のさがである。

 核戦争。時間が進んだ未来ではそんな事が実際に起こり、世界が荒廃している恐れも十分ありえるのだ。


(被害に遭うのはいつも関係ない一般人だ。腹立つ。死の商人とか推進している上の奴らに限って安全圏でのうのうとしている。甘い思いだけして痛みが無いから分からないんだ。自分達だけでやれよ。そして思い出せばいい。殴ったり殴られたら痛いって当たり前の事を)


 やっと調子が戻ってきた。思わず笑いがもれる。昨日までの自分なら愛宕からその可能性を示唆しさされた時点で再び絶望していただろう。だが、決意して弱さを捨てた僕はくじけない。その証拠に頭の中では聞きかじっただけの、にわか知識でいつも通りのくだらない持論を展開している。

 愛宕もそれを正確に読み取り笑いながら話にのった。


「火縄銃の時も思ったが人の進歩は凄まじいな。とどまることを知らんと見える。しかし核、か。儂と喧嘩したらどちらが強いか」

「えっと。愛宕さん。核は個人に使う兵器じゃないっす……」


 戦術核、戦略核。規模に違いはあるがいずれにせよ戦争の行方を左右する代物で、打ち合いになってしまったら世界が終わってしまいかねない。もちろん決して個人が相手取る物ではない。が――底の知れないこの人が言うと少々洒落になっていない。何せ神さまから敵視されている危険な一味のリーダーなのだ。


「人の行く先に興味は尽きんがまずはお主の事だろう。里の者と話して決めた結果、鍛練はしばらく儂が見る事になった」

「え? 愛宕さんが直接ですか?」 


(知らない人よりはいいんだけど……一応偉い人なんだよね。大丈夫かな?)


「ああ。他の者には頼めん。皆、気の良い奴らではあるが根は天狗、自身の探求が最優先だからの。儂も自己鍛錬は欠かさぬがある程度己の道筋は見えておる分、他の者と違い多少の余裕はある。だからこそ里長なんてものをやっておるのだ。そもそもお主を里へ招き入れたのは儂だしな」

「僕としては助かります。じゃあこれから宜しくお願いしますね、

「お……おぉ。任せるがよい」


 諸々面倒を見てもらっているため、下手に出ていきなり師匠呼びしてゴマすりを開始する僕に対して、愛宕は嬉しそうに笑みを返して大きく頷いた。


 



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