第9話 宴の夜と長の息子


「ようやく見えてきたの」 

「あれ? なんか燃えてません?」


 僕らが彼等の集落に辿り着いたとき辺りはすっかり暗くなっていた。そんな中彼等の集落の中心部と思われる場所から、こうこうと炎の柱が上がっているのが遠目にも確認出来る。

 大自然で暮らす彼等ほど夜目が利くわけではない。だがここまでの道のりで暗闇になれた目だからこそ、その火柱は際だって輝いて見えた。まるで小正月に行われる左義長さぎちょうのようである。


「歓迎の宴の準備をしているのではないか? お主の存在は既に次郎坊が知っておる。そこから皆へ伝わったのだろう。儂らの里に客人など本来ならありえんからな」

「歓迎……」


(うーん。僕もお祭り騒ぎは好きだけど、今だけはとてもそういう気分ではないんだよなぁ)


「なに。別にただの顔見せよ。ここに来るまでにも説明したが住人はそう多くない。それが済んだらお主の好きにすれば良い。別に構えなくとも結局のところ奴らは適当に理由をつけて酒を飲み騒ぎたいだけだ」

「そういうもんですか」


 いずれにせよここで世話になるのであれば挨拶は必要である。挨拶とはコミュニケーションの基本であり、群れで生活する動物において非常に重要な役割を持つ。

 話に聞く限り天狗は個人主義。ほとんどの時間を己の鍛練に費やしているらしいが、意外にも仲間意識はかなり強いとも聞いている。おそらく神々という彼等共通の途方もなく強大な敵が存在しているのも大きいだろう。

 であれば自分の心の問題など些末さまつな事だ。今を精一杯、全力で生きる。後悔は年老いて肉体が動かなくなってから存分にすればいい。今、自分に出来る事があればまず言い訳をせずに取り組むべきだ。


「ふむ。殊勝な心がけだな――――その調子であれば今宵こよいはお主の好きにさせても問題はあるまい。住む場所など詳しい事については後でせがれを向かわせるからそこで色々聞くとよい」

「へ? 愛宕さんはどこか行っちゃうんですか?」

「うむ。今回お主を里に招き入れたのは儂の独断によるものだ。表だって儂を批難する奴はおらぬにしても、古株の連中に説明は必要じゃろうて」


(……ああ。なるほど。天狗は基本的に身内には優しいが同時に閉鎖的だとも聞いている。もちろん僕に聞かせたくない話もあるだろうし中には不満を持っている人もいるだろう。元凶がいたら気をつかってその辺りの説明はスムーズにいかないな。って、あれ?)


 ――おかしい。

 だったらなぜ……そもそも論として愛宕はただの人間で部外者の自分をこの里に招いてくれたんだ? 

 思えば当初、彼は僕が死んでも構わないという気概で抑えていた気配をあらわにした。いや、死んでいない方がおかしいという口ぶりだった気もする。どちらにせよかなり雑な対応だった事に変わりはない。


(あれ? いつだっけ? この人の僕に対する扱いが変わったのは?)


「もっとも。お主の様子次第ではついていてやろうとも思ったがな。心細いというのなら今の内に言っておけよ」


 頭の中が本格的にその疑問で埋め尽くされる前に愛宕からの冷やかしが入り思考が中断される。まるで計ったようなタイミングだった。が、肉体的にも精神的にも疲労していた僕は、湧いた疑問を一度記憶の片隅に追いやり彼への返答を優先する。


「いやいや。そこまで子供じゃ無いですよ。これ以上迷惑はかけないですって。愛宕さんの都合を優先してください」 

「ほぅ。言うではないか。言っておくが連中はどいつもこいつもくせ者揃いだ。細かい事は気にせん奴ばかりだが調子にのって失礼のないようにしろよ」

「大丈夫です。精々頑張りますよ。人見知りしない性格で積極性には自信があるんです。こう見えて顔見知りを作るのは得意なんですよ…………逆に友達を作るのは苦手ですけどね」


 そんな僕の返答に満足したのか、愛宕は一度豪快に笑った後そのまま他の天狗の元へさっさと行ってしまった。


(――ん。まぁいいか。悪意があるようにはどう見ても見えないし、単なる気まぐれか別に大した事じゃないんだろ。よしっ。切り替えていこう。これから世話になる人達に疲れたとか言ってらんないしな)


 何事も最初が肝心である。第一印象は大切だ。言うなれば神隠しにあった僕にとって自分の意思でのぞむ最初の戦場とも言えるだろう。精々気を引き締めて向かうとしよう。

 慣れない登山で重くなった足を根性で持ち上げる。僕は火柱を囲むようにして思い思いに談笑しながら手を上げる天狗の一団に向かって、ゆっくりとその歩みを進めた。

 


「おぉ。他にもなんか分からん事があれば聞きに来るとえぇ」

「――わふ」

「はい。お二人ともこれから宜しくお願いします」



(…………ふぅ)


 パチパチと火が爆ぜる音と山々に響く虫たちの鳴き声が、宴もたけなわとなった天狗達の歓声と重なり奇妙な音楽となって耳に届く。


(思ったより烏天狗の比率が多いのには色々緊張したけど……全体の人数はやっぱり事前に聞いていた通り少ないな。こんなんでよく集落が維持できるもんだ。いや、もちろん来てない人もいるんだろうけど)


 参加している里の住人に対して一通りの挨拶を済ませる。今もまだ、どんちゃん騒ぎをしている彼等からひっそり離れ大きな木へ背を預けた。愛宕に心を読まれた経緯があるので、内面まできっちり武装して臨んだ自己紹介だったので本当に疲れた。今、横になれば肉体の疲れと相まって秒で寝る自信がある――――非常にありがたい。これなら余計な事を考えずに済みそうである。


(……っとここで寝るのはまずい。しっかし盛り上がってるなぁ)


 ぼんやりと歓声が上がった方角に顔を向ける。真っ先に目につくのはやはり鷹を思わせる猛禽類の顔に人の体、そして黒い翼を持つ烏天狗。出会いは僕にとって衝撃的だったが話してみれば割と普通で内心驚いたものだ。


(クチバシをあんな風に動かして人の言葉を話すのはまだ違和感を感じる……いったいどういう進化を辿って来たんだ? 興味がある。オウムやインコの親戚だったりするのかな? うーん。事前に釘を刺されたから今回は自重したけど、機会があったら是非聞いてみたい)


 会話をしていて感じた事がある。自らを大天狗と名乗った愛宕もそうだった。

 もしかしたら天狗という種全体に言えるのかもしれないが彼等にはなぜかが多い。率直に言えば滅茶苦茶話が長いのだ。最初は軽い自己紹介だけで済ませようと考えていたが、話の流れで僕がひとつ質問すれば10の答えが返ってくる。そうなれば一人あたりに掛かる時間も自然と長くなり、気づけば大分長い時間宴に参加してしまっていた。最初は僕のそばでウロチョロしていた飯綱も流石に飽きてしまったようで、いつの間にかいなくなってしまっている。

 

(……ふふ。犬に気をつかって真剣に話しかける事になるとは思わなかったな。人生何があるか分からないものだ)


 狗賓ぐひん。紅い目を持つ狼の姿の天狗。天狗の中では烏天狗よりも階級は低いらしく、言葉も話せないがその瞳には確かに理性の光が宿っていた。少しだけ昔家で飼っていた犬のペスを思い出す。彼もとても頭が良くまるでこちらの言葉が分かるように従順でお利口さんだった。


(――――結局またうちの事考えてる)


 ふと、空を見上げれば巨大な青白い月がこの世界全体を余すところなく照らしていた。

 人が築き上げた文明という地上の星がどこかにすべて消えさったため、天上に輝く星空が異様に映える。人工の照明などここには一切無い。見慣れた狭い空とは決定的に違うという事実を突きつけるように燦々さんさんと輝く星々。辛い現実を忘れられる逃げ場を求め空を見上げた僕は苦笑いを浮かべる他ない。


「…………ははは」

「よっ。何笑ってんだ?」

「――――うわっ!?」


 寝落ちしそうになっていた僕は急に背を預けていた木から声が掛かり、そのまま腰を抜かしそうになる。気が抜けていたとはいえ完全に気配が無かった。慌てて振り返って見れば木の横から少年のように屈託のない笑みを浮かべた男が現れる。

 髪は短く切り揃えられており整った顔の口元には笑みが浮かべられている。年のころは僕と同じくらい。見た目も人間と全く変わらず瞳の色も黒。山伏装束を着ている事を除けば典型的な日本人と遜色そんしょくない。が、そもそもこの里に人間はいないはずで格好から察する限り正体は天狗なのだろう。揃って緋色の目を持つ特徴がある天狗だが、ある程度の実力がある者はソレを隠す事が出来るという事は、事前に他の天狗から教えてもらっている。


(いけね。半分寝ぼけてた。っていうか誰だよ。さっきまでいなかっただろ――――むぅ。僕とはまた違ったタイプのイケメンだな。バスケ部とか野球部にいそうな感じ……何だコイツ。陽キャか?)

 

「ほら。食えよ。お前さっきから他の奴らにつまんねぇ挨拶ばかりしてて何も食べてなかっただろ? さっき取れたばかりの新鮮な岩魚いわなだから旨いぞ」

「あ。ども」


 指摘されてようやく気づく。不思議な話だがあれだけ動き回ったはずなのに全くと言っていいほどお腹が空いていなかった。朝自宅で朝食を食べてから水以外口にしていないはずなのに……おかしな話だ。

 反射的に受け取った丸々太った大きな魚の串焼きをマジマジと見る。ワタとエラを除き、塩を振って焼いただけの豪快なものだ。困惑しながらも試しにかぶりついてみる。

 

(――うっま! なんだこれっ。めっちゃ旨い) 


 衝撃的な美味しさに目を見開く僕を見て、青年は満足そうに笑うと手に持っていた自分の魚にかじりつきながら話しかけてきた。


「人間の街から来たんだってな。あ。俺は比良ひら。オヤジ……ここのおさ、愛宕の息子だ。よろしくな」

「あ……ああ。聞いてます。貴方が愛宕さんの。聞いているかもしれませんが僕はかける。 鞍馬くらま かけると申します。えっと比良さんは……」

「いや翔さ。その言葉遣いなんとかなんねぇか? もっと普通にしろって。後、俺の事は比良でいい」


(距離のつめかたが雑……陽キャか? しかも話し方がドキュンっぽい。ふむ。まぁ、見た目の年は近そうだし本人が良いって言うんならタメ語にしよう。しかし相手は陽キャっぽいドキュン。連中ってマウント合戦大好きだろ? 舐められても嫌だなぁ)


「ん? どうしたんだ? いきなり険しい顔して」

「いや。ゴメン。くだらない事考えてた。分かったよ。比良」

「おうっ」


 危なかった。いつものノリでメンチ切って気合いの入った挨拶かますところだった。そんな事したら会話の交通事故。いや事故で済めばまだいい方で天狗と人間では風習も違うだろうから無礼打ちとかいって殺されかねない。当たり前だがネタっていうのは双方が認識していないと通じない。それがまるで文化が違う相手とくればネタなんてものは失礼でしかないのだ。

 僕は基本的に全ての物事において攻めるのは得意だが守るのは苦手である。

 コミュニケーションにおいても主導権を握られた上、敬語というメッキが剥がれると実はこの程度だ。誰にだって弱点はある。

 そのあたりの事も含め、疑問の表情を浮かべていた比良に魚を食べつつ説明する。


「やっぱりお前面白いな。俺はにもの凄く興味があるからもっと色々聞きたいぞ」

「そう? まぁ時間があったらね。それで愛宕さんから聞いてるんだけど比良が僕の住む場所とか案内してくれるんだっけ?」

「おう。他にもさっきみたいな外について色々聞こうと思って来たんだよ。ここには今オヤジくらいしか詳しい奴がいないからな。んで、いざ話しかけようとしてみたらなんかお前元気ねぇし。いったいどうしたんだ?」


(そりゃこんな状況じゃ元気もなくなるだろ。いくら空元気が得意な僕でも無理がある。っていうかそれ以前に……)


「比良とかならそういうの心を読んだりしてわかるんじゃないの?」

「ん? 心を読むって――――あぁ。いや、他心通たしんつうなんて使えるヤツあまりいねぇよ。曲がりなりにも形に出来たのはオヤジか石鎚いしづち様くらいだ」

「えっ! そうなの!?」

「ああ」


(マジか……今まで気を張っていた僕の苦労はいったい……全然大丈夫だったんじゃないか。いくら里の皆が好きだからって自分の事を大きく見せようとするのはどうかと思う。いや、あの人の事だ。全部分かった上でやってる可能性が高い。そういうトコだぞ。おっさん)


「……はぁ。そっか。石鎚様ってのは飯綱ちゃんのお父さんだよね?」

「おっ。流石に石鎚様については聞いてんのか。助かる。その辺りの説明が一番面倒でなー。オヤジから一通り説明しろって言われちゃってて。俺は説明が下手くそだからどうしようと思ってたんだ。手間が省けたぜ」


(面倒? ん。そっか。故人の事だしな。流石に陽キャでも気をつかうか)


「それで? 話戻すけど翔は何について悩んでんの。ちょっと話してみ?」

「うん。実は……」


 僕はここに来た経緯と帰れなくなってしまった現状をかいつまんで説明する。所々相槌を打っていた比良だったが話を聞き終えて返ってきたリアクションは非常に淡泊なものだった。


「ふーん」

「え? そんな反応? 僕わりと真剣に悩んでるんだけど」

「いや。悪い。思ったよりつまんねぇ事で悩んでるんだなって。そんな小さな事でお前が悩んでんのが意外だった」


 先ほど人間の世界について話していた時とは打って変わり、本当につまらなそうに言う比良の態度に僕は内心ムッとする。心が読めない比良も僕の表情から内心を正確に読み取ったのだろう。出来の悪い子供に一般常識を諭すように彼はため息をつきながら言った。


「そんなに帰りたいんだったらさ……お前がをつけて自力で帰ればいいだけじゃないか?」



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