第8話 神に嫌われている


 赤く染まった世界は美しい。


 景観を損なったり視界をさえぎるものなど何も無く、黄昏たそがれの空が地の果てまで見渡せるとくれば感動もひとしおだ――っただろう。残酷な真実に気づく前だったら。

 どれほどの間そうしていただろうか。幾分か落ち着き冷静になった頭は未だくすぶり続ける感情とは裏腹に活動を再開する。僕は高尾山への登山は昼過ぎに行った。あれから気を失っている時間も含めてかなりの時間が経過している事を考えれば、今は既に暗くなっていなければおかしい。

 世界の違い、時間の違いはこんなところにも見え隠れしている。きっとこっちに時こちらの時間は朝だったのだろう。

 今となってはくだらない理由で時間を確認出来るスマホを自宅に置いてきた事が悔やまれる。持っていればすぐに違和感に気づけたはずだ。異変に早く気づく事が出来れば早々に引き返す事も出来たかもしれない。


 (はぁ。気づけばまた意味の無い後悔してるし。僕は、いつからこんな軟弱な男になったんだ。我ながら情けない……ん?)


 クイクイっと袖を引かれて我に返る。ふと斜め後ろを見ればこの世界を訪れる事になった原因、あの時と変わらない紅い瞳と目が合った。


「大丈夫?」

「ああ。ごめん。心配かけちゃったね」


 付き合いは短いがかなり人見知りする性格なのは察している。その証拠にその瞳は不安で揺れている。まとう気配は凶悪なものだがやはり優しい性格のようだ。


(……うん。飯綱ちゃんに罪はない。全ては自分が決断し勝手に行動した結果だ。責任の所在は僕にある)


「……そろそろ里に帰るか。儂らなら全く問題ないが日の光がない夜の山はお主にはちとこくだろう」


 ある程度心の整理のついた僕の内心を読み取った愛宕から声が掛かる。

 見かけによらず気づかいの出来る男だ。伊達におさをやっていない。今になって思えば愛宕にも随分と失礼な態度をとってしまった。

 誘拐犯と決めつけて文句を言い続ける僕に対してこの対応。説明不足は否めないが彼の態度は一貫している。彼等が暮らす里でもり所がない僕をかくまおうとしてくれたという訳だ。基本的に人が良く器もデカいのだろう。


「なんか色々すいませんでした。こうして考えてみるとかなり気をつかって貰ってたですね」

「うーむ。今までのお主の心の内を知っておるからそう改まって謝罪されると気味が悪いのぅ」


(失礼な。僕だって自分が明らかに悪いと分かれば普通に謝る。そこまで恥知らずじゃない)


「……まぁよい。お主にも色々考える時間が必要であろう。考えがまとまるまでゆっくりすればいい。それと注意しておく事がある。もうすぐ日も沈むからとっととココを下るぞ」


 そう言って彼は一足飛びで来た道を戻り飯綱もそれに続く。僕には彼等と同じ真似は出来ないし肉体と精神の両面がかなり疲労している自覚もあるので、安全第一で来た時以上に時間を掛けて難所を下っていき待っている2人と合流した。


「見かけによらず慎重だな?」

「いや。普段からこの場所を修行? で使ってるお二人みたいな事は出来ないですって。それに僕は普通の人間ですよ?」

「…………ふむ。お主が普通かどうかはこの際おいておくとして。少しだけ誤解があるようだ。儂らが鍛練で使っているのは崖の向こう側だ。今、お主がへっぴり腰で下りてきた道などただの山道ではないか」


 そう言って彼は僕が難所認定していた道をあごでしゃくる。言われるがまま今下りてきたばかりの急斜面をもう一度振り返る。これがただの山道だって? それに向こう側ってなんだ? もう見えなくなってしまったがもちろんその先には何も無かった。切り立った崖いわゆる断崖だんがいがあるだけだ。


(……もしかして)


 そしてようやく思い至る。きっと彼の言う向こう側とはその断崖絶壁のそのものを指しているのだろう、と。


(正気じゃない。自殺志願者かな?)


 僕は高所恐怖症ではないが安全策もない断崖を危険をおかして覗き込む勇気は流石になかった。が、そばに近づくのを躊躇ちゅうちょしなければならないほどかなりの高さがあった事は確かだ。この辺いったいを見渡す事が出来た見晴らしのよさがそれを証明している。

 わざわざあんな危ない場所で鍛練を行っている? それも自らを高めるためだけに? あまりにも感覚が違いすぎる。命が惜しくないのだろうか? 頭のネジが2,3本外れて気が触れているとしか思えない。

 呆然と目で飯綱に確認をとる。彼女は首をコクコクと縦に振って肯定していた。


「……そのあたりの感覚の違いや経緯も含めて教えておく必要があるな。ほら。まずは足を動かせ。歩きながら話すぞ」


 愛宕いわく天狗は神に嫌われている。


「儂らは何者にも祈らない。信じるものは己と同じ天狗の仲間のみ……だからこそ奴らは気に食わんのだろうな。蛇蝎だかつのごとく嫌われておるよ。いや、目の敵にされていると言って良い」


 里に戻る道中、僕のついて行ける速度で先導しながら愛宕は淡々と語る。例によって飯綱は、帰り道の途中で見かけた大きなトンボっぽい何かを追いかけてどこかに行ってしまった。


「神さまってやっぱり実在するんですか?」

「ああ。そこら辺におる。八百万やおよろずの神なんて人は呼ぶが本当にゴキブリみたいな連中じゃ」


 不思議と驚きは少ない。僕にとって今日は驚きの連続だった。きっと感覚が麻痺しているのだろう。第一、目の前の愛宕達天狗の事も人間の中には山の神なんて言ってあがめる人もいる。だから割と今更の話だ。

 しかしずいぶんとまた神さまを毛嫌いしているな。


「それでも最初は別に相手にしとらんかった。率直に言うと無視じゃな。他者に信仰を求める連中と違い、儂ら天狗が求めるものはあくまで自分の中に存在する――そんな態度がどうも奴らには許せんらしい。やれ傲岸不遜ごうがんふそんだとしょっちゅう絡んでくるのだ」


 まぁ、確かに。他の天狗の人達も愛宕と似た性格だったら、ふところの狭い神さまがいた場合相性が悪そうだ。最悪といっていいかもしれない。


「流石に儂らもいい加減うっとうしくなっての。一度つい、やり返してしまった。そこからずっと小競り合いだ」

「えぇ……」

「そんなこんなでお互いだんだんと歯止めがきかんくなって。少し前に天狗と神の間で大きないさかいがあった――幸い儂の兄、飯綱の父でもある石鎚いしづちが身をていして里を救ってくれたおかげで事なきを得ている。だがそれで連中との関係は最悪になってしまった。そのまま今に至っておる」

「……飯綱ちゃんの父親、か」


 身を挺した事はそういう事なんだろうか。そういえば子供が少なく里全体で子育てしているとも言っていた。気にはなるがどうにも聞きづらい事だ。


「いづなの事話してる?」

「うわっ!」


 急に草むらから飯綱が現れる。少し馴れたとはいえ彼女のまとう気配は心臓に悪い。手にはこれまたよく分からない綺麗な石が握られていた。


「さっきいづなの名前言ってた……」

「いっ、いや。なんでもないよ。なんでも。それで愛宕さん? 神さま達との関係が最悪なのは分かったんですがそれがどうしたんです?」


 なんとか誤魔化して愛宕に続きを促す。飯綱の父親については彼女の前でこれ以上掘り下げる必要はないだろう。かなりナイーブな話題と見た。下手につついて地雷を踏みかねない。


「うむ。真に業腹ごうはらだが神は強くその上しつこい。対抗するにはそれまで以上に己を追い込み高める必要があった。鍛練が過酷なのもその名残よ。今ではより効率よく成果を得られるのもあってあのような場所ではげんでおる訳だ」

「なるほど。自己防衛のためって理由でもあるわけですね。でも鍛練で死んだら元も子もないのでは?」

「お主は天狗を舐めておる。儂らはそう簡単には死なぬよ。そもそも次郎坊のような烏天狗はいざとなったら飛べば良いだけの事だ。奴らにとってあの場所は危険でも何でも無い」


(あ。そりゃそうか。どうしても自分基準で考えてしまうな。元から強靱きょうじんな肉体を持っているからこそ出来る事であって、そもそも普通の鍛練では神に対抗できないって事なんだろう)


「うむ。それに勘違いするといかんから言っておくが、神の連中も無敵ではない。そのように直接大きな力を振るえば普通に消耗する。だからそのような事には滅多な事ではならん。陰湿な奴らが日々やってくる事と言えば主に嫌がらせよ」

「嫌がらせ?」

「そうだ。小癪こしゃくな話ではらわたが煮えくりかえるが、嫌がらせとは儂ら天狗にまつわる者全体にかけられた神々の呪いの事だ。お主にも分かりやすく言うと……儂らはもの凄く運が悪い」


(運?)


「運といっても馬鹿にしていはいかんぞ。致命的な不運は命に関わる事もあるし、積み重なった不運は精神を追い詰める。心が弱き者には耐えられまい。運が悪いとは極論、世界に嫌われているのと同義だ」

「――――いや。めっちゃわかります。実は僕もの凄く運が悪くて悩んでるんです。やる事なす事何かしらケチがつきますし、運要素があるものは全部ダメで上手くいった試しがない。おみくじなんか凶より良い結果を引いた事がないんですよ?」

「…………ふむ。そうか」


 そもそも僕の運が良ければ今このような状態にはおちいっていないのだ。世界に嫌われている。まさに彼の言う通り。我が意を得たりとはこの事だ。彼等に対して初めて親近感が湧いてくる。


「そんな訳だから儂らには敵が多い。もちろん、これからどうするかは知らんが目処が立つまで里で暮らす事でなるであろうお主にとっても他人事では無いのだ」


(確かに……僕には頼れる宛てがない。考えをまとめるにしてもこんな訳分からん場所で一人はまずい。天狗なんて存在が普通に暮らしているんだ。他にも何がいるか分かったもんじゃない。であれば例え神さまに嫌われているとしてもこうして意思疎通をはかれる彼等を頼る他ないだろう)


「……改めてお世話になります」

「うむ。任せるがいい。まずは注意しておく事だが夜は非常に危険だ。今の貧弱なお主ではこちら側では格好のえさだからの。一人で無闇に出歩かん事だな。それと――――」


 郷には入れば郷に従え。


 僕は心の不調を一度棚上げして愛宕の言葉に耳を傾ける。やらなければいけない事が目の前にあればその間だけは人間立ち止まらなくて済むものだ。今の自分は一度でも足を止めてしまえばきっと余計な事を考えてしまうだろうから、里に着くまで途切れる事なく続いた彼との会話は僕にとって非常に有り難いものだった。


 だがこの時、何気なく交わされた会話の中で僕は大きな判断ミスをしていた。


 思い込みとは後になってとんでもない事態を招く事がある。

 飯綱の父親であり里を救った英雄、石鎚いしづち。愛宕の口ぶりからてっきり故人だと勘ぐっていたもう一人の大天狗の存在。


『儂らはそう簡単には死なぬよ』

『儂らはもの凄く運が悪い』


 僕は非常に運が悪い。そんな自分の生んだ小さな思い込みと勘違いは後に天狗の里全体を巻き込んだ大騒動を引き起こす事態になる。

 人生は算数のように分かりやすいものではない。複雑な人生においてマイナスかけるマイナスはイコールプラスとはならないのだ。そんな当たり前の事をこの時の僕はまだ理解していなかった。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る