第7話 浦島太郎の気持ち

 

「非常に言いにくい事なんだが、話にはまだ続きがある」


 いつの間にか愛宕が呆然と立ち尽くしていた僕の背後に立っていた。

 なんとなくチラリとその後ろを見れば……僕があれだけ苦労して登ってきた道を、ただでさえバランスを取るのが難しそうな高下駄を履いたままの飯綱が、音も無くぴょんぴょんと飛び跳ねながら駆け上がって来ている。一歩間違えば崖下がいかへ真っ逆さまな道のりを両手に色とりどりの花を抱えた状態で、だ。なるほど。身体能力が違いすぎる。


「続きですか」


(これ以上最悪なのはもう二度と元の世界には帰れないという事。この人が言いよどむんだ。その程度の事は覚悟して聞くべきだろう。僕の心が持つかどうかは別として)


「まぁ、お主にとっては似たようなものか。正確には帰れる事は帰れるんだが……まったく同じ時間軸には帰れないと覚悟していた方がいい」

「時間軸? どういう意味です」

「門……鳥居の形をした物をお主はくぐって来ただろう? あれは不定期に現れる人の世界と儂らが住む場所を繋ぐもので、実はとても曖昧であやふやな物だ。世界のゆがみと言っても言い」

「鳥居?」


(もしかして、飯綱ちゃんを追って来た時にくぐったアレ?)


「そうだ。での、そんな不確かで奇妙な異物だから時間という世界の法則すらも歪む。お主にも分かるように簡単に言うとこちらとあちらでは時間の流れが違う事になる」


 愛宕は説明を続ける。それは時間の歪みについて。僕がすぐに理解できなかった事を読み取り一定ではない時間の流れについてかみ砕いて説明を始める。

 彼は理由わけあって何度もあの門をくぐった事があるそうだ。それは天狗の使命であったり人間の世界の視察であったり理由は様々だと語る。

 愛宕によれば門が現れるタイミングは完全にランダム。連日に渡り現れる時もあれば十年もの間現れなかった時もあるそうだ。ただ、一度出現すれば門が開いている時間は約半日とそこはほとんど変わらないらしい。


 不老の天狗である愛宕はある日、門を使って人間の世界へ渡る。その時は人間の文化の偵察のためであり、タイミングよく大きな合戦かっせんをやっていたらしい。


「いや、合戦って……」

「凄かったのう。いくさはやはり血湧き肉躍る。ちょうど始まった瞬間に出くわしたのだ。そしてその戦で少しだけ興味深い物を見る事が出来た。鉄砲。確か火縄銃といったか? 数は少なかったがかなり活躍しておった。あの音では当たらなくても敏感な馬は怯える。訓練していない騎兵は役に立たんだろうな」

「……」

「もっとよく見たかったのだが門が閉まる時間が近づいていての。心残りだが諦めざるを得なかった。だが、次の日そんな儂に好機が巡ってくる。なんと再び門が現れたのだ」

「で、また戦争を見に行ったんですか」

「当たり前だろう? 人間の戦など儂らにとっては最高の娯楽。当時の里の若い衆を誘い、酒を持って喜び勇んで行ったとも。高みの見物だ。とな…………だがな、それも見る事はかなわんかった」

「え? もう戦争は終わっていたんですか」


(わりと直ぐに和睦わぼくとか出来たのか? それとも戦力差があり過ぎてすぐに降伏した?)


「いや。戦争の結末は分からぬ。なぜなら戦があったその場所は……既に家が建っており小さな村になっておった」

「え?」


(どういう事?)


 たった1日で戦争が終わるだろうか? ……状況によっては全然あり得るだろう。天下分け目の戦いと言われる関ヶ原の戦いも6時間から8時間くらいと聞く。

 では、愛宕が言う火縄銃なんかが活躍している時代にたった1日で家が建ち村が出来る? ……それはありえないだろう。


「儂らも訳が分からんかった。狐にでも化かされた気分だったな。もちろんそれからは門が現れる度に色々試した」


 愛宕は続ける。


「門の歪みと時間の歪み。異なる世界で経過した異なる時間の流れ。人間の事情は分からぬから正確ではないが、儂らの住んでいる場所である程度時間が経過していても人間の世界では全く景観が変化していなかった事もある」


 今までは気にも留めていなかった世界の時間の差異。里に危険が及ぶと危惧した一部の天狗は積極的に調査に乗り出しそれを暴いた。


しかし彼は言う。分かっている事はそこまでだ、と。


 彼等天狗はそれぞれのを極めるという自分へ課したごうがある。自分達の世界へ直接的な害が無いと判断出来たのであればそれ以上時間をく必要はない。あくま己の鍛練が第一なのだ。


(時間の流れが違う、か……ああ。ようやく分かった。愛宕が言いよどんだのは、そういう事か)


 異なる時間。この世界は例えるなら竜宮城で……僕はきっと玉手箱を貰えない浦島太郎になったのだ。大好きな母や仲の良い友人達にはもう二度と会えないかもしれない。たとえ会えたとしても――――彼等と僕は既に違う時を生きている。


「……一応な。天狗が操る六通のひとつに全てを見渡す天眼通てんげんつうというものがある。極めれば未来すら見渡す目となるものだが……門に関係したものについてはさっぱり分からぬのだ」


 愛宕が心を読み取り彼なりのフォローを入れてくれるが僕はもうどういうリアクションを返せばいいのか分からない。人生で初めて味わう喪失感。僕は今までの人生で親しい人との死別というものをあまり経験してこなかった。

 それが今、一度に、一斉に押し寄せてくる。まるで心がえぐられて深い深い穴が空いてしまったようだ。


「まぁ、そもそも今の里に天眼通を得意とするものがいないのも事実だが……そう気を病むな。決して帰れない訳ではないのだ。こちらで時間が経過しても人の世界ではそれほど変わっていなかった事もあるのだ……いや、気休めか。すまん」

「いえ……」


 愛宕はその後も気をつかって色々説明してくれるが正直まったく頭に入ってこなかった。


(母さんや皆にはもう会えない可能性があるのか……なんだ……そっか)


 今まで好き勝手に過ごし周囲の人間には散々迷惑をかけて生きてきた。特に母に関してはほとんど女手ひとつ、恩返しをするのはこれからだと思っていた矢先の出来事。忘れがちだが無償の愛、見返りのない優しさ、他者を許す寛容な心にも限度は存在する。相手も自分と同じ人間なのだ。


『彼も人なり、我も人なり』


 僕が好きな言葉。他人に出来て自分に出来ないはずはない。挑戦してもいない事に対し不可能と軽々しく諦めず可能性を示すその言葉が今の自分に刺さる。なぜなら好きだったその言葉が別の意味、違う解釈かいしゃくで頭を過ったのだ。


 そんな自分と同じであるはずの他人、周りの人達を僕はいったいどう扱ってきた?


 自身の傍若無人ぼうじゃくぶじんな振る舞いを改めて振り返る。あまりにも多くの人へ多すぎるを作った。しかもそれを返す機会は永遠に失われてしまったかもしれない。それを……ようやく今になって理解した。


「そっかぁ」


 目の前に広がった思わず息をのむような絶景。現代の日本では恐らく決して見る事の出来ない光景を独り占めした代償、それがそのまま突きつけられた残酷な真実となって僕に逃避を許さない。

 ふと胸の奥深い場所からこみ上げてくるものがあった。ゆっくり上を向き空を見てソレがこぼれ落ちる事だけは回避する。

 17年の人生で意識せずに作った多額の負債。いずれビッグになって返すと大言壮語を吐き、結局借り逃げしてしまった。迷惑ばかりをかけ続けただの自惚うぬぼれ屋に成り下がった自分にはその資格がない。そんな弱さは――僕自身が許せない。

 

 見上げた先、雲ひとつ無い快晴の空にとびが飛んでいる。その光景だけは高尾山で見かけた景色と重なって……僕は震える拳を握りしっかり奥歯をかみしめて涙が流れないように必至に耐え続けた。





 


























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