第二十八章 決意

女は目を開いていた。

潤んだ瞳から小さな光が幾つも散乱している。


どんな事があっても二度と目を閉じないと思った。

熱い感動が身体中から沸き上がってくる。


(ダメ・・目を閉じちゃ、ダメ・・・)


又、愛する人が見えなくなるかもしれない。

目を閉じている間に、消えるかもしれない。

目を開けた時、そこにいないかもしれない。


(そう・・・ダメ。

絶対、閉じちゃ・・・。

ダ・・メ・・・)


男の唇が首すじをすべる時、不覚にもその決意はみごとに壊された。


瞳に涙が滲む。


(ダメなのに・・・。

目を閉じちゃ・・ダメなのに・・・)


女は男の頭を、背中を、強く抱きしめた。

もてる全て力で。


「いやっ・・いかないでっ・・・

伸ちゃんっ・・・」 


何度この叫びを聞いただろう。

背中や首筋に無数の爪あとが残されていく。


男は苦笑いを浮かべながら、天使の匂いを胸いっぱい吸い込んだ。  

そして、熱い息を女の耳に吹きかけながらささやいた。

 

「ここにいるよ・・・。

ユキ・・もう、どこにも行かない・・・」


女はそれでも抱きしめる力をゆるめない。


又、新しい爪あとを作っていく。

何度誓っても許してはくれない。


「うそよ・・・。

ダメ・・信じない・・もん・・・。

うそ・・つき・・あぁ・・あぁ・・・」


唇を重ねる。

それしか黙らせる方法はなかった。


女はうすく目を開けた。

閉じた目蓋が直ぐ近くに見える。


嬉しさがこみ上げてくる。


「ああっ・・伸ちゃん・・・。

本当なの・・・ね。 

もう、どこにもいかない・・・ね・・・?


ここにいるのはあなたなの・・ね・・・?

あぁ・・・伸・・ちゃん・・・」


男の頬が濡れる。

男も目を開けた。


(また・・・・)

涙が溢れている。


どうして枯れてしまわないのだろう。

男は思った。


長い睫毛から、真珠のような粒が際限無くこぼれてくる。


「本当にユキは・・泣き虫だな・・・?」 

男は小さくため息をつくと笑った。


涙でにじませた目を見せ、雪子はすねるように声を出す。


「だって・・だって・・・いじわる・・・」

甘い吐息と共に唇に届けられる。


「でも、うれしい・・・」

最後の言葉が絡め取られ消えていく。


男が求め、女は捧げた。

女が抱きしめ、男が貫いていく。


激しく。

愛しく。


生涯でただ一人。


愛した女。

愛する男。


「ああ、伸ちゃん・・・。

もっと・・もっと強く・・・。

抱いて・・・」 


女は目を閉じていた。

不安を忘れたわけではない。


湧き上がる官能に飲み込まれただけだ。


そして。

そう。


怖ければ、泣けばいい。

涙が温もりを運んでくれる。


たとえ後に冷たい悲しみが残ろうとも。

男を想う幸せをかみ締めよう。


八年間、そうして過ごしてきたのだから。


「ユキ・・ユキィ・・・」

男の声が聞こえる。


遠い。

こんなにそばにいるのに。


強く抱きしめられているのに。

感覚が消えていく。


自分の身体さえも空に浮かんでいるようだ。


閃光が走る。

何度も身体を貫いていく。


白い。

白い闇が視界を覆う。


溶けていく。

叫び声も。


八年間の想いも全て。

二人を結びつけていた、ゴーストと共に。

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