第二十四章 頭取室

モニターの光が二人の男の顔を照らしていた。

血走った目で必死に相川がキーボードを叩いている。


やがてビーッという小さな音が鳴りデータが現れた。


「やったぞ、成功だっ。

広洋銀行のトップシークレットデータだぞ・・・」


男達は無言で握手すると、次々にHDにデータを吸い上げていく。


一通り作業が終わると額の汗をぬぐい、プロテクターに対するデータ処理と今日のアクセスの記録を抹消してスイッチを切った。


すると再び部屋は真っ暗になった。


月の光と回りのビル群のわずかに点灯している窓の明かりが、部屋の窓からじゅうたんに淡い影をおとしている。


徐々に暗闇に目をならした二人が慎重に部屋を出ようとした時、ドアの影から女と男のシルエットが動いてゆっくりと月の光の中に入ってきた。


雪子とMrグラントであった。


相川は驚きに声を震わせて言った。


「雪ちゃん・・・。

どうしたんだ?

来ちゃいけないって言ったのに・・・。

それに、どうしてグラントと一緒なんだい?」


雪子は喉を鳴らし決意するように言った。


「相川さん、もう何もかも分かっているのよ。


Mrグラントの仕事の一つは社内のスパイ調査なの。

お父さんから依頼されたんですって・・・。

今ならまだ間に合うわ。

この事は四人の秘密に出来る。


Mrグラントも今、そのHDを返せば黙っていてくれるっておっしゃってるわ・・・」


(遂にばれたか・・・)

そう相川は思ったが開き直るようにして、スーツの襟をただして言った。


「雪ちゃん・・・

その男に何をふきこまれたのか知らないが俺達を信じてくれ。

このデータがあれば、きっとこの男の正体を暴いてみせるさ」


相川がMrグラントを指さした瞬間、雲が月を隠し部屋の中が何も見えなくなった。


「ううっ・・・」

低いうめき声がして、大きな男の影がうずくまったように見えた。


その後に聞こえてきた声に、相川は雷にうたれたような衝撃を受けた。


「話はそれで終わりか・・・?

相川・・いや、ドラムのコージ・・・」


日本語であった。

しかも懐かしい声だ。

 

暗闇の中から8年前に跡絶えた声が、相川の耳にはっきり聞こえてきた・・・。


「ま、まさか・・・

そ、そんな・・お、お前は・・・?」


血走った目で暗闇にうずくまる男を見つめている。


やがて、その影はゆっくり立ち上がりはっきりとした声で言った。


「そうだ・・伸男だ・・・。

コージ、俺はこの身体を借りてお前と話している。

8年ぶりだな・・・?」


男の青い目だけが暗闇に浮かんでいる。


「伸男・・・?

う、うそだ・・信じられない・・・

そんなバカな事・・・」


片山も薄気味悪く男を見つめながら、動けなかった。


「俺は・・・ずっとお前達を見ていたんだ。

コージ、思い直すんだ・・・。


お前は8年の間、雪子の事を見守ってくれていた。

感謝している・・・。


お前は俺の一番の親友だったじゃないか?

魔が差したんだ・・・。

今なら間に合う・・俺を信じろ・・・。


Mrグラントは裏切るような男じゃない。

これ以上、雪子を悲しませないでくれ・・・」

 

男の青い瞳を見つめながら相川は肩をおとし、力なく膝をついた。


小刻みに肩が震えている。

額には脂汗が滲んでいた。


「伸男・・伸男・・・。

そうだったな・・・。 


お前と俺は・・ずっと親友だった・・・。

二人とも貧しくて・・一緒によくバイトした・・・。

金がなくてパンを分け合った事もあったっけ・・・。俺は・・・金が欲しかったんだ。

トップになりたかった・・・。


前おが死んで・・・

そんな事しか俺には夢がなくなったんだ。


お前をバンドに誘ったのも俺だった・・・。

俺が誘わなければ・・・

あんな事故にも・・ううっ・・・」


相川はその場で崩れるように涙を流した。

8年間の思いを解き放すように。


雪子も涙を浮かべ見ていた。

兄のように慕う男の姿をいじらしく思った。


やがて立ち上がり、手でクシャクシャに顔を拭いた。

バッグからHDを取り出すと、よろよろと雪子に近づき手渡した。


片山の方に振り向き力なく言った。


「すまなかった、片山・・・。

この責任は全て俺がとる。

お前はここにいなかった事にしろ・・・」


「相川さん・・・

冗談じゃない、死なばもろともさ・・・。

どうせサラリーマン人生にも飽き飽きしていたし。


この分じゃあ雪子さんにもふられるだろうし。

一緒に辞めようぜ・・・。


雪子さん・・迷惑かけてすまなかった。

でも本当だったんだ・・君を愛していた事は」 


「片山さん・・・」

雪子は男をもう一度よく見つめた。


一度は愛した男だった。

心なしか頬がこけたような気がする。


「相川さんも・・早まらないで。

まだ父にも何も言ってないのよ・・・」


その時、雲がきれ月の明かりが再び部屋を照らした。


「相川、その通りだ・・・。

早まるんじゃない・・・。 

でも、ユキ・・お別れだ。

幸せに・・な・・・」


そう言うとグラントは膝をつき床に倒れ込んだ。

雪子は男にすがりつき叫んだ。


「伸ちゃん・・伸ちゃんっ・・・。

もう、会えないのぉ?

伸ちゃんー・・・」


薄闇に雪子の悲痛な声が響いていく。


「うっ・・・」


しばらくして頭を振りながらMrグラントが起き上がった。


雪子は両手で顔を覆いすすり泣いている。


グラントは戸惑いながらも、何とか状況を把握したのか何も言わず見つめている。


「雪ちゃん・・・」

呆然と眺めていた相川だったが、深いため息をつくと言った。


「とにかく・・今夜は失礼する。

君には絶対迷惑がかからないようにするよ。

Mrグラントにも・・・。

行こう・・片山・・・」


二人が出ていった後も雪子は泣き続けていた。


愛する男はずっと見守ってくれていた。

そして雪子を救い消えていった。


何故か二度と伸男には会えない気がした。 

事の顛末をMrグラントが知ったのは、随分時間がたってからだった。


「そう・・か・・・」

たどたどしく説明する雪子の話に、男は感慨深そうに深いため息をついた。


二人は窓から月を見上げている。

泣きはらした目蓋が影を作っている。


しかしその眼差しは強い色を宿していた。

雪子はある決心をして男と月を見ていた。


男の青い目が月の光にキラリと光り、逞しい身体を淡く包んでいた。


もう五月も終わり近い夜の事であった。 

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