第二十五章 バックミラー

「やっぱり辞めてしまうの、相川さん・・・?」

心配そうな顔で雪子が言った。


「ああ、二人同時に辞めると怪しまれるから俺が先に辞めるのさ。

それから二人で会社を作る予定なんだ。

フリーのディラーとしてね・・・・。


なあに四菱と広洋のトップディラーが二人でやるんだ。仕事はわんさと来るさ。


現にもう2、3件アルバイトでやっているし・・・。結局この方がよかったんだな・・・。


グラントもうまく報告書を作ってくれたみたいだし。頭取からも、がんばれって言われたしね。


もしかしたら全てを知っていたのかもしれない。

感謝しているよ・・・。

特に雪ちゃん、色々迷惑かけてすまなかった」


「そんな事ないわ。

みんな・・伸ちゃんとMrグラントのおかげよ」


遠い目をして、どこかにいるかもしれない伸男に話しかけるようだった。


「そうだな、本当にあるんだね。

ポルターガイストって・・・」


そして、思い出したように背広のポケットから封筒を取り出した。


「なあに・・・?」

雪子が受け取り、相川の顔を見て言った。


「前に話したろう、小野のバンドのチケットさ。

今夜あのライブハウスでやるんだ。

二枚入っている。

Mr・グラントと行ってこいよ。

あさって帰るんだろう・・・?」


あの事件の日から一週間経っていた。


Mrグラントの報告書で、正式に広洋銀行とベルツ銀行は提携する事になった。

明後日、一足先にMrグラントは帰国してその準備をする予定だった。

 

「ありがとう・・・」

雪子はうつむいたままお礼を言った。


コンサートには一人で行こうと考えていた。

やはり自分は一生、伸男一人しか愛せないと思うのだ。


Mrグラントの事はもちろん好きであるが、どこか伸男が現れるのを期待している自分がいるようで嫌だった。

このまま交際するのは失礼だし、そういう自分の気持ちが許せなかった。


そして、その事は既に昨夜あの公園でMrラントに、はっきりと伝えたのである。

男は優しい目で雪子を見つめながら言った。


「わかった、ミス・ユキコ・・・。

僕は伸男がうらやましいよ。


僕も死んだらそれほど想ってくれる女性に出会いたいものだ・・・。

最後に頬にキスさせておくれ、ミス・・・ユキコ」 


そっと雪子の肩に手をかけ、白い頬に口づけた。

男の頬を女の涙が濡らし、風がそれをヒンヤリと感じさせた。


グラントは勢いよく手を挙げた。


女をタクシーに押し込めると、たどたどしい日本語で行き先を告げドアを閉めた。

車が発進するのも見ずに、ゆっくりと踵を返し歩いていった。


ここでタクシーに乗ったのは三度目だ。

でも今度はバックミラーを見られない雪子であった。


うつむいたまま、止まることのない涙を流し続けていた。


六月の雨雲が空を覆っている。

地上からは星をみる事は出来なかった。

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