第十二章 六月の星座

いい詩が浮かぶと、鼻の頭を人差し指で掻く。

それが伸男の癖であった。


「これはどうかなあ、ユキ・・・?」


雪子は伸男のアパートに遊びに来て、ベッドにもたれ見つめている。

隣に座り、透き通る声でつぶやくように読み上げる。

 


君を見守る六月の星座

空を見上げる瞳に僕は映らない


降りしきる雨は僕の涙

君を悲しみに濡らす事しかできない



雪子は何も言わずに伸男を見つめていた。


「六月の星座っていうフレーズがいいだろ?

空の星になっても雨の日が多くて

星が見えないのさ・・・。

俺がもし死んでも6月はいやだな。

8月なら君を見ていてあげられる・・・」 


想像力がたくましく涙もろい雪子はもう、瞳を潤ませていた。


それでもじっと伸男を見つめ一生懸命に我慢している。

伸男はシマッタという顔で慌ててとりつくろった。


「ごめん、ごめん。

冗談だよ・・・。

ちょっと悲劇にした方が、

詩がおもしろくなると思って・・・」


言い終わらない内に、雪子は伸男の胸に飛び込んで泣き出してしまった。

伸男はため息をつきながら、優しく雪子の頭を撫でている。


甘い香りが鼻をくすぐった。


「ごめんよ・・バカだな・・・ユキ。

空想の話だろ?

本当にバカ、だな・・・」


雪子はひとしきり泣くと、思いきり伸男の腕をつねった。


「いてっ・・・」


「絶対イヤだからね・・・

雪子そんな詩、だいっきらい・・・。

もし曲になっても絶対、聞かないから・・・」


そう言うと再び伸男に抱きつき、背中に回した腕に力を込めた。


「ユキ・・・」

伸男は雪子の細い顎をそっと指で上げると、優しく唇を重ねた。


涙が頬に触れ、冷たく感じた。

唇を離し、再びささやいた。


「ごめんよ・・ユキ・・・愛しているよ」 

「バカ・・好き・・・」


頬に伝わる涙で目が覚めた。

いつもと変わらない雪子の部屋であった。


(伸・・ちゃん・・・)


この頃、頻繁に伸男の夢を見る。


『僕は霊感・・・というのかな?

そういうものが強いらしい・・・。 

僕が傍にいるだけで死んだ人の夢を見るらしい』


昨夜のグラント言葉が思い出される。


(まさか・・・?)

雪子は否定した。


そして、熱い憎悪が心の底から湧いてくるのを感じた。


(あれは、私をからかったのよ・・・)

興信所等を使って人の過去を探る等、卑劣な人間だと思った。


伸男との大切な思い出に土足で踏み込んできたのだ。

夢を見るのは今でも伸男を愛しているからだと思う。


そう信じたかった。

心霊現象等、あり得る筈はない。


(でも・・・)

もしも霊としているのなら。


会いたい。

切実に願う雪子だった。


伸男が死んでから8年が経つ。

愛する男はもういない。


なのに、あの口づけの温もりが今も余韻として残っている。

まるで昨日の事のように。


伸男はどこかで見ているかもしれない。

そう、あの映画のように。


声にならない声で雪子に叫んでいる。

夢は伸男からのメッセージなのだろうか。


グラントの事は別として、あれ程強く愛してくれた伸男の想いは消える事なく雪子の周りを漂っているのかもしれない。


(わたし・・・)

伸男への愛は、どうしても捨てられないと思う雪子であった。


片山にもはっきりと言おう。

自分はもう一生、他の男は愛せないと。


そして、あの冷酷な男から広洋銀行を守らなくては。

人の悩みに付け込む卑劣な手口を使う男なのだ。


銀行を乗っ取る積りである事は明白ではないか。


心を許してはいけない。

スキを見せぬよう、慎重に行動し逆に男の弱点を探るのだ。


スパイとしての証拠を見つけてやる。

雪子は心に硬く誓うのだった。


そして、伸男との愛の記憶を決して汚されぬよう強く態度をしめそうと、決意する雪子であった。


今日は朝から日がささず、今にも雨が降りだしそうな天気だった。

雪子の心も憂鬱に曇っていた。

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