第十一章 怒り

運転手に行き先を告げると雪子は見開いた目をまばたきもせず、まっすぐ前を向いた。


タクシーのバックミラーの中に石垣にもたれ、こちらを見つめている男が映ったかと思うと、直ぐに遠ざかり消えていった。


(許せない・・・)

何度も思った。


雪子が最も大切にしている伸男の思い出をジョークにするなんて。


(泣くものか・・・)

自分に言い聞かせている。


絶対屈してはならない。

そうでないと、あの男に・・・ベルツ銀行に、広洋銀行は乗っ取られてしまう。


正式に宣戦布告されたのと同じなのである。

一瞬でも気を許した自分が許せなかった。


雪子は伸男のロケットを握り締め、必死に家に着くまで耐えていた。

やっと家にたどり着き、父と母の問いに曖昧に答え浴室に入った。


シャワーを全開にして、全身に浴びながら号泣した。

悔しさと怒りが身体の底から沸き上がってくる。


(許せない・・・許してはいけない・・・

あ、あんな奴に・・・。

伸ちゃん・・伸ちゃんとの思い出を・・・。

踏みにじられてたまるもの・・か・・・)


片山の事も想い出さず、ひたすらグラントと伸男の顔が頭に交錯する。


雪子は全身の力が全てなくなるまで、泣き通した。

やがて疲れた身体を湯船に沈めながら、ぼんやりとガラスにうつる庭を眺めていた。


(伸ちゃん・・ごめんね・・・。

私が他の人なんかに気をとられるから・・・。

ごめん、ね・・・。

わた・・し・・・)


涙が心を濡らす。

不思議な温もりに包まれていく。


忘れかけていた想いが蘇る。

泣き虫だった自分が今ここにいる。


雪子は改めて伸男への愛を強く感じた。


そしてこの気持ちを確かめるように、涙で濡れた瞳を閉じて今は亡き恋人の顔を浮かべるのだった。

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