第十章 ディナー
「だいたい日本人は何を考えているのか、
さっぱりわからない・・・。
どうして、こんなずさんな経営でこれ程大きな銀行がやっていけるんだろう?」
早口でしゃべるMrグラントの話を聞きながら、雪子は頷くしかなかった。
確かに日本のトップや銀行そのものが、こんなに曖昧でいいのだろうかと思っていた。
頭取である父の秘書をしているとよくわかるのだが、何百億という融資にしても、結局はトップの役員達の判断で決まり細かいデータ等は、あれほど分厚い報告書を出しているにもかかわらず殆ど読まれていない。
父が専務時代、そういった愚痴をよく聞かされていた。
金融危機に対して父が頭取に推されたのも、そういった日本の悪しき慣習を打破するのが主な目的だったにもかかわらず、あいも変わらず他の役員達はのんびりしているように思える。
たかが秘書の分際で生意気だと思われそうで黙ってはいたが、実際Mr・グラントがここ1カ月で集めたデータを見るとこの男のいう事が尤もであるし、逆に男の優秀さとベルツ銀行の力を見せつけられるようで、やはり乗っ取りの話は本当かと思う雪子であった。
やがてオードブルとワインが運ばれ二人は乾杯をした。
「ミス・ユキコ、色々と無理を言って悪かったです。
今日はゆっくりと、くつろいで下さい・・・」
深く澄んだブルーの瞳で、しかも英語でそう言われると映画のワンシーンのようで悪い気はしなかった。
料理はどれもおいしく、フォアグラとキャビアのオードブルから始まったフルコースは様々な種類の料理が小刻みに運ばれてきた。
Mrグラントは旺盛な食欲でパンのおかわりをし、ステーキも雪子の3倍ぐらいのを特別に頼んでペロリとたいらげていた。
一通り食事が終わると、コーヒーを飲みながら雪子が口を開いた。
「ご両親は海軍の方だとお聞きしたんですけど?」
Mrグラントもコーヒーカップを引き寄せ答えた。
「そうです。
父は極東部長官で母も昔、軍の医療班で女医をしていました・・・」
逞しく分厚い胸が、スーツの中で窮屈そうに息づいている。
「そう、すごいんですね・・・。
ベルツ銀行では、いつからディーラーをなさっているんですか?」
雪子の問いに色々答えていくうちに、男はテーブルで組んだ指を額に当てながら、クスクス笑い出してしまった。
「何か・・・?」
雪子は笑われたのが意外で、赤くなって尋ねた。
「いや・・・失礼。
何か尋問されているようで・・・。
そんなに私の事に興味がおありですか?
もちろん、その中には恋愛感情など、
入ってはいないんでしょうが・・・」
ズバリ言い当てられると、益々顔を赤らめて雪子は下を向いてしまった。
「すみません・・・。
そんなつもりじゃ、なかったんですけど・・・」
優しく包むような眼差しで男は言った。
「いや、結構ですよ。
こんな美人に問いつめられるなんて光栄だ・・・。
もし、よろしければ少し夜風にあたりませんか?
東京の夜は安全だと聞いているのだが・・・」
今日は早めに切り上げて帰ろうと思っていた雪子だが、自分の質問に丁寧に答えてくれたお礼の気持ちもあって付き合う事にした。
さすがに春といっても夜は少し冷え込んでくる。
車で出社する雪子は比較的軽装で、今日はシックな薄い紫の春らしいスーツだった。
白いバッグを下げた姿は雑誌から抜け出たモデルのようで、日比谷から銀座へ歩く人々の視線を集めるのには充分な二人であった。
とりとめのない話をしながら二人は歩いていた。
仕事の事しか頭にないと思っていた男が意外にユーモアのセンスもあり、優しい表情を時折見せるのを雪子は今までのイメージとは程遠いものを感じていた。
雪子は思い切って質問をしてみた。
「あの・・・・。
グラントさんは本当にうちの銀行と提携する為に来られたんですか?
それとも・・・」
「それとも・・乗っ取るつもりで来たか・・・。
これが聞きたかったんでしょう?
ミス・ユキコ・・・」
悪戯っぽい表情をして男が振り返った。
その時公園から飛び出した一匹の子猫が、男の足に擦り寄ってきた。
男は立ち止まり抱き寄せると、公園の石垣に腰掛けた。
優しく頭を撫で上げ顎をくすぐっている。
しばらくその仕草を見つめている雪子に、たった今気づいたように男は言った。
「失礼・・・動物が好きでね。
ホテルじゃ猫は飼えないし・・・。
そうそう・・・そうかもしれない。
ただ、もっと調査をしてみないと・・・ね?」
雪子はこの得体の知れない男を見つめながら、頭が混乱していた。
今、見せている優しい表情と会社の調査での冷酷な表情といったい、どちらが本当のなのであろうか。
「それに会社だけでなく、私の他にも調査員が色々と調べている」
男が子猫を離すと、公園へと消えていった。
ゆっくり男が歩きだし、雪子が並ぶようについていく。
「ポルターガイストっていう言葉を知っていますか、ミス・ユキコ?」
突然脈絡のない言葉を聞かされ、意外な顔をして男を見上げた。
「僕は霊感・・・というのかな、
そういうものが強いらしい・・・・。
日本でいう『イタコ』とかの部類に入るのだろうか?ある興奮状態に入ると、死者の魂が僕に重なるらしいんだ。
自分では覚えていないのだけど、ね・・・。
それに僕がそばにいるだけでよく死んだ人の夢を見るらしい。
友達なんかによく言われたよ・・・」
何を言っているのかと不思議な表情で聞いていた。
そんな雪子を楽しそうに眺めながら、男は言った。
「ノブオ・・・といったかね。
君の死んだ恋人の名前は・・・?」
その名前を男から聞かされ雪子は、目を大きく開いたまま立ちつくした。
男も立ちどまり、雪子の方を振り返りながら尚も続けた。
「色々調べるのは会社の事だけではない・・・。
ミス・ユキコ、君の事も非常に興味があるんだ。
もし僕と付き合うのならば、ポルターガイストでノブオと会えるかもしれないよ」
雪子の顔が、見る見るうちに強張っていった。
からかわれている。
雪子は憤然とした表情で男をにらみつけた。
「卑怯もの!」
英語のスラングで言い放つと、駆け出していった。
男は石垣にもたれながらニヤニヤ笑って、それを眺めている。
雪子はタクシーを呼び止め、急いで乗り込んだ。
発進した車のテールランプが、夜の街に溶けていった。
男の目はいつまでもタクシーの残像を追っていた。
やがて空を見上げポツリと呟いた。
「ああ、日本の月は奇麗だ・・・」
そして、ポケットに手を入れ歩き出した。
公園の木々がライトアップされ、ぼんやりと都会の夜に浮かんでいる。
春とはいえ、まだ肌寒い夜であった。
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