最後の晩餐

 世界がもし滅亡する前に食べたいものはなにか、というのがラジオから流れてきていた。

 ちょうど私の世界は滅亡しようとしていた。

だから私は迷いなく、ソノダさんの作ったおにぎりっと思いついた。


 ソノダさんは私がはじめて見つけた妖精で、恋人だった人だ。

 この世界にはいろんな種族がいて、人だって体調が悪いと透明になったり、瞳の色が変わったりなんて当たり前だ。そのなかで妖精は気まぐれで人と関わったり、消えたりする。ソノダさんは人の姿をして、カフェで働いているちょっと変な妖精だった。

 高校を卒業して、お金がないからと働くことになったカフェで、ソノダさんは人当たりのよい笑顔で私にあれこれと教えてくれた。私はなんと親切な人なのかと思っていたら、自分は妖精だと口にするので驚いた。三十歳こそこに見えたソノダさんは私の倍の倍……おじいちゃんたちよりもずっと長生きしていた。


 炊飯器に向かおうとして今は電気が使えないのだと思い出した。

 あたたかくおいしいごはんを作るためにわざわざコンロに載せて炊く用の土鍋を買ったのだと思い出した。お米を研ぎ、水をいれて、そのうえで蜂蜜。甘くてふっくらする秘訣。火をつけて、私は次に卵を二つ取り出す。ボウルのなかに慎重に卵を割って取り出す。ソノダさんは片手でやってのけていたが私は両手じゃないとできない。

 あの大きくて長い指の手が、器用に卵を割るのは奇跡のようで私は見るたびにほぉとため息が出来るほどだった。一つの芸術といってもよかった。


 ソノダさんは妖精だといっても私とあんまり変わらなかった。見た目も考え方も――長く人の間に溶け込んで生きているから、そういう風になっているんだよと口にした。ソノダさんは妖精しか持てないハーブを摘み取って、甘くて、心の安らかになるハーブティーをいれてくれた。ここに通えば、ゆっくりと眠れる、安心できる、とお客さんは口にしていた。それはすべてソノダさんのハーブのおかげだ。けれどただ妖精の魔法がかかったハーブだからという理由だけじゃない。ソノダさんが丁重に葉を準備し、湯をはかり、そそいで、お客様にもっていくおかげだと私は思った。一つ一つが丁寧で、時間の経過すら忘れるほどの素晴らしい仕事だった。私はソノダさんのその仕事を見るだけで心がぎゅうと締め付けられるようなときめきを覚えた。そう、私はソノダさんに恋をした。丁寧で大人で、優しくて、なににも増して美しい、そのすべてに。


 卵を熱したフライパンに流し込むとじゅわぁと音がした。ふっくらとした卵焼きを焼くために時間は敵だ。菜箸でくるり、くるりとまわしてまわしきったら、そのフライパンを軽く持ち上げて、とんとんとと持ち手を叩いて形を整える。こうするとちょっとプロぽい。これもソノダさんに教えてもらったものだ。さらに残りを流し込んでさっと丸める。

 一品出来た。次は鮭を捕りだして、塩こしょうをまぶした、醤油とみりんで味をつけて、よく染みこませたら焼いてしまう。これで照り焼きは出来あがり、次にウィンナーを二本。これも同じく焼いてしまう。たこさんウィンナー……あれは子供と大人の憧れだ。ソノダさんはいつも切り込みをいれてくれた。そういうちっちゃなことを楽しむいたずら心がある人だ。


 私はソノダさんを好きになると、すぐに告白した。だってあっちはゆっくりでも私は短命な人間なんだもの。ソノダさんは驚いた顔をしていたが、ふんわりと、炊きたてのお米みたいに笑って、いいよ、と口にしてくれた。きっとあれは妖精の気まぐれで、短命な私への慈悲で、すぐに飽きるだろうとたかをくくっていたのだろう。けれど私はソノダさんとお付き合いできるとなると有頂天になって、嬉しくてたまらなくて、お付き合いの一日目にはもう彼の家に荷物をまとめて転がり込んできた。だって短命な人間だから急がないと! 本当は家を出たかった。お金がないということで働けといわれて、弟は大学に行くのを見るのがいやだったのだ。私は女で、弟は男だから? そう妬んでしまうのがいやだった。

 ソノダさんの家はカフェの裏手で、広くもなく狭くもない。小さな鉢植えいっぱいにハーブを育てていていた。部屋はどこでも入ってもいいけれど、地下はだめと言われた。まるで青髯みたいというと、妖精の門があるから危ないってことだよとソノダさんは口にした。ソノダさんはいつだってあちらへと帰れるのだ。けれど彼はその扉を頑丈に鎖でつないで封印してくれていた。ここにいるために。どうして人間の世界にきたの、とかここの暮らしはどうしてとかいろんなつっこんだことを聞きたいけれど私は聞かなかった。怖かったのだ。

 ソノダさんは私を暮らしにあっさりと受け入れてくれた。まるではじめから私のための空白があって、そこに埋まったみたいに二人のためのお茶碗と椅子とソファとベッドの眠るための位置があった。私は安心してその空白を埋めることが出来た。

 実家でも家事をしていたが、ソノダさんはもっと手間をかけて物事を用意した。せっかちな私は驚くぐらいゆっくりで、けれど心がほっと息が出来る一瞬だった。私はソノダさんに妖精との付き合い方を教えられ、ソノダさんの家にいる働き妖精シルキーと仲良くするコツを学び、ハーブの知識を教えてもらい、お金を貯めて通信だが大学に通った。ソノダさんは私へ無償の愛をくれた。お金も時間も、なにもかも当たり前みたいに差し出してくれた。

 妖精は、恋をすると、一途なんだよ、とソノダさんの言葉がなににもまして愛の言葉で私はどうしたらそれに物事を返せるのか必死に考えた。与えられたのに学び、出来るようになって、喜ぶソノダさんにどうしたらもっとこの人を幸せに出来るだろうと考えた。

 私たちは種族が違い、命もなにもかも違う。だからソノダさんは約束した。妖精にとって一番大切なことだという約束を私にしてくれた。死ぬときは必ず迎えにいって、扉を開けて影の国に一緒にいこう、そのとき私は人でも妖精でもないものになるれど、かまわないっと言われてソノダさんとならいいよと答えた。じゃあ、そのときは二人でお弁当を作って食べよう、そしてピクニックにいくように向かおうと約束した。それは私にとってとっても素敵な約束だった。


 そんなときだ。

 私は車に撥ねられて死んだ。

 あっけない終わりに向かう私にいつも穏やかで優しいソノダさんは泣き叫んでいた。そしてそのあとのことを私は覚えていない。

 ただ目覚めたとき、家のベッドのうえだった。ベッドサイドを見ると、小さな小瓶があった。中身は空っぽで一緒に手紙があった。

 これは妖精の秘薬で死者を生き返らせることができるというものだ。人の命をずっとずっと長く出来るものだそうだ。けれどそれを人に与えることは禁じられている。けれどソノダさんは私に生きてほしいと願い、禁忌を犯したという。

 だからソノダさんは自分の世界に戻ることになった。私は残されたまま。

 私は慌てて地下に走った。

 扉はなくなっていた。

 ソノダさんは消えてしまった。私の命と引き換えに。


 あつあつのごはんが炊けた。私はしゃもじでむらして、塩をつけた手のなかに落とす。ラジオの音がする。ノイズ混じり。たすけて、もうやだ、私は死ぬとき、ママのおにぎりがたべたいといろんな声がする。きっともうすぐ終わるのだろう。にぎったおにぎりはふんわりとしていて海苔でまく。わたしはそれをソノダさんと二人で購入した木の弁当箱に詰める。空間に余裕があるようにして詰め込んだ。我ながら素晴らしい。おにぎり二つ、前に作ったきんぴらごぼう、卵焼き、ウィンナー。シンプルだからこそこれがいい。

 ハーブティーをいれて、わたしは包みを持って外に出る。

 真っ黒。

 世界の終わりを大きな化け物が飲み込んでいるようだ。

 ソノダさんが消えたとき、本当にこんなかんじだった。

 あのときからもう百年過ぎた。

 その間に世界はゆるやかに滅亡した。

 私はソノダさんの愛によって生きている。歳をとらなくなって怪我も治癒してしまう私は苦労もしたし、大変なこともあった。けれど私はこの世界にいてほしいと願われてここにいるのだ。ソノダさんにお願いされてここにいるのだ。

 世界が滅亡するのに私はひとりぼっちで、ようやく作り上げたお弁当を手に歩き出す。

 暗い夜空にぽっかりと月が浮いている。人はいない。獣もいない。音のない世界は美しく、私はひたすらに歩いていく。

 ソノダさんに会いたい。この世界の終わりに一目あなたに会いたい。なにもしらない。何も知らなくていい。かわりに心を捧げて、命を差し出すような愛をくれたあなたのことをこの百年、滅亡した私の世界で待っていた。世界はようやくそれに追いついた。

 あの人が消えた日、私の世界は確かに滅亡して、ずっとずっと滅亡したままだ。ようやく世界が私の心に追いつくにはちょっとばかり時間がかかったけれど。

 月の光がさんさんとかがやくなかで私は大地に倒れた大木に腰掛けて、お弁当を広げる。

 きらきらとした月光に妖精たちが踊っている。こんな日だら、きっと、また

 私の前に扉が現れた。

 ゆっくりと開かれる。

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