夜の魚はゆらゆらと
コンビニでしこたまにビールとチューハイを買った巴は自分の住むマンションの近くの公園で飲んでいた。夜ということもあり、人がいない公園は、がらんとして寂しい。公園を照らしているのが電灯一つというのがいけないのかもしれない。
置いてある遊具がうっすらと照らされて、何か出てきそうな雰囲気すらある。
巴は軋むブランコの上で、ひたすら買ってきたビールを飲んでは、酒臭いげっぷを漏らし、タチの悪い酔っ払いよろしく楽しんでいた。
「なにしてるんだ。そんなところで」
「はい?」
巴は顔をあげた。
いつの間に近づいてきたのだろう? 全然わからなかった。目の前に全身を黒服で統一した男性が立っていた。
暑くないのかと巴は思った。この真夏に、夜とはいっても、そんな長袖でコートまで着ているなんて、正気の沙汰ではない。何よりも、声をかけられたことが巴にとっては不満だった。ようするに虫の居所がものすごく悪かったのだ。
「なんか文句ある」
「酒飲みね。それも、こんな時間に」
「時間?」
「二時はまわってるよ。こんなところで酒飲んでたら、変態に何かされちまうぞ」
「あんた、変態」
男のありがたい忠告も、今の巴にはなんとも癪に障る。
「いや」
男は即答する。
「変態であっても、あんたみたいな酔っ払いはごめんこうむる」
「なんですって」
勢いよく立ち上がって酒臭い息を吐きつつ巴は男に詰め寄った。巴の迫力に押されて、男が一歩、二歩と後ろに下がる。だが、それが運のツキ。巴はさらににじり寄る。こんな男に負けてたまるかというほどにつりあがった目に男はとうとう三歩まで下がり、地面にこけて尻餅をついた。巴はふんっと鼻から酒臭い息を吐いた。
「おっかねー」
「なによ」
巴は腰を落として男の顔に詰め寄った。
「いえ、なんでもありません」
「あっそう」
男は立ち上がり、服を手ではたいた。
「けど、あんた、なんでこんなところにいるわけ。変態でもないのに」
「探し物をしてるんだ」
「探し物?」
「そうそう、ここらへんに来たはずなんだが、わからなくなって」
「朝に探せばいいじゃない。こんな時間じゃなくったて」
巴の言葉に男は笑った。
「それが出来れば、俺も苦労なんてしないさ。ただあれは、夜じゃないと動かないし。朝になると戻れなくなるんだ」
ますますわからない話になってきた。
まるでなぞかけのようで、巴はむっとした。昔から、こういったなぞなぞが苦手だった。小学生のころは、なぞなぞ大会なんかがはやっていて、よくやったが、巴は答えられたためしがない。いつも学校の成績はトップでも、なぞなぞは一つもとけない。ガリ勉だとよく馬鹿にされたことを思い出す。
「なぁ、旅は道づれ、世は情けっていうだろう。探すの手伝ってくれないか」
「私が」
男の言っていることはむちゃくちゃだ。旅をしてもないし、世の中情けなんかでは動きはしない。
「人の手が多いほうがいい」
「なんで、私が」
「暇してるんだろう? だったら、俺に付き合えば、いいものがみえることは請け合い」
「……何を探すの」
「金魚」
大真面目に言な男の言葉に巴は眉を寄せた。
「それって、水の中にいる?」
「そう。普通はな。普通じゃないのさ」
「あのねぇ」
こういうタイプが一番嫌い。
巴は、心の中で吐き捨てた。せっかくの酔いが覚めてしまった。袋の中には、まだビールが二本残っている。
「色は黒色なんだ。小さいやつで、ちょろちょろしてるんだが目を離した隙に逃げ出してさ」
男が熱心に言い募るのに巴は調子を合わせてやった。
「けど、その金魚って、なんで出ていったの」
「きっと、外の世界に憧れたのさ」
「気障」
「本当なんだから、仕方ない。時々、小さな金魚鉢じゃなくて、大きな世界に出てみたいと思うわけだ。けど、それだと困るんだよな。俺は、あっち。あんたは、あっち」
「私、協力するなんていってないわよ」
「いいじゃないか。どうせ飲んだくれなんだ。活用しないと自分を」
巴が眉間に顔に力をいれて怖い顔を作るが、男は怯まなかった。飄々と背を向けてしきりにあたりを気にしている。
この男は、酔っ払い――ではないにしろ、多少危ない。逃げたほうがいいかも。
「わかったわよ。あっちね」
さっさと帰ろう。それで家で飲みなおして、気持ちよくベッドで寝よう。駅を歩いていたときは、家に帰りたくない気持ちで一杯だったが、今だったら、帰ってもいいと思う。汗をかいて気持ちもわるいから、熱いシャワーを浴びたい。
巴はゆっくりと立ち上がり、公園の入り口に向けて歩きだした。すると何かが目の前で動いた。
「え、あ、金魚!」
思わず叫ぶと、その黒い金魚が宙をふよふよと泳いで逃げようとする。これはいけない。巴はさらに叫んだ。
「ちょ、いたわよ!」
叫ぶが男はいない。ああ、もうと巴は心の中で吐き捨てると走って黒い金魚を追いかける。決して早くはなく、ふわふわと泳ぐ黒い金魚。だが、追いつけない、手を伸ばしてするりと逃げられてしまう。
ああ、もう。
巴は苛立ちの声をあげた。
あいつと一緒。
自棄酒の原因を考えて腹立しさに呻いた。
ひとつ年下の彼氏は、巴にとっては、そこそこ満足のいく男。大学生ということもあり、若くて、あどけなくて、憎めない。その性格が災いしたのかもしれない。彼のすることに巴は一度も文句を言わなかった。まぁ年下がたらと甘く見すぎていたのかもしれない。誰にでも優しい彼氏。それは自分以外にも優しく、そして流されるやつということだ。今日、部屋を訪ねたら女がいた。三度目のことだった。鉢合わせも三度目になると、なんだか慣れてしまう。いや、感情が麻痺して言葉が出てこない。叫ぶには巴は大人だったし、プライドも高かった。なぞなぞ、一人だけ答えられない、ガリ勉だと馬鹿にされたときだって、その場では泣かなかった。家に帰って一人で布団に包まって泣いた。
ああ、もう無理だと巴は思った。
今日、別れると告げたが彼はにこにこと笑っているばかりだ。そんなことはないだろうと甘えていると思ったら、ますます腹が立った。一度爆発すると、それがとまらなくなる。巴は、彼氏の顔を殴って、そのまま出ていった。悔しくて、悔しくて、そういうときはおなかがすくが、何か食べたいとも思えない。
だから、酒をしこたま買って飲んでいたのだ。
「えーい」
巴が声をあげて、黒い金魚を両手で包んだ。
捕まえた。
両手にくすぐったい感触がする。
手の中にいるのだ。手をひらいてみてみたい。だが、開いて逃げられたくもない。
「捕まえた!」
巴は声をあげた。両手が自由だったらガッツポーズでもとっていたところだ。
「じゃあ、手を離して」
「逃げるんじゃないの」
「捕まったら逃げないよ」
男の言葉に巴は両手を開いた。
ふわふわと黒い金魚が宙に浮かぶ。男がコートを開くと、金魚は自分から進んで男の胸の中に飛び込んでしまった。
「あっけな」
「まぁね。ありがとう」
「どーいたまして」
「お礼をしないとな。どう、こんな珍しい金魚をみたんだ。お礼としては」
「不十分よ」
巴の言葉に男が困惑した顔をした。
「なんかしろっていうのか」
「これ」
巴は袋からビールを取り出した。
「二本あるの。一緒に飲みましょ」
「いいぜ」
男がビールを受け取って、封を開けたとたんにぷしゅーと音をたてて中身がぶちまけた。ああ、そうだ、走ったんだったと巴は声をあげて笑った。
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