殺し屋と少女
今日も舌打ちしたくなるようないやな天気だ――太陽が、まるで人をばかにしたようにぎらぎらと眩しい。
近藤は丁度仕事を終えた一杯というものをやっていた。
人が行きかう表通りの建物と建物の間、少し奥側へとはいった路地のビルの非常階段に腰掛けて、缶コーヒーをすするというものだが。
近藤の仕事は、時間にルーズだ。今日は朝が早かった。
「あー、おっさん、ホームレスってやつ?」
表通りからいきなり声がかけられた。
ミニのスカートに紺色の制服は、どこかの高校のものだろう。最近の若者らしく茶色に染めた髪、厚化粧な娘が近藤を睨むように見ていた。その目は好奇心の塊といってもいい。
好奇心は猫をも殺す。
「いんや、ただ、ここに座ってただけ」
「まじぃ?」
娘が狭い路地にはいってきて近藤の前に立つと不躾にも見下ろしてきた。
「てっきり、ホームレスかと思った」
「ひどい言い様だな」
近藤は笑った。
娘の胸には名札がついていた。――相澤というらしい。
それにしても、最近の子供は発育がいいと聞くが胸も太もももでかい。短いスカートからはパンツがちらりと見える。――縞々か。
「やだ。パンツみたでしょ。おじさん」
「見せてるんじゃないのか?」
「んなわけねーじゃん。ほら」
相澤が手を伸ばしてきたのに、飲み終わった缶コーヒーを手渡していた。とたんに相澤が顔をしかめた。
「なんで、おっさんが呑んでた缶なんだよ。おごってよ。ジュース」
「なんでだ」
「パンツ見たから」
自分でみせていたくせにといいかけたが、相澤の言葉には説得力があった。たかだがジュースだ。それくらいならば、縞々パンツでも奢ってもいいだろう。
丁度、ゴミも出たところだ。
猫の額ほどのしかない路地から表通りに出ると、公園がある。
近藤はまず空の珈琲の缶をゴミ箱に棄てて、その横にある自動販売機に百二十円をいれた。すると、相澤は自分のものとばかりに、コーラのボタンを押した。近藤がポケットをまさぐると二十円出てきた。
「百円がない」
「なに。ちょーださい」
コーラを悠々と飲む相澤を近藤は恨めしげに睨んだ。
近藤は、なんとも情けない顔をして自動販売機を見た。この販売機には、限定の缶コーヒーがある。それも、この地区ではここだけなのだ。だから、わざわざ、コーヒーを飲みに来ているのだ。
「どうしたの」
「この缶コーヒーが飲みたいんだがなぁ」
「先、呑んだじゃん」
「今も飲みたい」
「ガキみたいなこといってる」
相澤が屈託なく、容赦ないが、落ち込む近藤を見かねて
「そんなに飲みたいなら、仕方ないなあ」
もったいぶった動きで相澤は制服のポケットから百円玉を取り出して自動販売機にいれた。それに近藤はすぐに二十円いれて、目的の缶コーヒーのボタンを押した。ごとんと音を立てて落ちてきた缶コーヒーをとってにっと笑って見せると相澤が、ばーかと口だけ動かして呟くとベンチに歩いて行く。
二人は、ベンチに腰掛けて、互いに無言で缶の中身を空にすることだけに専念した。すでに八時は越えていて、学校がはじまっている時間であろうが、相澤は急ごうともしない。
たっぷりと時間を使って相澤はコーラを飲むと、空缶をゴミ箱に投げた。見事なコントロールで缶はなかへとはいったのには近藤は拍手した。
近藤は立ち上がり、缶をゴミ箱に捨てた。
「学校、行かなくていいのか」
「行かない。つまんなくて、サイテーだし」
「俺はいったことないから、わからんがね。最低か」
「サイテーだよ。ちょーめんどいし、くそおもしろくもないし」
相澤の言葉に近藤は肩を揺らして笑った。
「おっさんさ、ホームレスじゃなきゃ、なんなの」
「殺し屋」
ぷっと吹き出した相澤は腹を抱えて笑い出した。
「すっごいジョーク。おっさん、そんなジョーダンいえたんだぁ」
近藤は肩を竦めてみせたのに相澤は笑いをひっこめた。
「けど、まじなら、ちょークールじゃない」
「くーる?」
顔を顰める近藤に相澤は大きく頷いた。
「だって、殺したいやつ、殺せるの。いいじゃん。銃でばーんでしょ」
「仕事だからなぁ、好き勝手に殺せるわけじゃない」
近藤の言葉に相澤は、ふぅんと面白くなさそうに呟いて、踵で土を軽く蹴った。
「おっさん、誘ってもなぁ」
「デートにか」
「ばーか、遊びにだよ」
相澤の反論に近藤は、にこにこと笑って頷いた。
「よしよし、いくか。援助交際ってやつだなぁ」
「ばかじゃない。なんで私がおっさん相手にウリするわけ」
「金もらったら、エンコーって言うんだろう」
「知らないよ。私、したことないもん」
「そうなのか」
近藤が、驚いたように相澤を見た。見た目は、いまどきの若者のイメージがそのまま形なったような娘だ。だが、相澤の睨みの中にあるのは、本当に不愉快と驚きだ。その点からみて、この娘は、嘘はついていないことがわかる。
「何か食べるか」
「エンコーしないからね」
「殺し屋の友達と飯くったっていうのはどうだ」
「それって、クールかも」
相澤が目をきらきらさせて近藤は頷いた。
相澤は、見た目ほどに不良というわけではないらしい。結局、外で遊ぶ理由やこじつけがなければ、遊ぶことも出来ないような娘なのだ。
ファミレスに入ると、近藤はとりあえず、好きなものを頼んでいいと言った。仕事のあとで金はあった。相澤は、近藤をじろじろと見て、一番安いものを頼んだ。
ハンバーグセットを頬張りながら、相澤が心配げに口を開く。
「おっさん、無理しなくていいからさ」
ようやく来たオムライスを食べていた近藤は目を見開いて、ぷっと吹いた。
「無理なんかしてないぞ。仕事終りで金がたんまりあるからな」
「それが百円なくて困ったやつの台詞かよ」
「でかいのしか今、持ち合わせがないんだよ。大丈夫、百円玉一枚はなくてまっさらな一万札が百枚はある」
「てかさ、おっさんのくせにオムライス食べるなよ」
「好きなんだよ」
唇を尖らせる近藤に相澤は眉を顰めるばかりだが、なんだかんだと言ったあとデザートにケーキセットを頼んだ。ケーキが二つ、ドリンクがついているもので、相澤は嬉しそうにチョコとチーズケーキに飲みものは紅茶を頼んだ。
「うちの親、まじで最低なんだよね」
「どれくらい」
「むっちゃ、口うるさいの。もう、めんどいのよね。おっさん、殺し屋だとしたら、ばーんってさしてくれる」
「一人五十万だな」
「んな、金ないよ。てか安すぎ、私相手に破格の待遇してくれてんの?」
相澤はからからと笑って紅茶を飲み干すのに近藤は笑ったまま何も言いはしなかった。
人間一人を殺すのに、五十万は破格というが、そんなこともない。世の中には、たった十万で、人間を殺す人間だっている。
近藤は、相澤とは三時に公園で別れた。仕事もないので、公園で珈琲を買って、ベンチで飲んだ後、新しい仕事の電話を請けた。
近藤は、相澤にいったようにプロの殺し屋だ。
雨が降っていた。近藤は、雨の日は嫌いではなかった。ただ傘がないから、全身を濡れることを楽しむことにした。
「おっさん、どしたの。ずぶ濡れ」
いつもの公園の自動販売機で珈琲を買っていたら、相澤の声がした。彼女は、前にあったときとほぼ同じだったが髪型が子連れ狼のダイゴロウみたくなっていた。傘は、ピンクで、なんとも女の子らしさがある。
「いや、傘がなくってなぁ」
「しっかたいなぁ、いれてやるよ。あーあ、おっさんと相合傘」
「学校は?」
近藤は自分でもずいぶんと野暮だと思いながらも、とりあえず聞いておいた。
近藤の問いに相澤は肩を竦めただけだ。言葉としては、聞かれたくないのか、それとも話したくないのか。
「今日は休みだよ」
「休み?」
「そ、がっこのできた記念日とか、そういうのだったと思う」
「へぇ」
それなのに制服を着ているについてはあえてつっこまなかった。
「雨、ふってたら、どこにもいけないよ」
相澤の愚痴る言葉に近藤は笑った。
「ね、おっさん、なにしてたの」
「仕事帰りに黄昏てたんだよ」
「雨の中?」
「人間を殺すと、思わず雨の中でぼーとしてたくなることもあるのさ」
近藤の言葉に相澤は黙っていたが、自分の持っていた鞄からタオルを取り出すと差し出してきた。
「ばかじゃない。人を殺したからって、そんな気持ち」
「そうだな。にしても、いろいろと持ってるな」
「四次元ポケットだもん」
相澤が得意げに笑ったのに近藤は納得して頷いた。
「飯でもくにいくか」
「いいよー。奢ってね」
「いいぞ」
二人は前にきたファミレスにはいった。濡れている近藤に店員は胡乱げな目を向けてきたが、文句はいわなかった。その目は、たぶん、援助交際しているのかもしれないという軽蔑も含まれているようだが、そういう目に近藤は慣れていた。
前に食事した席が空いていたのに、そこに腰掛けて、前と同じ注文をした。
「けどさ、五十万で人を殺してくれるんでしょ? うちさ、金ないからさ、まけてよ」
「親のことか」
相澤は大きく頷いた。
「まじで最低なんだってば」
テーブルに肘をついて相澤が愚痴る数分後に店員が運んできた珈琲に近藤は口をつけた。
「俺の親も最低だったけどな」
「どんなの」
「よく殴られたし、セックスしてた」
近藤の言葉に相澤は眉を寄せた。
「父親はアル中だったし、母親はセックス中毒で、よく相手させられた」
相澤は黙ったまま、じっと近藤を見つめていた。ちょうど、ウエイトレスが、オムライスとハンバーグセットをもってきた。
食べている間も食べ終わったあとも、相澤は無言だった。
そこで仕事をするつもりは近藤にはなかったが、特定の巣を持たないので、よくいるここを襲ったのだろう。相手を服のなかに隠し持っていた銃で撃った。わざと腕を潰して生かしておいた。情報を聞き出す必要があった。殴る蹴るは当たり前で、人が思いつく限りの悪行をやってのけるも一般の感覚が麻痺した心というものは痛むことはない。ここはちょうど人の目があまりこない路地だ。移動するのも面倒だったので、その場で時間をたっぷりとかけて拷問した。人にいつか見つかるかもしれないというスリルが近藤を楽しませてくれた。
男が自分から殺してくれと声を漏らしたとき、背後から低い悲鳴が聞こえた。
近藤はふりかえり、相澤を見た。
「うっ」
相澤が目に涙を溜めていた。
近藤は男を地面に棄てて、血がついた手を相澤に伸ばした。
「やだ、血……!」
相澤が震えて、そのまま泣き出してしまった。手には血がついていたのに、慌てて服でぬぐって、相澤を胸に抱いた。
「よしよし、悪かった。悪かった」
ううっと泣いている相澤に近藤はため息をついて、地面で痙攣している同業者を見て、軽く蹴った。これをはやく処分しなくてはいけないと頭ではわかっている。
「悪かったよ」
相澤が泣いている。
近藤は、どうして自分が謝っているのか、わからずに、ただ途方に暮れていた。
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