人であるために

天才と狂人が紙一重だというのは、周囲の人々のための見え透いたお世辞のような配慮ためだ。時代と共に言葉の意味がころころと安易に変わり、その言葉の意味への食い違いは、過去の時代が残した皮肉な遺品だ。

 だからこそ、生徒が自分のことを、そう呼んだとき、彼は皮肉かと想ったのだ。


「狂気博士」(マッドサイエンティスト)

「それは、皮肉か?」

 全寮制である学園では、現在の卒業生は卒論に追われていた。自分の目の前にいる生徒も、またその一人だというのにかかわらず、随分と悠長に構えていることにたいして、一応は指導者として注意をうながすべきなのかと考えていたときの不意打ちの言葉に、流石に言い返す目が鋭くなっていた。指導者が不愉快な顔をしてもそんなものに動じる事のない生徒――この神経の一部が麻痺しているのかといいたくなる非の打ち所が見つからない天才たる生徒にむかつきがこみあげてきた。

 なによりも、この天才は、自分のしるある人間に似ていてむかつきがますますこみあげてくるのだ。それは、まさに逆恨みに近いものがある。


 ――天才とは、生まれ行くものなのか。はたまた、天性のものなのか。


 生徒はたいしてわるびれもせずに言い返してきた。

「いえ、先生にたいする敬意の意味をこめて呼んで見ました」

「そんな敬意は溝に棄てていい。今は、自分の卒論を考えたらどうだ? お前、卒業する気あるのか? 言っとくが、他の奴はどうであれ、俺はきちんとした卒論を出さないと卒業させないぞ」

 貴族などが通うこの学園では、卒論が間に合わないという場合は、親に泣きつかれて、裏入学のように、裏卒業することもザラだ。

 この生徒の場合は、両親は貴族だったはずだが養子だったと記憶している。顔といい、態度といい、見事な美しさと上に立つ素質のある少年だ。

 しかし、卒業できなければただの親泣かせの不幸者だ。

 なによりも、あまり関わりあいたくない。似ている、その顔立ちは、自分になにかを思い出させようとしている。その胃にこみあげてくる気持ちの悪さを飲み込んで必死に耐えていた。

「知ってます。ただ、まだ思いつかないんです」

「なにがだ」

「卒業論文のテーマ」

 皮肉、ではないだろう。と、半ば自己完結的に思いつつ深い溜息をついて煙草を口にくわえて火をつけた。

「そういう重要なものは、早めに決めろといったはずだぞ。お前は、頭がいいのに、少し抜けているな」

「すいません。狂気博士」

 この生徒は、自分のことをそう呼ぶつもりなのか。どこで、こんな馬鹿馬鹿しい皮肉を覚えたのか。または、自分のことに気がついたのか……いや、今は、そんなことを気にしても仕方のないことだ。

「せめて、テーマを」

「では、科学者の生涯にでもしようかな。先生も含めて、調べるべき相手はたくさんある」

「俺は、しがない学校の先生だ。ついでにいうと、お前なんていう厄介な生徒をもっちまった不幸な教師。いいか? 調べたいと想うことを、そんなに安直に決めるんじゃない。卒論だぞ。バカな卒論がごろごろしていたが、俺は、お前にそういう卒論を書かせる気はないぞ」

「知ってますよ。私もそんなバカだといわれる卒論はごめんです。せっかくの卒業の道具ですものね」

 こいつは、皮肉か。やっぱり皮肉なのか。

「けど、知りたくありませんか? 科学者たちが求める、天才の領域を」

 それは、まるで甘美な誘いだ。


 ――知りたくありませんか? どうして、天才と狂気が紙一重なのか?

 透明なほどの白い肌を持った少年は、微笑んだ。

 まるで存在することが当たり前であるかのような。(この世には、存在するものが全てが当然であるにもかかわらず)

 そんなものの答えが、あるはずがない。

 ――生まれたての世界の 

 少年は、まさに――天才と狂気がまじっている存在であったことに、そのとき、気付かされた。

 そのときには、全てが遅かった。


「インタビュー、こたえてもらえますか?」

 くったくのない瞳。

「……珈琲でも飲みながら話そうか」


 《》


 珈琲を可愛い生徒に出してやりながら、椅子に腰掛けて深い溜息をついた。首から吊るしている重りともいえる銀製の十字架を軽く手で撫でる。それが最近の癖になっていた。

「天才なんてものは、人が作った人を崇めるための物だ。いいか? ああいうのは、神になりたいのさ」

 その思考が、自分にはわからないわけではない。凡人を下等と考え、更に凡人が望むものを否定する。

否定すべきなのだ。ある意味では、自己酔狂の塊。

 人が望むものとは、人に崇められる物だと大抵は相場が決まり、そうした連中はありえないほどに善良(ボランティア)精神に溢れ、悪と戦うのがお決まりのパターンは倒した悪に、英雄(凡人の夢)が作られる。正義という人の中にある感情性は、どこまでもワンパターンで面白みがない。そして、またそれらにあっさりと倒される悪党の貧弱さ。

「だが、大抵の科学者は、そうしたものを望んではいけない。いいか? 全ての物事は、神からの贈り者だと考えているんだ。つまりは、宗教者と同じだな。天才っていうのは、いつの時も他人にわかってもらえない。自分が神そのものだと思うからだ。それは人類の大きな裏切りだからだ」

「……先生は、裏切りものだと想います?」

「俺は、カール・ポパーじゃないし、『批判的合理主義』でもない。そういう天才がいてもいいんじゃないのか? だからと言って、神になるために宇宙制圧とかいうバカな考えはなしだ。ある研究者みたいに、研究のしすぎて自分の名前を忘れちまうのもバカだろうとしかいえないしな」

 めんどくさくいいながら、煙草を灰皿に押し潰す。もうこんなにも吸殻が多くある。そろそろ棄てなくてはいけない。

「その人たちは、天才なんでしょうか」

 ふと、口を噤む。

 窓硝子から入る光を浴びて、どこを見ているのか。わからない彼の――瞳が見つめてきた。

 笑う口元。

 のんびりと、どこを見ているのか。どこを追っているのか。

 耐え切れず、いっそのこと! ――首を押さえ込む。机に横たわり、痛みに顔が歪む。だが、――くすり。と、美しい笑みを浮かべている。前髪に隠れた目がじっと見つめていた。鼓動が高鳴り、そのまま白い、まだ誰も触れたことはないであうろう唇に触れた。

 生徒の目に哀れみが含まれていた。

 こいつ、俺のことを知っているんだ! ――理解した真実に狂わんばかりの怒りがこみあげてきた。

 いいや、実際には、すでに――狂っていたのだ。


 ――知りたいでしょう? 天才と狂気の――領域が、なんなのか


「っ!」

 首を握り締める手に力が入りだす。細い首は、簡単に骨が砕けそうなほどに柔らかい。生徒は苦しげに眉間を寄せ、ただじっとしていた。だが、苦しさが頂点に達すると、手を首に置いて、苦しみから逃れようとする。――本能。

「……こわいの?」ぽつりと言葉が漏れた。恐怖――そうか、そんなものがあるのか。

 締める口から漏れる透明な唾液のなまあたたかさが手に触れて、ようやく、正気に返ったように手を、ひいて、息を吐き出す。

「……お前、俺が何者か知っていて、近づいたのか?」

 息を呑む。ここで、この生徒を殺したとして自分にはなにもないのだ。その利益的主義でここまでいきたのだ。そうたやすく、自分の中にある主義が壊れない理性に思わず拍手を送りたい。

 咳き込んで、生徒は顔をあげた。

「一応、あなたの論理は全て読みましたから。――」

 過去の名に肩を竦めて、笑った。

「昔の名だな。それは、戦争時代に人体実験していたときに使っていた。今はもう使ってない」新しい煙草を取り出し口にくわえ、溜息をついた。ある目的だったにしかずきないが、戦争が終って禁止になって、そうそうにやめた。


 ――。

 神を見てみたいと思わないか?

 それは、科学者として、当たり前の考えだ。当たり前すぎる、疑問にぶちあたっただけだ。たとえば、フランケンシュタインは、人の命がどうして終るかの疑問を抱き、研究をした。自分も同じで知りたいという疑問を探求したにしかすぎない。

 人がどこまで行き着くか。

 神になれるか。

 知りたかっただけだ。

 行き場のない子供たちや大人たちに手を伸ばし、閉じ込めた小さな白い施設は、あの頃、外の戦争よりも荒れ果てていた。

 たとえば、罪を犯した人間がいたとして、その人間を世界は危険視する。それを閉じ込めておく反省室。そんな気軽に作ったものだ。

 そんな軽く作った小さな世界は、生きるために殺しあう世界だった。毎日、人は切り裂かれる。地獄、だというかもしれないが、生きるために強くなることを強いるのは自然社会のそのままだ。弱肉強食。当たり前のことを、その世界はしていたにしかすぎない。

 作ったのは、自分だった。どんなものか。見たかったのだ。作り出すのは、恐ろしくない。

 ナチスのヒットラーの戦術をそのまま用いた方法だった。

 ヒットラーは人の扱いがうまかった。いつの時代も、人の上にたつ人間は、人を扱うことがうまい。人のなかにある劣等感をひきずりだし、優越感に浸ると逃げ出せない。愚かしい人間性。神を作り上げ、信じさせ、それに救われることを待つ。


 小さな世界を作り上げ、俺は、神になった。



 ――貴様は神になったつもりか?

 まぁ、そんなものさ。

 ――バカな、お前は正気か

 正気? まぁ正気じゃないか?

 ――こんな非道、神が許すはずがない

 非道だと? そうか、神に許しを乞えというのか? 神が俺達になにをしてくれた? 争い合う者を助けたか? お前のいう神とはなんだ! それでも科学者かっ!


 神を信じろと? なにもせず、ただ信じろという。そんなもので人の飢えが救われるか? 人が生きれるか? 答えはノー。

 だから、神を信じることなど棄てた。血に染まったときに、自分の十字架を投げ捨てた。

 ――。



「それで、俺を狂気博士と呼ぶか? そいつは、あまりにも強引すぎるぞ。そんなものは戦争時の科学者は誰だってしていた。もっとえげつないことをしたやつを俺は、見たことがある。人を解剖しまくるのはただの変態だ。俺は、変態なんだよ。変態博士とでも呼べ」

「人体実験は、どういうものをしたんですか?」

 尋ねる声は、あくまで冷静なのに苛つきがこみあげてきた。

「……ただ人を捌いただけだ。魚みたいに、解剖しんだよ」

 嘘を吐く。

 本当は、俺は――

「先生の元々は、心理学でしたよね? それで、解剖をして、なにを得るんですか」

「……俺の人体実験は、他者の心理だった。そして、この世の真理を手に入れるはずだった」

 苦々しく呟いて、灰皿に煙草をねじりつける。そして、新たな煙草を吸いだす。昔からの考える時の癖が出始めていた。

 煙草は肉体の苛立ちを抑える麻薬だ。その麻薬に肉体全てを犯されだしていた。

「天才という神を作り出すことが俺の目的だった」

 少し違うが、似たようなものだ。

 昔は、天才が神と勘違いしていのだ。

「天才を、それとも神を」

「天才が神だ。この世に人より優れた者がいないといったのは誰だ? 人間だ。この世で神を作り出したのは、誰だ? 人間だ。この世の真理とは、人そのものにある。だが、凡人では意味がない。奴等の目的は神ではないのだからな。また、一般にいう科学者でもだめだ。彼らは宗教者でしかない。だからこそ、この世の真理を手に入れるには、天才を作り出すことが一番だと思えた。だから人間の心理を見るのが大好きだったよ。フロイトやら、アドラーを読み漁った。元々、俺の両親も科学者だったからな」

 懐かしむように煙草の煙を肺一杯に吸い込んで、味わうように吐き出した。

 同期に罵られ、批判された。

 批判されるようなことは、なにもしていない。ただ、当たり前のことをしただけだ。

 行き場のない人間を一つの施設に閉じ込めて、小さな、――とるにたりない理由で戦争をさせた。それは、生きるための獣じみた原始的な行動。

 結果、全てが死んだ。

 ――天才が

 ――狂気が

 世界を満たしていく。俺を罵った同期も、殺された。

 作り上げた世界は、そうして終わりを告げた。あっけないものだ。

「結局、誰一人として天才にはなれなかった」

「それは、なぜ、そうわかるのですか? 天才と平凡を見比べ方があるんですか?」生徒の目がじっと見つめているのに肩を軽く竦めた。

「天才と人が呼ぶものには、ある分野に長けているスペシャリストというものがあるが、それはプロというだけで、天才ではないんだよ」

 溜息をついて言葉を続ける

「誰一人として、俺を殺さなかった」

 あの世界で俺だけが生き残ってしまった。

「先生の御両親は、先生が、十代のときに亡くなってますね。二人とも」

「よく調べたな」多少、感心したように呟き、半分以上灰になった煙草を灰皿に落とす。「そうだ。俺が殺した。簡単だったよ。実に簡単かつ単純なことだ。そして、俺はわかったんだ。だからこそ、俺は、俺を殺してくれる者を待ったよ。俺を殺して、その者が神になれば、それこそ、真理を手に入れたことになる」

 一人として生き残ることがなく、かつ神を誰一人として殺そうとはしなかった。彼らにとっては、自分は殺すことのできない存在だった。


 ――ねぇ みてみたい?

 一人だけいた。少しだけ期待した子どもがいた。

 その子も確か、死んだ。

 なのに

 目の前にいる生徒は――似ている。

 だが、誰一人として生き残らなかった。

 自分が、殺した。

 ――お前たちは、いらない存在だ

 と、

 いって。

 存在定義のないものたちは、自らの武器で死んでいった。たやすい絶対性の意味にすがりつく、生命の愚かさ。自分は間違っていた。信じるものだけしかないものは、欠陥でしかないのだ。――天才は――俺の欲しいものは、この世に存在すらできなかった。絶望と、敗北感しか残らなかった。


 その中で、一人だけ見ていた。美しい少年。

 生徒の笑み。

 ああ、そういうことか。と納得した。


「お前、死んだふりをして生き残ったな。あの中で! どういうルートを辿って、貴族の子供になった」

 生徒は静かに笑ったまま――

「あの死体の中で死んだふりをして、逃げ出したんです。簡単でしたよ。みんな死んでいるという思い込みを利用するのは……そのあと、いろいろとツテを使いました。そこの説明はいいでしょう。ただただ、着くところにたどり着いただけにしかすぎないんです」

「復讐か?」

 くだらないといいたげに生徒を見つめる。

「俺の目的なんて、他の科学者にしてみれば、かわいいものだよ。世界やら、宇宙やらを制圧したいというものでもない。ただほしいんだ」

 これは、言い訳だろうか? しかし、本当に可愛いものだろう? 

俺のしたことは、凡人のいう狂気や大量殺人に属されるのか。そんなものは時代と人の見方によってかわってしまう。そんな曖昧な回答はいらないんだ――。なによりも、意味もなさなければ、終わりなんだ。


 『人間の精神が、どこまで行き着くか。そして、それは神の領域にたどり着けるか』

 ――君は、神になったつもりか。

 ――それとも、神を憎んでいるのか? 神を棄てたといいながら、未だにその胸の十字架はなんだ! 矛盾しているじゃないか! そうだ。君は、まだ神を信じたいと、神の奇跡を信じたいと想っている子供なんだ。神が自分を助けてくれないから、神に見捨てられと想い、信仰を断ったのか? それこそ、信じているということではないかっ!


 くだらない愚問を並べる同士よ。

 それは、少しばかり的を射ている。だが、君の生きる次元と俺とでは、比較にならないほどに違うんだ。確か、君は、すぐに殺されてしまったな。そう、俺が殺してしまったが……同士、君の血に塗れた十字架はまださげているよ。

 君は、最もいい意見をいったが、いつもツメがあまいんだ。


 最後の煙草をくわえこんで、壁の方に置いてにある金属ステッキに手を伸ばすと強く握り締めた。もう、随分と感じていなかった感覚だ。これを使ったのは、随分と昔だ。まだ、へこんださきの赤い痕が残っている。どんなに洗ってもおちなかったのだ。

「いいえ」

 生徒は優しく微笑んだ。なんだ――息を呑み、見つめる。

「私は、ただ見てみたいんです。完全たる人類というものを」

 その微笑みに、言葉を聞いた瞬間、痛感した。ああ、彼がきたのは、自分と同じ目的だったのか。

 このばかばかしいほどに単純すぎる理想的、かつ現実的な義務と定義。きっと人にはわかるはずもない。わかりっこないのだ。哀しいことだ。凡人よ。

「気が合うな」

 微笑み返し、冷たいステッキの触り心地がこれ以上ないほどに手に馴染んで気持ちよかった。



 神? 天才? そんなものくだらない。俺が欲しい物は、お前らに理解できてたまるか! 俺は、ずっと神を信じているし、愛国心もたっぷりとある。父さんも母さんも愛していたよ。ただ目的のためならば、仕方のない犠牲だろう? そう、他人に理解されないのを除けば、俺ほどに人間らしいものはいないだろう。ただ人間は理解できないのさ、人間過ぎる人間である俺を。

 絶対制は神の領域ではない。ただ絶対的な人間性。それを作りあげたかっただけだ。

 完全たる人間がいれば、それが神であり、天才なのだから。

 ふりおろす一撃に、あなたのいう慈愛か、救いを――ください。

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