鬼とひと

 野郎のちんぽみたいだな。

 そんな品のないことを口にした男は、艶やかな唇に、気まぐれな猫みたいな笑みを浮かべた。

 死んでも下ネタなんて口にしなさそうな見た目に反して、友人の小暮はエロスとグロの権化のような男だ。酒場をきりもりしている俺だってある程度耐久はあるが、その上をいき、いつも俺を赤面させ、青白くさせ、あわあわさせる名人だ。

「お前なぁ」

 今日は呆れた。

 まだ日の高いうちにお前はなにをぬかしているんだ。

「いやー、あれが切れたら、痛いだろうなぁ。なんたってちんぽだぞ。ちんぽ」

「ただの木の枝だ。阿呆」

 煙管から漏れる煙をくゆらせながら小暮は笑う。

「想像力が足らんなぁ。我が友人の小林くんは。あの枝ぶり、どうみても男のなにじゃないか」

「……やめろ。想像させるな。俺が痛い」

 思わず股間を両手で押さえそうになる。

 そんな俺の態度に、小暮はからからと笑った。

「想像力はいいぞ。人に欲と楽しみを与える。恐怖もしかり。かの有名な作家も口にした。想像がなければ恐怖はなし、とな」

「あのなぁ。それがてめぇの荒れ果てた庭を掃除してやる友人にすることか。もうせんぞ」

「それは困る」

 小暮は子どもみたいな顔で言い返す。

「貴様がしなければ、誰がこの荒れ果てた庭を正すというんだ。小林くん」

「だったら、作業の邪魔するな」

「それも困ったことに無理だな。小林くん」ふぅと煙管から濃厚な煙が吐き出される。「小林くんがいたら構わずにはいられない。これが私の友情だよ」

「涙が出るほどにはためいわくだな。本当に」

 やれやれと首を振ると小暮はごろごろと喉を鳴らす猫みたいに笑う。

 庭に立って汗だくの俺と家の庭に面した座敷に座って楽しそうに笑う小暮。なんとも対照的だ。

「さぁて、仕事まで、ちょいと時間がある。しばらく寝るよ。庭のことは頼んだよ」

「ったくてめぇわ」

 そう言いながらも奥へと引っ込む、小暮を止められない自分がいた。


 小暮は芸人だ。

 舞台に立つ。その姿は花か夜叉のよう、と詩人に言わせた。俺もそう思う。艶やかな女の姿、それが時として恐怖や狂いをふりまいて笑っているのだ。おそろしい、おそろしい、バケモノのような芸人だ。

 小暮は夕方になると目覚めて、風呂にはいり、俺の作った飯を作る。

「おいしいねぇ」

「そりゃどうも」

「やっぱりプロってもんは違うねぇ。その道を究めてらっしゃる」

 俺の仕事が、ちいさな、しがない酒場であることを小暮は知っている。父の代からのもので、都会に憧れて出ていったはいいが、二年で泣き戻った。都会の空気があわなかったし、金を根こそぎとられてしまったせいもある。

 借金を全額肩代わりしてもらった父の願いはひとつ、自分の店を継ぐこと。

 そのあと死にもの狂いで弟子として働いて、十年。父が死に、今は自分がおやじだ。常連と、新しい客。愛想はないが、飯だけはある。そんな店だ。

「褒めてもなにもできないぞ。ったく、あー、いたい、いたい。なんで休みを潰して草抜きと枝とりをしてるんだか」

 ふふっと小暮が唇を釣り上げて笑う。女みたいだ。

「そりゃあ、あんた、野郎の一物を斬るのが楽しいからだろう」

 吹いた。こいつ、まだ昼間のネタをひきずるか。

「あの枝の下にゃあ、女の膣みたいなバケツをおいといた。お前さんはさながら嫉妬に狂った鬼ってところかねぇ」

「あーのーなー。そのバケツのなかに枝を置いといたぞ、おりゃあ」

「なぁんだ。ああ、鬼っていやぁ、女だからねぇ。あんたじゃ、役不足かい。んん、この豆腐、おいしいねぇ」

 目を細めて笑う小暮に俺ははぁとため息をついた。

「仕事に行ってこい、はやく」

「もちろんさ。さぁて、見ておいで、アタシの芸を」

 顔が変わった。役者の顔だ。


 その日は嫉妬に狂った挙句に鬼となった女の舞台だった。

 小暮が一人、語り、その動きをする。落語みたいだと思うが、ちょいと違う。瞬時に着物を着替えたりして、舞台の端から端まで駆けまわる。同じ年である俺はその体力にへーと思うばかりだ。汗一つかいているのを見せないのもあっぱれ。

 赤から紅へと変わる。変わる。

 うらめしい、うめらしい、おまえさま

 青から蒼に変わる。変わる。

 愛しい、愛しい、おまえさま

 囁いては甲高く。

 女が動く。男が逃げる。

 浮気ものの男、そんなものに恋した女のどこまでも愚かしい恋の話。舞台の端から端まで、愛憎で浸る。

 浸――シン――。


 いいものをみた、いいものをみたと口ぐちに囁く客の合間を縫って俺は家路につくべきか、待つべきかと迷っていると、小暮が現れた。舞台のときとはまったく別人だ。先生と呼ぶ声がするが、小暮は振り向きもせずに、一人ですたすたと歩いてくる。

「お前は、いつもながらつれないなぁ。なんとかの派閥とかあるんだろう」

「知らないねぇ、そんな野暮なこと。アタシはやりたいからやるのさね」

「ふーん、そんなものか」

 よくわからないものだ。

 真っ暗な、夜道を歩く。からん、ころん。下駄の音が響くなか、別の音がして振り返ると、息を切らした女が立っていた。

 真っ赤なスーツ姿の女が、震えながらナイフを向けてきたのに俺は咄嗟に小暮を庇おうとした。

 小暮は笑って、俺を押し退けた。

「殺したいのかい、だったら殺せ。アタシをね。けど、この男にてぇだしちゃなんねぇよ」

「……、先生は、素晴らしい人です。私はずっと憧れていたんです」

「そうかい」

「あなたに近づきたい」

 女の切実な声に小暮は目を細めた。

「そのためにナイフを振り回す女なんざ、ごめんだねぇ」

 女が悲鳴をあげて向かってきた。だめだと思ったが、小暮は怯まず、女のナイフに自分の手を与え。かわりにその頬を平手打ちにして地面に転がした。

「狙うは、心臓。たった一つさ。てぇなんざ、いくらだってかわりがあるんだ。とっととおかえり、なまくら」

 こういうとき、この男は本当に、本当にひんやりとするくらい冷たくなる。

「小暮、警察は」

「いらないよ。ただ手ぇがだめになっちまった。お前さん、頼むよ、アタシの手を救っておくれ」

 挑むような瞳が見つめてくる。。ナイフが刺さっている手を俺は掴んだ。ナイフを抜き取って、ハンカチで血止めをする。女はそのままほっておいた。それでいいと小暮が口にしたからだ。一人ぼっちで途方にくれる女は哀れだ。

「ああ、いたい、いたい」

 歌うような声だ。

「お前さんはひどいやつだ」

「そうかい」

「お前を多くの人が愛してるが、お前はちっとも返さない」

「孤独じゃないと芸は出来ないんだよ。けどね、その分、いろんなやつを愛せる。芸人というものは業が深いと思うよ。楽しくてたまりゃしない」

 ふっと小暮が力なく笑った。

「今日の庭の枝みたいに。たった一つのバケツの穴に落ちる運命なら、よかったのかもしれないけどねぇ。アタシは生憎と、この生き様が嫌いじゃないんだよ、小林くん」

「そうかい、帰ったら、手当して、湯豆腐でも食べるか?」

「よ、待ってました!」

 けらけらと鬼が笑う。その血塗られた、孤独の手をひいて、俺は夜道を歩いた。

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