美しい死

 魔王は愛に狂っていた。

 羽をもぎ取られた小鳥のような悲鳴にも、飢えた狼の雄たけびにも聞こえる声。痙攣する肉体。目はかっと見開かれ、僅かにあいた唇は何を言おうとしているが言葉にはならずただ呻き声だけが漏れだす。激痛にはやがて歪む表情。それを見て彼はなんともいえない気持ちになった。どうしてこうも醜いのだろうか。人の死というものを彼は醜いという言葉以外では受け入れられないでいた。彼の目の前にいるのは彼の愛した女性である。花を愛し、命を尊び、微笑むとまるでたくさんの輝きがあふれ出るような彼女。彼女は美しかった。だから彼は彼女を愛した。彼女にいつも物を贈り、彼女が喜ぶためなら道化になることも厭わなかった。そして、その愛は時としてこの世のすべてを無へと誘うほどの激しい感情でもあった。彼にはこの世のすべてを破壊する義務があった。なぜならば彼は魔王。世界の敵であり、世界を滅ぼす者。世界は彼の敵以外のモノではなく、彼はすべての魂の害であった。彼は何かを傷つけるための力は持っていたが、何かを救うための力は持っていなかった。彼はたった一人の美しい姫君を愛し、彼女へと手を伸ばした。そう、黒い手によってこの世で最も美しい姫君を捕らえられた。彼女のことをただ見ているだけで、はじめは満足していた。満足すべきだったのだ。彼女は笑うと可愛らしく、太陽の下にいることがとても似合うお姫様だった。この世で最も美しいといわれていたが、実際、そうだった。清らかな心が彼女の肉体に輝きをもたらしているかのようであった。魔王は姫に恋焦がれた。生まれたときから、暗い闇の中にいた彼は太陽を憎み、嫌っていた。それは嫉妬からの感情だったのかもしれない。彼はないものを求めることの惨めさを知っている。ゆえに憎んだ。自分にないものすべてを憎むことこそが自分の生まれた義務だと思ったからだ。それは大方間違いではなかった。彼はそのためにこの世に生まれたのだ。彼もまたこの世界に生まれるべくして生まれた存在であった。世界には時として凶器が必要だ。人が人と争わないために。そのために生み出された神が彼なのだ。彼は必ず世界を憎むように生まれる。そして彼は彼が知らぬ間に世界を激しい憎悪と嫉妬でゆがみにゆがんだ感情によって喰らおうとする。だが必ず彼は人の手によって討たれることが約束されていた。しかし、彼はそんなことは知らなかった。何故ならば、彼は魔王であり、この世の敵であり、害であり、神が与えた唯一の人々が人であるがゆえに争う義務を失わせるための慈悲なのだから。彼には本能があるだけであり、それ以外のモノはなかったはずだ。しかし、彼は美しいものに目を奪われ、嫉妬も憎悪も、本来持つ感情のすべてを失って手に入れた、それは愛することだった。それは彼が持ってはならない、本来は彼の中にあってはならない感情だった。魔王は美しい姫君を攫い、塔に閉じ込めた。自分のこの激しい感情を理解できなかったからだ。姫は泣いていても美しかった。美しい姫君は慈悲深かった。それはこの世にあってはならない慈悲だった。彼女は魔王に微笑みかけ、手を伸ばした。魔王はその優しさに身を焦がした。これが愛なのか欲望なのか分からなくて、ますます憎悪を強め、人を憎んだ。憎むことこそが彼が彼である唯一の形であったからだ。何かを呪うことでしか生きられぬ魔王を姫君は哀れみをこめて見つめた。それは愛ではなかった。しかし、彼が愛と思うには十分だった。魔王は自分が姫君を愛したと自分で思った。手を伸ばして、その姫君が握り返してくれることだけに安堵と幸福を覚えた。だから人間を同じくらいの気持ちで憎むことも出来た。彼は姫君を愛しながら、それ以外の者を屠ることに余念がなかった。いずれは自分を殺しに来る者のことも彼は感じながらも怯えることもなく姫君と共にいた。彼は自分がどうしてこの世に生まれたのか、姫君を通して理解したからだ。理解しながら、それを受け入れた。自分は世界の敵なのだから。しかし、悲劇は訪れた。彼が死ぬ前に姫君が死んだ。病に倒れた彼女を魔王は哀れみ、激しい憎悪で戦慄いた。流行り病にかかった姫君の美しい顔は歪み、苦しみにもがいての最後を訪れた。それは悲しいほど醜かった。魔王は醜いと呟き、その瞬間に愛が破壊されたのがわかった。自分は姫君の醜さを受け入れられない。魔王は狂ったように叫びあげた。しかし、魔王でも人の命を生き返せることは出来ない。だから彼は姫君の時間を一日だけ戻した。それが彼に出来る唯一だった。だから姫君は一日ごとに死ぬ。苦しみ、呻き、痙攣し、唾液と血を口から吐き出して。彼はそれを眺める。何度見ても、彼女の死は醜い。魔王はその度に愛の喪いを感じ、それを受け入れられずに時間を戻す。美しい死を彼女に与えなくてはいけない。この愛を喪わないために。

 魔王は愛に狂っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る