最終章 Marine scatter

 詩織の四十九日が終わったその夜、納骨された墓地は、蝋燭や線香の黄色と赤色の点々と灯る光に彩られ、恰も墓穴から天へ飛び立つ死者のための滑走路灯のように灯火が集っていた。


 英一は秘書の綾子を伴い詩織が納骨された城下家の墓の前に居た。

 その手には、バールが2本握られており、綾子は英一の後ろから墓の排石を懐中電灯で照らしていた。


 綾子は英一に問うた。


 「先生、本当にこの中に入るんですか?」と


 英一はそれには答えずこう言った。


 「ヘ○インが欲しければ、俺の言うとおりにしろ。」と


 綾子は今すぐにでも、あの「悪夢の絶頂」ヘ○インセックスをしたくて仕方がなかったため、英一の指示に素直に応じることにした。


 城下家の墓は、20㎡を超える巨大な墓であり、カロート(納骨室)の蓋も大きくて2重になっており、またカロートも地下室になっていて、階段で降りて行くような構造であった。


 英一は排石をこじ開ける前に、


 「これから城下家の墓地の故人様の確認の為、冥界の蓋を開けさせて頂きますが、ご先祖様のお墓が無縁にならぬように致す事で御座います、大変に失礼では御座いますが、何卒ご了承下さいます様、よろしく御願い致します」と言葉を述べた。


 悪魔のような性癖でありながら、幼い頃から先祖を大事にするよう父太郎から教え込まれた英一には、神事深いところがあった。


 英一は先祖に赦しを乞うと、1本のバールをすき間に挟み、もう1本のバールで排石を起こしにかかった。


 「うーんっ!」と英一は力一杯排石を起こそうとしたが、到底、1人では無理であった。


 英一は綾子に指示した。


 「このバールを持っていてくれ!俺が排石をずらすから!」と


 綾子は急いで英一と変わりバールを握ったが、20歳そこそこのか弱い女性には、それを持ち堪えるには限りがあった。


 英一は、もう一つのバールを持ち、排石に引っ掛け、綾子に言った。


 「いいか、俺が合図したら目一杯、左にずらせ!」と


 綾子は必死にバールを握りながら頷いた。


 「今だ!」と英一が言った。


 「ズドン~」と大きな音が墓地内に響き渡った。


 英一は辺りを窺うこともせず、急いで、排石を更に両手で押すようにずらした。


 そして、綾子に言った。


 「中を照らせ!」と


 綾子が懐中電灯で中を照らすと、5段ほどの階段が見えた。


 英一は、綾子から懐中電灯を受け取ると、墓の中に入り、階段を降り、カロートに入った。


 その中は、幾つもの遺骨壺が置かれており、一番手前に一眼で分かるよう、真新しい白い布で覆われた詩織の遺骨箱が置かれていた。


 英一はそれを抱き抱え、カロートを振り返らず、墓から出て、排石を閉めた。


 そして、車に乗り込み、健人にこう連絡した。


 「今、遺骨を出した。」と


 健人は英一に問うた。


 「女も一緒だな?」と


 英一は、「一緒に居る。」と答え、「何時にそちらに着けば良いか?」と健人に聞いた。


 健人は言った。

 

 「今から迎え!熊本から長崎まで高速で4時間あれば来れるだろ!」と


 英一は腕時計を除いた。

 時刻は午前2時を周っていた。

 英一は渋い顔をしながら、


 「では、午前6時に長崎港に着くように行くよ。」と言い、電話を切った。


 そのやり取りを助手席で聞いていた綾子が怯えながら英一に問うた。


 「先生、どうして、私も一緒に行くのですか?私も殺されるのですか?」と


 英一は、自身の右側頭部を指で指し、苛立つように綾子に行った。


 「この耳なしを見ろ!殺されるなら当のむかしに殺されていたさ!」


 そして、綾子に怒鳴って悪かったと言い、こう説明した。


 「相手側がお前も連れて来るよう指定してきた。  

 今、俺がヘ○インセックスの相手も同行させるようにと。

 いいか、お前に危害が及ぶかどうかは俺にも分からない。

 ただ、奴の言うとおりにしないと、全てが公表される、マスコミにもな。

 そして、俺とお前の変態的な性行為が世の話題となる。

 それでも良いのかと言うことだ。」


 綾子は諦めたように、

「分かりました。」とだけ答えた。

 

 こういう、保身だけの男、実力もなく人望もない男が「時代の寵児」として持て囃された結果、身の危険よりも、やはり似非行為で掴み取った名誉、栄誉に固守してしまう。

 見せかけてだけの品物に


 健人は英一からの連絡を受け、山中に言った。


 「午前6時に長崎港に到着する。」と


 山中はニヤリと笑い、何処かに電話をした。


 「午前6時に長崎港だ。2人とも居る。」と


 電話を終えた山中は健人に言った。


 「俺とあんたは、遺骨を引き取って終わりたい。

 あの2人は「地獄の小屋」に連れて行かれる。

 中国マフィアの死の拷問を受けることになる。」と


 健人は山中に聞いた。


 「奴はしくじったのか?」と


 山中は首を振りながら説明した。


 「ボンボンじゃなくて、女の方たい。

 どうも女は病院に行ったそうだ。

 そこで、医者が警察庁に情報提供した。

 そして、麻薬捜査官が調査したら城下英一の存在が浮上した。

 国会議員だ、バックに大きなものがあると睨んだ麻薬捜査官は中国マフィアのツテに確認した。

 それがドンピシャ顧客リストに記されていた。

 日本のポリ公では中国マフィアには対抗できん。

 また、中国マフィアも日本の世論、マスコミが騒ぐと宜しくない。

 じゃけん、折り合いとして、当事者を消す。

 そういうことたい。」


 健人は山中に問うた。


 「警察庁と中国マフィアは繋がっているのか?麻薬捜査官はマフィアと癒着してるのか?」と


 山中は言った。


 「そんとおりたい。いいか、この不景気、一番稼いでいるのは、ヤクザや!特に世界的なマフィアじゃ。アメリカの禁酒令時のアル・カポネと同じたい。

 そして、それらマフィアに袖の下を伸ばす、ポリ公よ。

 高級外車のユーザーで1番多いのが、ポリ公やけんな!」と


 健人は納得して頷いた。

 健人が東京にいるとき、あの留置所、あの警察署の営利的な扱い方、銭にならない仕事を面倒臭がるあの雰囲気、社会も腐れば警察も腐る、時代が悪かったと健人は詩織の無念に心で手を合わせた。


 午前7時、長崎港に2台の車が停まっていた。


 一台の車から女が白い布で覆われた箱を持って出て来て、もう一台の車に近づいて来た。


 助手席の窓が開き、山中が詩織の遺骨を受取り、布を解き、蓋を開き、健人に見せた。

 健人は蓋に書かれた命名を確認し、中の遺骨を触って確認すると、山中に白い粉が入ったビニール袋を手渡した。


 山中はそれをその女性に渡した。


 綾子はその袋を受取り、車に戻り、英一に見せた。


 英一は小指で白い粉を舐め確認すると健人に電話した。


 「これで、取引は終了だ。この先、一切、お前とは関係ないからな。」と


 健人は言った。


 「俺はそのつもりだが、中国の方はそうじゃないみたいだぜ。

 まだ、お前と取引したいみたいだよ。

 あっ、それとな、その女に注意しておいた方が良いぜ。

 勝手に病院には行かないようにとな。」


 英一は健人の電話を切ると慌てて、綾子に言った。


 「お前、病院に行ったのか?」と


 綾子は英一に当たり前のように笑顔で答えた。


 「うん!妊娠したかどうか、診てもらいに行ったの。まだ、赤ちゃん出来てないって言われたわ。」と


 英一はハンドルに額を何度もぶつけながら、綾子に言った。


 「ヘ○インセックスしてるんだぞ!血液検査したらバレるだろうが!」と


 綾子は英一に平然と言った。


 「うん、だから、こっちの注射痕がない左手にして貰ったよ。」と


 英一は唖然として、綾子にこう言った。


 「医者は血液検査の結果はどう言った?」と


 綾子は言った。


 「肝機能の血液数値が高いと言われただけだよ。」と


 英一は更に問うた。


 「どのくらい高かったんだ?」と


 綾子はゆっくり思い出しながらこう答えた。


 「えーと、γ-GTPがね、正常値50のところ200越えていたの。

 でも、お医者さん、薬で下げるからしか言わなかったよ。」と


 英一はそれを聞き、初めて、今、健人が言った助言の意味が分かり、そして、身の危険を感じ、急いで車を発車させようとしたが、既に手遅れであった。


 英一の車の運転席の窓には、サングラスをかけた男が背広の袖口からサイレント銃の銃口を引っ付けていた。


 サングラスの男は、英一にドアロックを解除するよう促すと、助手席の後ろにもう1人の男が乗り込み、綾子の口をハンカチで押さえ、気絶させた。


 英一は気絶した綾子を見て、その後ろの男の顔を見た瞬間、その男が筒みたいものを咥え「ふぅ」と吹いた。

 何かのヤジリが英一の喉に突き刺さった。

 

 それから、英一と綾子の姿は日本から消え去り、一時期、「国会議員が秘書と逃避行」等とマスコミの話題にもなったが、

 妻の葬儀にも出席せず、妻の死後、直ぐに秘書に手を出した不貞な男の噂は、あっという間に世間から忘れ去られた。


 英一と綾子はある丘の小屋の中に居た。

 その小屋の中には、真ん中に囲炉裏があり四六時中、アヘンが燃やされ、小屋中、もうもうと煙を立てていた。

 

 その囲炉裏の周りには、気の触れた人々が、全裸で男、女、構わず野生の猿のように性行為を繰り返していた。


 綾子も何人もの女に身体を舐め上げられ、何人もの男の陰茎を身体中の穴という穴に挿れられ、


 「気持ちぃ~、気持ちぃ~、また、イグぅ~~」と


 何度も何度も何日も何日も気狂いのように性を貪り続けていた。


 この小屋は、中国とカンボジアの中国側の国境地帯のジャングルの中にあり、かつて、ポルポト派への資金源とし、アヘン栽培がされていた地域であった。

 現在は武装した中国マフィアのアヘン精製の拠点であった。


 その丘の小屋は、組織を裏切った者を閉じ込め、正にアヘン漬けにし、精神障害を引き起こさせ、この狂気の性行為に限界を感じた者は、自ら小屋を出て、崖下50m下のジャングルに身を投じ、密林の肥やしとなるのであった。


 綾子にはその限界が近づきつつあった。

 

 綾子は、性行為をしてなくても、身体中の穴から体液を垂れ流し続けていた。

 ある日、綾子は、突然、ふらふらと小屋の外に出て、猿のような笑い声を響かせ、密林の中に身を投じた。


 英一はまだ生きていた。

 いや、人間としては生きてはいなかった。


 英一は小屋の隅に猿が餌を隠して食べるように、後ろ、横をキョロキョロと見回しながら、クチャクチャと何かを貪っていた。


 英一が貪っていたのは、人間の死肉であった。


 この男はやはり悪魔であった。


 人間としての自我など胎児の時からなかったように、狂気の目をしながら人の死肉を貪る。

 アヘンの煙を吸い続けながら…


 健人は詩織の遺骨を抱え、山中の舵を取る船に乗っていた。


 船は長崎県の壱岐の沖合を目指していた。


 壱岐の沖合には、暖流でない地域では珍しく、手付かずの珊瑚礁が生息していた。


 健人は、大学時代、壱岐には詩織を連れてよく旅行に来ていた。

 詩織はこの壱岐の真っ白な砂浜がとても気に入っていた。


 健人は遺骨を壺から取り出そうと手で握ろうとしたが、触った瞬間、その固形は粉のように崩れ落ちた。


 ヘ○イン、MDMA、覚せい剤を乱用し続けた詩織の骨には、固形を形成するカルシウムも存在してなかったのだ。


 健人は遺骨を掴むのを諦めた。

 そして、白い粉となった遺骨にこう語った。


 「ごめんな、助けてあげずに…、お前、頑張り過ぎだよ…、こんなになるまで、俺に助けを求めず…、

 でも、詩織、綺麗だよ。お前の生きている時と同じように、とっても白くて綺麗だ…」と


 船は壱岐の沖合に到着した。

 山中は何も言わず舵を握ったままであった。


 健人は風向きを確かめるよう指を舐め、空に翳し、そして、壺から白い粉を掌に溢し込みながら、ゆっくりと海へ投げやっていった。


 健人は、全ての粉を海に流し終えると、こう呟いた。


 「詩織、約束は果たしたよ。あの墓にはお前を眠らせなかったよ。海がお前のお墓だよ…。」と


 それから、何週間後、健人は愛媛に帰り、今日も陽介の遊漁船に乗っていた。


 陽介が健人に言った。


 「健ちゃん、もう、あの曲、かけなくてもいいのかい?」と


 健人は陽介に指でOKサインをし、にっこり笑い、そして、海原を見つめた。


 健人の眼下に広がる海は流れていた。

 それは、壱岐で海洋散骨した詩織の遺骨が潮に乗り、ここ、豊後水道にも流れ着いたかのように、健人には感じられた。


 そして、健人は思った。


 海面に映る青い影、幻ではない、朧げではない、海はそこにある、詩織はそこに居ると…


 そう思い至った健人は、いつものように、咥えた煙草を海へ指で弾き飛ばそうとしたが、それを止め、反対側を向き、生簀の中に弾き飛ばした。


 そして、健人がまた海を見つめ直すと、なんとなく、海が笑ったように感じた。


 

 

 















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青い影【彼女は幻】 ジョン・グレイディー @4165

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