終章 顔の無い者たち

E-1

「パイセン! お疲れ様っす!」


 夏の暑さが高まる7月の午後。上層部との会議から仙台市警『とくべつ課』のフロアに戻った遠藤を後輩刑事の荒谷が迎える。


「荒谷、復帰おめでとう。体は問題ないか?」

「ばっちりっす! ほらこの通り!」


 荒谷は一ヶ月前に立てこもり犯たちに折られた左腕をぐるぐると回す。


「パイセンこそ、課長への昇進おめでとさんっす」


 遠藤は呼ばれ慣れない役職名を聞き、ばつが悪そうに後頭部をかきむしる。

 立てこもり犯たちがフェイスマンに倒されたことは、市警の公式発表ではなかったことにされた。いくら民営化された組織とはいえ、勝手に自警行為を行う仮面の男が事件を解決したと認めれば沽券にかかわる。マスコミの追及や市民の反発の声はあれど、一か月前の立てこもり事件は『とくべつ課刑事、遠藤の見事な指揮により犠牲者ゼロ、容疑者グループの全員を逮捕』という結果の主張を、市警は今日まで崩していない。

 当日、特殊部隊出動を渋った佐野上課長はその手柄を自分のものとし市警の上階へ、つまり上の役職へ昇進した。結果、空いたポストに『とくべつ課』の刑事の中から誰かが就くことになった。本来であれば大ベテランの本田がその職に就くのがふさわしいが、当の本田は「定年間際のロートルに、管理職は厳しいよ」と拒否。逆に「遠藤、お前がやるのがいいんじゃないか。真面目だし」と遠藤が推薦されることとなった。他のベテランもいる中、まだ若手である遠藤の課長職就任は異例だった。しかし、公式発表上で立てこもり事件の英雄とされた遠藤が昇進することに異を挟む人間は誰一人いなかった。

 結局のところ、フェイスマンが言った通り遠藤は昇進した。より大きな権限を持ち、人々を守りやすくなるよう体制を変えられる立場に。


「あーあ、パイセンが偉くなっちゃったら現場回りは一人かぁ、寂しいっすねぇ」


 唇を尖らせ、心にもない寂しさを演出する荒谷に、遠藤は意地悪な笑みを浮かべる。


「心配するな、しばらくは現場に出るぞ。お前とのバディも継続だ」

「ヴェー! 大人しくデスクワークに励んでくださいっすぅ」


 荒谷は夏休みが取り上げられた子供のようにむくれる。

 遠藤は佐野上のように自身の職位に甘んじるつもりはなかった。せっかく得た、というよりも譲ってもらった地位を活かさない手はない。自らが手本を示し、新たな規範となり、まずは『とくべつ課』を。ゆくゆくは市警をも変えたいという野望があった。誰かを見捨てない、よりよい警官のいる市警へ、生まれ変わらせるのだ。


「せっかく託されたんだ。やれることは全部やる」


 遠くを見る遠藤に、荒谷も思わずかつて追っていた者を思い浮かべる。


「……フェイスマン、どうしてるっすかね」


 立てこもり事件以降、フェイスマンは姿を消した。フェイスマンに関連した事件が起きないことで、捜査本部は解散となった。彼が現れなくなった原因として『7月に入ってマスクが暑くなったから休んでる』といった冗談を市警内でよく耳にするが、遠藤は違うと確信していた。

 市警が『フェイスマンなどいなかった』と嘯いても、あの日、通報管理コールセンターにいた人質たちの口は閉ざせない。彼らは口を揃えてこう証言する。


『フェイスマンはこの街を変えるために戦ってくれていた』

『自分たちを助け、街を救うために犯罪に立ち向かった』


 そう警察ではない相手、SNSや動画サイトで街の人々へ証言し発信した。


『この街を変えたい』


 立てこもり犯と人質たちの前でそう宣言したフェイスマンは市民の心を捕らえ、この街の変革のシンボルになりつつある。本物を見なくなった代わりに、SNSのアイコンや街の中のグラフティアート、無断で張られたステッカーでフェイスマンの目も鼻も口も無い顔をよく見るようになった。顔の無い男の言葉に皆、自身を重ねたのだ。そして、それは遠藤も同じだった。

 男か女か、若者か年寄りか、どんな名前でどんな思想を持っているのか。街を変えたいと、世界を良くしたいと願うならそれは些末なことなのだ。世界を変えていくのは一握りの人間ではなく歴史に残らない、名が残らない遠藤たちのような『顔の無い者たち』だと、フェイスマンは肯定したのだ。


「きっとどこかで戦ってるさ、警察の知らないところで」


 確かに『フェイスマン』はいなくなった。だがそれは『顔の無い男』に戻ったからに過ぎない。あの何かに怯えていた怪人は、確固たる信念の元、一人の市民として街を変えていくことを選んだのだろう。遠藤は願う。フェイスマンと思しきあの青年が、新たな街を作ってくれることに。そして決意する。そんな彼を、市民たちを命を賭しても守ると。


「こっちも負けてられないぞ、市警の問題は山積みだ」

「そっすね」


 生意気交じりだが、荒谷の少し成長した笑顔に遠藤は頼もしさを感じた。

 だが、その感傷をかき消すように『とくべつ課』のフロアに警報が鳴り響く。


<OPより全PC、PDへ。一番町地下通路にて強盗事件発生。対応できるPC、PDは対処願います>


 荒谷が近くのデスクの受話器を取り答える。


「こちら『とく課』クラスD刑事荒谷、了解。現場確認に向かいます。付近PCにも可能な限り現場を抑えるよう、引き続き要請願います」

 荒谷は素早く応答し終え、遠藤を挑発的に見つめる。もちろん一緒に行きますよね、と無言で遠藤に催促しているのだ。


「よし、気合入れてくぞ」

「了解っす!」


 二人の刑事は確かな信念を胸に、仙台の街を守るべく駆け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る