5-16
礼人は雑居ビルと雑居ビルの狭間、室外機が並ぶ空間でじっと隠れ、息を殺していた。ワイヤーガンを使って窓から降下し、オフィスビルと仙台駅東口近辺からは脱出できたが、アジトまでの逃走には至っていなかった。日は落ち始めたとはいえ、事件の影響でいつもより巡回の警官やパトカーが増えた仙台の街を逃走するのは、この街を知り尽くした礼人にとっても至難の業だった。辺りからは未だにパトカーのサイレンが鳴り響いている。サイレンが聞こえる度、礼人は体を縮こませ隠れようと努力する。
何度目かのパトカーのサイレンをやり過ごしたあと、ヘルメット内のモニターに通話着信のマークが表示された。無線接続した礼人のスマートフォンに、誰かが電話をかけているサインだった。
「通話開始」
音声認証で電話に出ると、すっかり聞き馴染んだ声が聞こえてきた。
「あたし。あたしはホテルから出たけど、あんた今どこ」
アメリアだ。彼女も無事ホテルから無事脱出できたことに一先ず胸をなでおろす。
「逃走中だ。脱出自体はできたが、警官が多くて戻れない。花京院付近で足止めを食ってる」
「花京院のどこよ」
礼人が詳細な場所を伝えると、電話の向こうからエンジン音が聞こえた。
「待ってて、迎えに行く」
すぐに通話は切れたが、5分ほど待つと礼人が身を潜めるビルの前に、丸みがある四角形を重ねたポップなオレンジ色の軽自動車が止まった。運転席にはアメリアが乗っている。
「乗って!」
こちらに気づいたアメリアの呼びかけに礼人はヘルメットを脱ぎ、目撃者がいないことを確認してから、アメリアの待つ軽自動車の助手席に飛び込んだ。すぐさまアメリアは車を発進させる。
「……車を持ってたなんて、初めて知った」
「黙ってたの。あんたが『フェイスマンモービルに改造させてくれ』って言いだすかもしれないから」
「その心配はない」
アメリアはちらりと、礼人を見る。礼人も同じようにし、少しだけ視線を合わせる。
「俺は原付の免許しか持ってない」
礼人の言葉の後、長い静寂が訪れる。街の喧騒と遠くで響くパトカーと救急車ののサイレンだけが、車内を包んだ。
「……っ、ふぐっ……んっ」
しかしその心地よい静寂は、堰を切ったようなアメリアの笑い声でかき消された。
「あっはっはっはっは! あんた、車の免許持ってないの?! AT限定とかでもなく?!」
礼人も釣られて笑い出す。
「あはは! ああ、そうだ。だから街を移動するときは屋根を伝って動いてた」
「あーっはっはっは! あれかっこいいからじゃなくて、移動手段ないからなの?! 見た目ダークヒーローなのに!」
長く続いた緊張状態が途切れた影響か、二人はなかなか笑いを止めることができない。
「移動手段はある、毎日カブで職場に通ってる」
「いーっひっひっひ、ダークヒーローが原付通い、ダメ笑わせないで、ハンドル握れなくなる」
「しかも、叔母さんの離婚した元旦那が置いてったおさがりだ」
「も、もうやめてってばぁ!」
あまりにも二人が激しく体を揺らすので、軽自動車は傍から見ても分かるほどその車体を揺らしていた。笑い声が収まったのは、アメリアが礼人の着ているロングコートの胸元に、穴が開いていることに気づいた時だった。
「あんたがここにいるってことは、役に立ったみたいね」
「ああ、本当に助かった」
礼人は頷き、コートのジッパーを下ろす。コートの内側を見ると、いくつかの内ポケットが取り付けられていた。突貫で縫われたためか、糸のラインやデザインは不格好だ。礼人はコートの弾があたった箇所を指で弾く。固いものが指の爪と当たる音がする。
「トラウマプレート、どうりで重いわけだ」
アメリアは鼻を鳴らす。犬マスクが放った弾丸は確かに礼人に命中した。しかし、コート内部に仕込まれた防弾プレート――通称トラウマプレートにより礼人の体を傷つけるには至らなかった。アメリアが用意したのは装甲としては薄いものだった。正規の弾丸であれば貫通する恐れもあったが、犬マスクたちが用意した手製弾薬では火力不足だったようだ。
「大変だったのよ! あんた用にと思って、米軍の払い下げ品をネットオークションで落としたんだけど滅茶苦茶高くついたし、届いたのはサイズがバラバラだからデザインも大変だし、しかもホントは一か月後に渡す予定だったのに、今日銃持ったテロリストと戦うとか言い出したし!」
テロリストの拳銃よりも素早く繰り出されるマシンガントークに、礼人は反論する隙がない。
「でも言った通りだったでしょ『王道が一番強い』って」
少し熱が引いたアメリアの言葉に、礼人は静かにうなずく。
「ああ、その通りだった。ありがとう」
二人の乗る車がアメリアの工房に近づきつつあった。
「アメリア、やりたいことが見つかった」
「へぇ、何よ」
今度は二人は視線を合わさず、まっすぐ外の景色を見据えている。
「この街を変えるんだ。その為に色々しようと思う。ホームレスの人へのボランティアでも、夜回り活動の手伝いでも、野良猫の保護活動とかでも」
「今、野良猫じゃなくて地域猫っていうのよ」
「それだ。とにかく何でもやってみようと思う。犯罪の種を地道に潰して、犯罪が少なくなるように、街を変えていこうと思うんだ。ヘルメットを脱いで」
これは贖罪ではない。もっと前向きな犯罪との戦いになる。長い道のりになるかもしれない。けれども、この街を少しでも良くしたい、街を変えたいという礼人の想いは揺ぎなかった。
「ヘルメットの狭い視界じゃ、見えないことも多いと気づいたんだ」
「……そ」
アメリアは寂しさを隠さず返す。フェイスマンが居なくなることに、不安がないと言えば、アメリアにとってそれは嘘になる。しかし『好きな恰好で、好きなことをする』というアメリアの理念から見れば、礼人がヘルメットを脱ぐということも理念に沿うものではあった。
「最後になりそうだし、ちょっとドライブに付き合いなさいよ」
寂しさと自身の信条へのせめてのもの抵抗として、もう二度と会わないかもしれない相手との別れをドラマチックにするべく、ハンドルを握り前を向いたままアメリアは提案した。
「ああ、頼む」
礼人もそれに応じる。アメリアはハンドルを大きく切り、工房とは反対方向へ車を走らせ始めた。
礼人は助手席の窓から、仙台の街を見た。自分が駆けた、師匠に託され、そしてあの未来ある遠藤刑事に託した街の光を眺める。
夜の帳が降り、光り輝き始める街を眺めながら、礼人は窓に反射した自分の顔を、しっかりと見ることができていることに気がついた。
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