5-15
遠藤はただ見つめることしかできなかった。不死身の怪物が、一度死んだはずなのに蘇ったそれが、銃を持った立てこもり犯たちを倒したのだ。
いや、不死身の怪物なんているわけはない。顔を隠した男が、たった一人で奇跡を起こしたのだ。そのことが信じられなかった。
「遠藤刑事、人質の避難誘導と犯人たちの拘束を」
息も絶え絶えに発せられたフェイスマンの声に、遠藤はようやく我に返り、人質とされた職員と高校生たちに呼び掛ける。
「皆さん、もう大丈夫です。火災用の避難通路から外へ。消防隊と市警の刑事が皆さんを誘導します。焦らず、走らず避難してください」
人質として囚われていた100人近い職員たちが、徐々に退避を始める。撃たれた男子高校生も、同級生たちに担がれ運ばれていく。
突入の直前で、遠藤へ現場の警官経由で本田から指示があった。本来であれば、まだ立てこもり犯がいるかもしれないオフィスビルの中で人質を歩かせるのは危険だ。しかし救助のために特殊部隊を動かすにも上の許可がいる。
特殊部隊が動けないなら他を動かせばいい。ボヤ騒ぎが起きたオフィスビル隣のホテルへ出動していたはしご車へ、本田は救出時の避難を手伝いを依頼したのだ。特殊部隊を動かすには上司の許可がいる。だが違う組織の助力にそれはいらない。ベテラン刑事本田らしい、ルールの虚を突く一手だった。幸い、消防隊もこの作戦に快諾してくれた。
消防士の護衛は『フェイスマン特別捜査本部』の刑事たちが買ってでてくれた。人懐っこい荒谷は、捜査本部の刑事たちに上からの命令を無視させるほど、彼らに大切にされていたようだ。
こうして人質たちの退避は、勇気ある消防士たちと『特殊部隊ではない』刑事たちにより安全に進んでいった。
避難していく職員と高校生たちの中の数人は、フェイスマンと遠藤に対し口々に礼をしてからその場を後にしていく。
「ありがとうフェイスマン。ありがとう刑事さん」
「フェイスマンありがとう。どうお礼を言えばいいか」
「命の恩人だ、あんたたちこそヒーローだ」
フェイスマンは呼び掛けられるどの声にも反応することはなかった。ただ倒した立てこもり犯たちが起き上がらないか、目を光らせていた。遠藤が全ての立てこもり犯を拘束すると、遠藤を呼ぶ少女の声に引き留められた。
「刑事さん、こっちに怪我をした刑事さんが!」
遠藤は声のした方に駆け寄る。そこには莉桜に介抱された荒谷がいた。
「荒谷、分かるか」
「そのやかましい声は死んでも間違えないっすよ、パイセン」
酷い怪我だったが、荒谷は精一杯いつものように生意気に笑いかけてくる。
「よかった、本当に良かった」
「なんすかパイセン、泣いてるんすか」
相棒の無事に感極まった遠藤の涙腺は、涙で決壊寸前だった。
「泣いてない、泣くわけないだろ」
「ばだじはもうないでまず……!」
照れ隠しに表情を隠そうとする遠藤とは対照的に、介抱していた莉桜は盛大にもらい泣きをしていた。
「荒谷刑事」
遠藤と莉桜の背後からフェイスマンが声をかけたため、遠藤と莉桜は驚き飛び上がる。
「びゃあっ!」
「うわっ! お前撃たれてるだろ! 手当をしないと!」
フェイスマンは二人を気にせず、何も映っていない、のっぺらぼうの顔で荒谷を見下ろす。
「なんすか、クソ野郎」
「指を折った件、すまなかった」
フェイスマンが頭を下げるが、荒谷は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「これでチャラとは思ってないっすよ」
「構わない」
フェイスマンはそれ以上の許しは請わず、その場を去ろうと背を向けた。
「待ってくれフェイスマン」
遠藤の呼びかけにフェイスマンは立ち止まる。
「本当にありがとう。自分が何もできなかったときに荒谷を、皆を救ってくれて」
「礼を言うのはこちらの方だ、遠藤刑事」
フェイスマンは振り返り、遠藤と向き合った。
「あなたが『自分を赦してやれ』と言ってくれたから、俺は前へ進む準備ができた」
初めてフェイスマンの声を聞いた時と違って、その声は優しさと力強さに満ちたものだった。
「遠藤刑事、俺は今日ここにいなかった」
「……何言ってるんだ?」
フェイスマンの言葉に、遠藤は思わず耳を疑った。
「俺は今日、ここにいなかった。事件を解決したのは遠藤刑事。あなたということにしてください」
遠藤の理解が追いつかない。
「この手柄を、あなただけの物にしてください」
「バカ言え、そんなこと出来るわけないだろ!」
遠藤は声を荒げる。莉桜がびっくりして肩を強張らせるが、気にも留めない。
「お前にお礼を言っていく人たちを見ただろう! 今この街には、お前のようなヒーローが必要なんだ!」
口から出る言葉は遠藤の本心だった。どうしようもないこの街で、この男はみんなを救った。紛れもない事実だった。それを無かったことにするだなんて、到底できることではない。遠藤自身がそうしたくはなかった。
しかしフェイスマンはゆっくりと首を横に振る。
「いいえ、この街にヒーローは必要ない」
その言葉から、確固たる信念が感じ取れた。
「街に必要なのは、街をより良くしようとする意志のある人。そしてその人たちを守るべく戦う、あなたのようないい警官だ。俺は必要じゃない」
フェイスマンには顔はない。だが、その奥の礼人は、悔しそうな顔を浮かべる遠藤の目をしっかりと見つめていた。
「この手柄を元に、出世してください。そして多くの人を、街を救ってください」
会ったばかりの青年を、あんなに優しく励ました刑事ならそれが出来ると礼人は確信していた。
照明がついておらず、徐々に暗くなっていくセンター内で、フェイスマンが溶けるように暗闇に紛れる。
「遠藤刑事、この街をあなたに託します。大丈夫、あなたならやれる」
「……! フェイスマン、お前!」
遠藤はその言葉を聞いた瞬間、手を伸ばしフェイスマンを掴もうとした。だがその手は躱される。フェイスマンは自身の装備を拾い上げるとそこから逃走した。
去るフェイスマンを遠藤はそれ以上、追うことはしなかった。
「……分かった。確かに託されたよ」
残された遠藤、荒谷、莉桜の三人はフェイスマンの去った、夕暮れによって生まれた暗がりをただ見つめた。
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