5-9


 17時30分。遠藤は今日、何度目になるか分からない『とくべつ課』課長、佐野上の番号へのコールを行っていた。

 犯行グループとの交渉が不可能であるならば、もはや特殊部隊による実行制圧しか手はない。既に対策本部には市警の特殊部隊が待機しており、突入時のブリーフィングを終えていた。あと必要なのは責任者のGOサインだけだが、その特殊部隊出動の権限を持つ佐野上が一向に電話に出ない。最初の人質殺害まで残り30分というこの状況で、遠藤の忍耐力は既に限界に達していた。


「くそっ何が接待だ。クソくらえ」


 機嫌の悪くなる遠藤に、若い警官が恐る恐る近づく。


「遠藤対策長、すいません。現場に動きが」


 遠藤は自戒した。曲がりなりにも自薦して、現場の責任者になったのだ。その自分が取り乱していては周りの士気に影響する。頭を数度振って、もう二度と大きく表情は変えないと固く誓う。


「すまなかった、聞かせてくれ」


 遠藤は努めて穏やかな口調で、報告に来た警官に問いかける。


「あの……それが……」


 しかし報告を聞いた瞬間、遠藤の先ほどの誓いは消えてなくなった。


 ◆


「遠藤! 待って! 落ち着いて!」

「絶対にぶっ殺す!」


 現場オフィスビル前を駆ける遠藤を、本田が必死に追いかける。遠藤が現場を通り過ぎると、商業ビルの合間にある小さな路地が見えてくる。立てこもり犯のいるオフィスビルから見て目と鼻の先にあるそこは、初恋通りと呼ばれている路地だ。普段であれば飲み屋街と牛丼チェーン店があるだけのただの路地だが、今日はいつもと違い人だかりができていた。通りの入り口には交番もあるのだが、その人だかりを作っている人物は気にも留めない。


「ハロー! アキアキ! 今日は立てこもりの現場にきてまっしょい!」


 小太りで、オレンジ色の髪の毛。甲高い耳障りな声でまくしたてるその男は、一ヶ月前にフェイスマンの捕縛を試みた人物、アキモノこと開戸 光延だった。今日も彼の周りには取り巻きたちがいるが、状況が状況だけにいつものように光延をヨイショはしていない。


「アキモノさん、流石にまずいっすよ……」

「人死ぬかもしれないでんですよ……うわっきたっ」


 取り巻きの内の一人が鬼気迫る表情で人ごみを掻き分け進む遠藤に気づくと、取り巻きたちは三々五々逃げ出した。しかしアキモノだけはその場から動かず、明らかに場にそぐわない大漁旗を振りながら、片手でブブゼラを吹き周囲の注目を集めていた。


「てめぇ、やっぱり八木山の橋でぶっ殺しておくんだった!」


 人目があるにも関わらず、遠藤はアキモノの胸倉を掴む。


「ハローアキアキ! 刑事さんようこそ!」


 遠藤の剣幕にもアキモノは変わらずおどけ続ける。こんなに間近で人の生き死にが左右されそうだというのに、それでも尚この男は自分のことしか考えないのか。遠藤の中にどす黒い感情が芽生える。


「そんなに目立ちたいなら、みんな振り向くような顔にしてやる」


 目立った抵抗をしないアキモノの顔面めがけ、遠藤は固く握った拳を振り下ろす。


「やめろ遠藤!」


 すんでのところで、本田が遠藤の腕を掴んで止めた。


「よく見ろ遠藤、こいつは撮影してない!」


 遠藤は血の上った頭で周りを見渡す。本田の言う通り、この騒動を撮影している野次馬はいるが光延自身は撮影をしていないし、取り巻きたちが隠れて撮影している様子もない。動画配信者としては、この行動は全く意味のないものだ。


「お願い止めないで……死にたくない……」


 掴まれた光延はいつの間にか目に涙を浮かべ、遠藤に懇願する。間に本田が入って、光延を見上げるように膝をついた。


「光延くん、何があったのかな。君は頭のいい優しい子だ。こんなことするような子じゃないだろう?」


 光延は必死で首を縦に振る。冷静になった遠藤は初めて、光延が酷く怯えていることに気づいた。


「やめたら、殺されるんです……お願いです……やめさせないで……」

「大丈夫、僕たちが。市警が君を命に代えて守るから。何があったか話してみて」


 本田の優しく語り掛けられる言葉に、光延は周囲を見渡し警戒しながらポツリポツリと話し始める。


「フェイスマン……あいつにやれって言われた……」

「フェイスマンに?」


 状況が飲み込めず、本田と遠藤は顔を見合わす。


「あいつ、今日俺に電話かけてきた……ここで17時30分ぴったりに騒ぎを起こせって」


 遠藤はフェイスマンの行動を思い返す。光延を橋に吊るしたとき、フェイスマンは長く光延のスマートフォンを操作していた。その時間で、光延の携帯電話番号も含めた連絡先の入手は十分可能だっただろう。


「通報、出来なかったから、怖くなってマンションに帰ったら、あ、あいつが部屋にいて……『逃げたな』って言って、俺の指を……」


 光延の右手小指と薬指が、よく見ると大きく腫れている。以前の荒谷と同じように折られたのだ。

 フェイスマンは光延から報復があった時に完全に始末をつけられるよう、住所地まで特定していたのだろう。


「お、俺、殺されるの嫌で、だからここで騒ぐことにして……」

「大丈夫、もう大丈夫だ光延くん。僕たちが君を守るから」

 

泣き崩れる光延を本田はが抱きしめる。同時に遠藤の中で思考の歯車が動き出した。


「本田さん、そいつを頼みます」


 遠藤はその場を離れ、オフィスビルの前に戻る。

 犯罪を抑止するフェイスマンがここで人目を引くように光延を動かした。警察もマスコミのドローンも、動きのない現場ではなく光延に注目した。


 何故そうしたか。


 簡単だ。オフィスビルから遠藤たちの目を引き離すためだ。

 遠藤がオフィスビルを観察すると、ホテルに面したガラス窓の内一つが破られていることに気づく。遠藤が通りがかった時には破られていなかったはずだ。内側から立てこもり犯たちがガラス窓を破るメリットはない。どうしてもというのであれば、内側からカギを外し開ければ良いのだから。導き出される答えは一つだった。


「フェイスマンが中に入った」


 光延の上半身に自身の上着をかけ、顔を隠してやりながら遠藤の元に戻ってきた本田も同意見のようだった。


「あんなところから……命知らずだね、フェイスマンは」


 フェイスマンが現場に侵入したのであれば、事態は確実に動く。


 遠藤と本田がビルを見上げていると、遠藤のスマートフォンが鳴り響いた。遠藤が画面を見ると、今まで電話に出なかった佐野上の課長の名前が表示されている。遠藤は急いで電話に出る。


「課長! こっちからの情報を……」

「遠藤君? 君にはホントに困らせられるなぁ」


 現場の緊張感とは反対の、間延びした佐野上課長の声が聞こえる。遠藤は構わず声を張り上げた。


「自分の評価査定は如何様にでもしてください。すぐに特殊部隊の突入許可をください!」


 もう立てこもり犯たちが提示したタイムリミットになろうとしている。人質は100人近くいる。一人くらいなら彼らは容赦なく殺すだろう。もう一刻の猶予もなかった。


「だからそれが困るんだよ」


 佐野上に遠藤の焦りは伝わっていない。スマートフォンの向こう側の声は気だるげだ。


「特殊部隊の人員の中で死人がでたら、いくら遺族に年金を払わなきゃいかんのか、遠藤くんは知らないだろ」


 査定に響くんだよ、私の。と佐野上は吐き捨てる。遠藤は言葉を失った。


「立てこもりなんか長くは続かないでしょ。数時間もしたら、お腹が空いて、眠くなって仲間割れして、終わりだよ」


 佐野上の言葉のひとつひとつが遠藤は信じられなかった。人命がかかっているのに、あまりにも軽いものだったからだ。


「遠藤君は知らない? 通報管制コールセンターのオペレーターは派遣だから。万が一があっても、うちは責任ないし」


 人の命を何だと思ってるんだ。自分の職務を何だと思ってるんだ。子供だって人質に取られてるんだぞ。遠藤の怒りが腹の底で煮えたぎる。


「……荒谷は」

「なんだって?」


 遠藤はかろうじて残った理性で言葉を紡ぐ。


「荒谷はうちの人間です。自分の後輩で、未来ある警察官です。自分たちには助ける義務があります」


 佐野上は大きなため息をつく。


「物分かり悪いなぁ、遠藤君。特殊部隊の遺族年金と、新人刑事の荒谷君の遺族年金なら、荒谷君の方が安いんだか――」


 これ以上このクズの言うことを聞く必要はない。遠藤はスマートフォンを地面に叩きつけ、佐野上の言葉の続きを消し去った。叩きつけられたスマートフォンが立てる音で、光延はびくっと体を震わせた。


 腹は決まった。遠藤は本田に向き合う。


「本田さん。荒谷を迎えに行きます」


 本田の目つきが鋭くなる。遠藤が見たことないほど顔を険しくしていた。


「本気で言ってるのか。死ぬぞ」

「構いません」


 遠藤は警察手帳と拳銃を取り出し本田に差し出す。警官としての職務を放棄するなら、自分の手にはあってはならないものだからだ。


「自分は市警の変革を目指してきました。でも遠い未来の変革より、今起こりうる悲劇を変える方が大事です」


 本田は拳銃と警察手帳を一瞬見やったあと、遠藤の目を見つめる。その目には曇りも迷いもなかった。


「市民を、市警に尽くしてくれている仲間を、自分の相棒を助ける方が大事です」


 遠藤は今でも現場で耐えている荒谷を想う。もし荒谷を助けられれば、自分の意志は彼女が引き継いでくれる。文句を言いつつも最後まで自分についてきた彼女になら、それが出来るはずだと遠藤は確信していた。


「だから行きます。本田さん、後をお願いします」


 遠藤は拳銃と警察手帳を差し出したまま、頭を下げる。本田は少し考えこむと、光延に「ちょっと待ってね」と声をかけ、自分のスマートフォンを取り出しどこかに電話をかけ始める。短いやり取りがあったあと電話を切り、本田はいつものように優しい口調で遠藤に語り掛けた。


「仙台駅側の封鎖を担当しているのが昔馴染みでね。そいつ、麻雀のツケも結構な額を僕に貯めてるんだ」


 遠藤が顔を上げる。優しい本田の顔があった。


「遠藤という刑事が来たら、防弾ベストを渡して通すように言っておいたから。手帳と拳銃がないと通してもらえないよ」


 遠藤の顔が感動で一瞬ほころぶ、がすぐに引き締まった刑事の顔に戻った。


「ありがとうございます!」


 遠藤は手帳を上着に、拳銃をホルスターに戻すとすぐさま仙台駅側のオフィスビル通路目指して駆けて行った。遠藤を見送る本田を見ながら、光延がポツリと呟く。


「いいんですか、こんなことして」


 本田は手のひらを天に向け肩をすくめる。遠藤は一度決めたことを曲げない刑事だということを、かつての教育係だった本田はよく知っている。こうなった遠藤は止まらない。自分にできるのは――改革を諦めてしまった本田ができることは、まだそれを諦めない遠藤を助けてやることだけだった。


「無論、あいつにだけは任せないさ。僕も色々やったら向かうよ。それにね」


 本田はにやりと笑った。


「ここは『仙台』だから。好き勝手やった奴が、得をするのさ」

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