5-8
「断言するわ。あんたは世界で一番、頭のおかしい男よ」
アメリアは目の前で着替える礼人を思いっきり罵った。
「顔を隠して街を徘徊する男が、まともなわけないだろう」
「開き直ってんじゃないわよ、ダメ人間」
アメリアの声は誰もいないホテルの廊下でよく響いた。
礼人とアメリアは打ち合わせ通り、通話の2時間後に仙台駅で合流した。二人が向かったのはオフィスビルの隣にある、仙台駅から繋がったホテルだった。キャリーケースにフェイスマンのコスチュームや装備を詰め、市警により避難が呼びかけられ室内から叩きだされたり、チェックインできない客たちでごった返すホテルのエントランスへ二人は紛れ込んだ。
その後はアキモノ戦で使用した『煙玉』を使用しボヤ騒ぎを起こした。ホテル客が混乱する中、礼人とアメリアは煙と人ごみに紛れ、誰にも目撃されることなくホテルの上階に移動していた。目的地に到着したアメリアは礼人から計画の概要を聞いたが、その無謀なプランに頭を抱えた。
「ごめん、あたしの聞き間違いかもしれないから、もう一回だけ説明して。できれば詳細なのを」
礼人はむっとした。時間がないんだぞ、と言いたげだ。
「ホテルからオフィスビルへ飛び移る」
ホテルとオフィスビルはそれぞれ通路の最端にガラス窓が備え付けられてある。それが双方向き合う形になっているが、その距離は10メートル以上離れている。
「いくらサルみたいに動けるあんたでも落ちるでしょ」
「無論だ。だからこれを使う」
いつもの黒い作業着に着替えた礼人は、キャリーケースから不格好な銃のような装置を取り出す。持ち手や引き金は銃そのものといった形状だが、銃のボディにあたる部分には、直径20センチはある円盤のような物体がついており、銃口部には巨大な金属製のかぎ爪が備え付けられている。
「なにそれ」
「ワイヤーガン、ロープガン、グラップネルルガン、立体起動なんちゃら。呼び方は色々あるが、かぎ爪のついたロープを打ち込む装置だ」
礼人は窓を開ける。外からの強い風がアメリアの長い金髪を強くなびかせた。
「これをオフィスビル側の屋上に打ち込みかぎ爪をひっかける。あとはターザンみたいにオフィスビル側へ移動し、向こうの窓を破って侵入する」
礼人の腰には普段は装備していない、ガラス窓破砕用のハンマーも装着してあった。
「なるほどなるほど。ちなみに途中であんたご自慢のワイヤーガンが壊れたら?」
「落ちて死ぬ」
「移動中、かぎ爪が外れちゃったら?」
「落ちて死ぬ」
「ワイヤーが切れたら?」
「何度も言わせるな。落ちて死ぬ」
「ごめんねぇ、フェイスマン。物分かり悪くって。窓を破った時、目の前に立てこもり犯が銃もって待ち構えてたら?」
「撃たれて死ぬ」
「あんた馬鹿じゃないの?!」
またアメリアの声が廊下に響く。声を抑えろと礼人は手で示すが彼女は聞かない。
「映画とかだと巻き上げて上に登ったりできるじゃない。それで行くにしても、屋上に上がって忍び込むとかじゃダメなの?」
「巻き上げ機能はあるが、俺の体重を持ち上げるだけの力はない」
市警からの逃走用に開発し、ここ数日で礼人もこの装置に改良を重ねていたが、これが今の礼人の技術の限界だった。
「それに仮に上手くいったとして、この明るさだと市警にも、マスコミのドローンにもバレるでしょう」
アメリアは窓の外を見やる。初夏を終えたばかりの仙台の空はまだ明るい。闇に紛れて動くフェイスマンには不利な明るさだった。
「それに関しては手は打ってある。頼んでいた例の物は」
アメリアは中身の入ったビニール袋を礼人に差し出す。受け取った礼人はヘルメットを被ろうとするが、アメリアはそれを手で制した。
「待って、他にも渡すものがある」
アメリアが自分のキャリーケースから取り出したのは、黒いレザーのロングコートだった。
「あんた用に作った。ちょっと重いけど、サイズはあってるはず」
「いや、いつもので行く」
拒否した礼人の手に、強引にロングコートが押し付けられる。険しい表情のアメリアに譲る気はないように見えた。
「あんたはどう思ってるか知らないけど、あんたはもうこの街のヒーローになってんのよ」
それはアメリア自身の想いの吐露でもあった。
好きな恰好で好きなように振舞う。自分がしようとしていたことを、違う形だが肯定したフェイスマンは、既に彼女のヒーローになっていた。同時に、今から言うことはその主義に反することだということが、アメリアに苦い顔をさせた。
「ヒーローならみんなが、妹さんが怖がらないようヒーローらしい恰好でいて」
目の前に相手に『どうあるべきか』なんて言われるのは、アメリアが一番嫌いなことだった。それでも彼女は共犯者に願う。
「ごめん、卑怯な言い方だと思う。でも、あんたには無様な恰好で死んでほしくないの」
礼人は押し付けられたコートをしっかり抱えた。アメリアには今までだいぶワガママを言ってしまった。犯罪の片棒を担がせ、リスクを一緒に背負ってもらった。そして、自分の『贖罪』について大切なことを気づかせてくれた。そんな共犯者の願いを無碍にすることは、礼人にはできなかった。
「いや、いいんだ。ありがとう」
自らの願いが聞き届けられたことに、アメリアの表情が少し和らいだ。
礼人は渡されたコートに袖を通し、ジッパーを上げ前を閉じる。アメリアの言う通り少し重たいが、着心地は悪くなかった。
「似合ってるか」
コートの裾が風ではためく。アメリアの言った通り、今の礼人の姿はコミックのヒーローのようだった。
「ばっちり。やっぱり『王道』が一番強いわ。漆黒のコートのダークヒーロー。我ながら最高のデザインね」
アメリアは満足げに笑みを浮かべ親指を立てる。それと同時に、礼人の腕時計のアラームが鳴った。礼人は手早くポーチとヘルメットを着けると、ビニール袋とワイヤーガンを持ち、窓の淵に立つ。下を覗きこむと眩暈がするほど地上が遠くに見えた。
「映画みたいにキスはしないわ。だけど成功を心から祈ってるから」
「ありがとう。警備員や市警に見つかったら、俺に脅されたと言え」
「当り前じゃない、名前も知らない相手を庇う義理はないわ」
そこで二人はようやく、自分たちが今の今まで、互いに本名を名乗っていないことに気づいた。緊迫した状況なのに、二人は思わず小さな笑い声をこぼす。
名前など二人にはどうでもよかったのだ。二人の間で大事だったのは、お互いの生き方が肯定できていたかどうかで、それがここまで続けられたことは、この二人にとって――仮に最後になるなら悪くない最後だった。
「いってくる『アメリア』」
「いってらっしゃい『フェイスマン』」
アメリアは優しげな眼差しでヒーローを見送る。礼人――フェイスマンは、オフィスビル側へワイヤーガンのかぎ爪を打ち込むと、窓から飛び立った。
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