5-7


 通報管制コールセンターでは、人質となった職員たちが、壁際で一列に床へ座らせられていた。社会科見学に訪れた高校生たちも例外ではない。


「いでぇ、いでぇよぉ」

「堂田くん、しっかり!」


 最初に撃たれた男子高校生が、痛みから逃れようと壁に体を擦り付ける。友人たちの声も耳に入っていない。重傷を負った彼でさえ床に寝かせてはもらえない。苦しむ彼を心配した高校生たちと共に、荒谷が応急処置を施そうとするが効果は芳しくない。


(発射されたのは粗製の小口径弾。抜けてくれりゃよかったのに、最悪の状態っす……)


 撃たれた高校生の右肩の銃創は、それ自体が致命傷となる大きさではない。問題は体内に弾丸が残ったことにより、内部で致命的な出血と炎症を引き起こしていることだ。制服をなんとか脱がしたが、被弾箇所が大きく膨れ上がってる。このまま適切な処置が長時間されなければ、痛みによるショックや感染症による死の危険さえある。一刻も早く弾丸の摘出と治療が必要だが、荒谷たちは患部を冷やしてやることすら許可されなかった。


「おい、そいつから離れろ」


 荒谷の背後から立てこもり犯の内の一人が近づく。顔に宇宙人の顔を模した、銀色の安っぽいゴム製マスクをつけている。服装は動きやすいジャージ姿で滑稽さが際立つが、手に持つ拳銃はその滑稽さを帳消しにする威圧感を持っていた。最初に男子高校生が重傷を負ったことも、その威圧感を高める一助になっていた。


「……せめてこの子だけでも、外に出してやってほしいっす」


 屈辱だった。こんな間抜けな連中に懇願しなければならないのは。しかし個人のプライドの前に荒谷は刑事だった。自分の尊厳と、少しでも助けられる命とでは選びとる選択肢は自ずと決まっていた。


「あんたらのリーダーの言ってたこと、本当なら恨まれるのは警察関係者だけっす。無関係な子供たちは見逃してやってほしいっす」

「ダメだ」


 宇宙人とは別のマスクの、犬のマスクを被った男が荒谷の懇願をあっさり否定する。犬マスクは市警との連絡に使う電話機の置いてあるデスクに、まるで王様のように堂々と膝を組んで腰かけている。この犬マスクが通報管制コールセンターを占拠したグループのリーダー格のようで、少ない人数で効率的に100人近い人質を、目立った反抗もされずに押さえつけ、掌握していた。この犬マスクと遠藤との会話で荒谷も察したが、狂信的な思想で全員をまとめあげている。交渉での人質開放は、この男がいるかぎり不可能だと容易に想像できた。


「その子も来年から選挙権を持つ。であれば、この痛みを教訓に学ばねば」


 犬マスクが何かを手で合図する。宇宙人マスクが間髪置かず、足元にいた荒谷の脇腹を蹴り飛ばした。男子高校生を助けるべく屈んでいた荒谷は防御することも出来ず、蹴りを受け地面に転がる。


(やっばい……起きなきゃ、ぶっ殺される)


 荒谷は痛みに耐え、肺から押し出された空気を取り戻そうと息を吸い、立ち上がろうとする。しかし、今度は別のマスクをつけた立てこもり犯が荒谷の手を踏みつけ、そのまま顔を蹴飛ばした。二人がかりで蹴り続けられ、絶え間ない暴力が荒谷を襲う。


「市警を君のような奴らに任せたら、どうなるか。『社会科見学』をしなければね」


 犬マスクの言葉で、立てこもり犯たちが社会科見学でセキュリティの緩くなったところを狙って襲撃したことを、リンチされながらも荒谷は冷静に推理した。


(ああ……さっきの演説も今の交渉も、というか就職先なかったからって、市警に入るのもやめときゃよかった……)


 途切れることの無い痛みの中で、荒谷の思考は透き通っていく。激しい痛みから逃れる防衛反応、もしくは死の前の走馬灯というやつだと直感する。走馬灯であれば、好きなものを思い出したい。


 2.5次元の推し、来月の公演はS席チケットも取れていた。

 ラプノシスマイクの12シーズン目、投票する前に死ぬのか。

 マイケル・キートンの古いバットマン、サブスクで見たら良かった。円盤買いたかったな。


「パイセン、ごめんなさい……」


 か細い声で出た自分の言葉に、荒谷は驚いた。最後に浮かんだのは推しの顔ではなく、先輩刑事の遠藤だった。

 暑い日も寒い日も、誰よりも現場に早くついて、長くいた。市警の中で誰よりも足を使って、地道に捜査していた。生意気な自分を見捨てず、ずっとそばにいてくれた遠藤の顔が最後に思い浮かんだ。


(パイセン、最後にもっかい会いたかったなぁ)


 荒谷は口の中に広がる血をなんとか飲みこもうとしてえずく。


(フェイスマン、二人で捕まえたかったなぁ)


 後悔はしている。でも最後の最後でこういった思考に落ち着いた自分は、やはり根っからの刑事だったのだ。その結論に満足して、荒谷はもうここで終わっていい、と諦めた。


「ダメです!」


 だがその諦観は、よく通る声に拒否された。リンチの嵐が止む。荒谷の聞いたことのある声だ。瞼が腫れてよく見えないが、確かあの茶髪の女子生徒の声だったと思い出す。


「これ以上は死んでしまいます!」


 その女子生徒は荒谷に覆いかぶさるようにして、立てこもり犯たちから荒谷を庇った。犬マスクがリンチを停止させる。


「随分と勇気があるようだね」


 犬マスクは高校生たちから没収した荷物の中にあった生徒手帳から、刑事を庇った生徒の物を見つける。


「蛮徒 莉桜くん。君も聞いていただろう。私たちの動機を」


 その手元には荒谷の警察手帳もあり、二人の身分証明書を共に掲げる。


「私たちは愚かな民営化による犠牲者なんだ。ゆえに君の庇っている刑事さんを殺すだけの動機がある」


 マスクの奥から、一瞬だが男のぎらついた目が見える。


「庇うのであれば、君も同罪だ。この制度を是認した、君の父や母のような人たちと同じだ」


「いえ、どきません! あなたたちの気持ちがよく分かります! だからどきません!」


 犬マスクは失笑する。恐怖のあまり、目の前の少女が錯乱したのだろうと考えた。仲間に引き離すよう指示を出そうとした。


「私の父と母も強盗にあって殺されました!」


 犬マスクの動きが、莉桜の言葉に虚を突かれ止まった。


「民営化前の事件ですが、民営化後も捜査が進むことはありませんでした。犯人はまだ見つかっていません」

「……君の申告通りだったとして、そこの刑事を庇う理由が分からないな。君も同じように憎いのではないか? 今の市警が」


 莉桜は頷いた。周囲が、他の人質たちが一瞬どよめく。


「はい、とても嫌いです。憎いです。もし、あなたたちのように力があったら、私も同じことをしたと思います」


 莉桜は犬マスクに反論の余地を与えることなく続ける。


「でも、私があなたなら、人質にこんなことはしません」


 莉桜はまるでアメコミ映画の――母が好きだった俳優が演じた悪役ヴィランのように、左の口角だけを思いっきり上げる。相手に臆さず、強い自分を演じた。


「だって死んだ人質に価値はありませんから。死体は攻撃を抑止する盾にはなりませんので」


 一瞬の静寂。その後、犬マスクは膝を叩いて大笑いした。


「あっはっはっは! 素晴らしいよ、蛮徒くん……いや、この呼び方失礼だな、蛮徒さん」


 その様子には犬マスクの仲間も、表情こそ見えないが驚いているようだった。


「確かに君の言う通りだ。死んだ人質には何の価値もない。救急箱を持ってこい」


 犬マスクの指示で仲間の一人が、センター内に備え付けられていた救急箱を持ってきて、莉桜たちの前に投げやる。


「だが君の言葉が現実にならないといいな、蛮徒さん」


 救急箱に手を伸ばした莉桜は、犬マスクから目を逸らさず、それを手元に引き寄せた。犬マスクへの回答はない。代わりに荒谷への応急処置を急ぐ。


「自分はいいっすから、撃たれた子を……」

「大丈夫です、刑事さんもしっかり手当しますから」


 莉桜は血まみれになった荒谷を回復体位で寝かせてやる。荒谷たちから少し離れた場所で、他の高校生と職員が、撃たれた男子生徒の応急処置にあたる。莉桜は荒谷の傷にガーゼを当てようとするが、その手は小刻みに震えていた。


「怖かったっすよね……ごめんねっす……」

「っ、いえ、大丈夫ですっ」


 莉桜は震える手で荒谷の治療を続ける。


「きっとお兄ちゃんなら、同じことをするだろうなと思ったら、体が動いちゃって……すいません、こんなときに身の上話なんて」

「いや、それもっと聞きたいっす、痛みからちょっとでも気をそらしたいっす」


 莉桜はちょっと困ったように眉を曲げてから語りだす。


「さっきも言った通り、うちは両親がいないんです。親戚の家から出た後は、お兄ちゃんが面倒を見てくれてるんです」

「しっかり者のお兄さんっすね……自分一人っ子だから、優しいお兄ちゃんとか超憧れだったっすよ」

「はい、とても優しいんです」


 そう言った莉桜の表情が暗くなったことに、血と涙で滲む荒谷の目でも気づくことができた。


「昔、父と母が死んだとき、兄に酷いことを言ってしまったことがあるんです。本当に酷いことを」


 悔悟。こんな非常時だからか、莉桜の感情が後悔という色に強く塗りつぶされる。


「でもずっと、お兄ちゃんは私の面倒を見てくれました。ずっと優しくしてくれて、何一つ不自由なく暮らさせてくれました」


 莉桜の目から涙があふれてきた。拭っても拭っても、それは途切れず流れ続けた。


「ずびばぜん、私泣ぎっぽぐて……話したらお兄ちゃんに会いたくなってきて……」


 つい先ほど、遠藤に会いたくなった荒谷には莉桜の気持ちが痛いほど分かった。


「素敵なお兄さんなんすね」


 血の味しかない口で『生きて帰れる』とも『助ける』とも言えなかった自分が、荒谷は情けなかった。荒谷の悔しさを知らず、莉桜は涙を流しながらに気丈に笑った。


「はい、世界で一番の兄です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る