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「とにかく人員を集めろ! 非番の警官も全員呼び出せ!」


 遠藤は私用のスマートフォンに向かって吠えた。

 通報管制コールセンターが占拠されて一時間。現在時刻は15時を少し回ったところ。立てこもり事件の対策本部として、仙台駅東口にある家電量販店の地下スペースが、仙台市警に借り上げられていた。年に一回の仙台初売りの際は、福袋を買うことを目的にした『徹夜組』が冷たい夜を過ごすために使用するこのスペースも、現在は市警の捜査員50名程が行き交っている。

 市警とは言え、警察の中枢施設の掌握は21世紀の日本の犯罪史上、類を見ない犯行だった。犯行グループが通報管制コールセンターのシステムを使用し、こちらの警察無線を傍受している可能性があるため、警察無線も使用できない。それどころか市内での通報そのものを受けることができないため、現場は大混乱に陥っていた。


「うん、そう。そっちはタケさんに任すよ」

「分町は花村くんの部署で対応お願い。顔が利くでしょ」

「そっちから二人、駅前に回して。うん、封鎖するにも人が足りないんだ」


 混乱した現場で唯一落ち着いているのは、ベテラン本田くらいのものだった。複数の携帯電話を使い、コネをフル活用して人員を動かしている。現在、本田の指揮の元、現場付近の封鎖を行っているが、警察官の数がまるで足りていない。


「遠藤対策長! 現場へのホットライン繋がります!」


 若い捜査員が遠藤に叫ぶ。この対策本部の責任者は遠藤ということになっていた。事態が発覚した際『とくべつ課』の課長は上層部との接待で不在。他部署も責任の押し付け合いを始めた有様だった。結果、遠藤が手を上げた。この時ばかりは、本田も遠藤を止めようとしたが、遠藤は引き下がらなかった。

 ビルの中には荒谷がいる。それは間違いなかった。センターの職員や見学に来ている高校生たちが最優先保護対象ではある。だが何より相棒の危機に黙っていられるほど、遠藤は市警の腐敗には染まり切れていなかったのだ。


「わかった、繋げてくれ。みんな、集中してくれ!」


 遠藤はノートパソコンやその他機器と繋がったインカムを装着し、立てこもり犯との交渉に臨む。本来であれば専門の交渉人が対応しなければならないが、それすらも市警は用意することができない。失敗した時の責任を誰かに負わせることを、遠藤は望まなかった為、自ら立てこもり犯との交渉の席に着いたのだ。

 遠藤が息を深く吸い込むと、センター内にあるであろう据え置き電話へのコールを開始する。数度の呼び出し音が鳴った後、電話が取られる。


<随分かかったじゃないか>


 インカムのスピーカーから聞こえたのは、低く落ち着いた声だった。演技がかってもいない。仕事の遅い部下を窘める、上司のような雰囲気さえ感じた。


<私が皆の代表だ。予め伝えておくが、この会話はストリーミング配信している。発言には気をつけてほしい>


 遠藤は手の仕草で他の捜査員に合図し確認させる。犯人の申告通り、複数の動画サイトで音声のみのストリーミング配信が行われている。本田は対策本部に設置されたボードに、各サイトへの指示を書き出す。急なアカウントBANは犯人を刺激する可能性がある。内密に手を打つ必要があった。


「はじめまして。私は今回の現場責任者、仙台署の遠藤という者です」

<はじめまして、遠藤さん。そして残念だが、あなたから職を奪うことになる>


 立てこもり犯の言葉を一つも聞き漏らさないように、選択を誤らないように、遠藤は全神経を会話に集中させる。


<私たちの要求は二つ、現仙台市警の解体、そして再公営化だ>

 

 無茶苦茶だ。そんなことすぐに決められる筈はない。度重なる選挙や、議会、そういった民主主義のプロセスを踏んで、今の民営化された市警がある。それを撤廃させるなら、同じくらいの長いプロセスが必要になる。小学生だって分かることだ。他の思惑があるに違いないと、遠藤は言葉のカードを切る


「すまないが、それを即時決定することはできない。他の要求で叶えられるものはないか。可能であれば人質との交換を願いたい」


 犯行グループは過大な目標を提示し、他の要求を満たそうとしている可能性がある。であれば、それに乗せられてしまえばいい。それと引き換えに人質を解放させることができれば、こちらとしては大成功なのだから。


<遠藤さん、あなたは誤解しているようだ>


 だが遠藤の期待とは裏腹に、電話の向こう側の声が若干の怒りを孕んだようだった。


<私たちはただの市民の集まりだ。ただ現在の市警の体制に強い不満を持つ、という点でのみ共通点がある>


 耳を澄ます、犯人の後ろから誰かの、男性のうめき声が聞こえる。


<メンバーの中には、こういう者がいる。暴漢に襲われ通報をしたが、市警は助けに来なかったと>

<交通事故が起きたにも関わらず、助けが来ず身内が重度の障害を負ったと>

<そして私もそうだ。近しいもの……事件で子供を亡くしたが、市警はろくに捜査をせず、未解決として処理した>


 男から浴びせられる言葉は、現市警への憤りだった。遠藤は察する。現実的な交渉は不可能だと。


<市警の怠慢で失った時間や、機会や、命は戻ってこない。我々はそれに憤慨している>


 彼らは利益のために動いているのではない。怨恨で動いているのだ。恨みで動く人間を止めるのは容易ではない。ここまでの凶行に臨んだのなら尚更だ。


<我々は手製の銃で武装している。人を殺すには十分なものだ。無論使いたくはないが>


 悪い予感が当たった。恐らく荒谷が見つけたもの、粗製の拳銃が使われているのだろう。発砲音を聞いた、占拠されていないフロアにいた者の証言で裏付けも取れている。最悪の結末へ向かうパズルのピースが、どんどん埋まっていく。


<再度通告する。我々の要求は市警の解体、再公営化だ。それができなくば>


 そして最後のピースがはめられる。やめてくれ、言わないでくれと遠藤は祈る。


<人質を殺害する。まずは三時間後、一人だ>


 容赦ない死刑宣告の後、電話は切られた。


 ◆


 同時刻。礼人は東北大学の近くにある、今や貴重な公衆電話のボックスに入り、スマートフォンからアメリアの携帯電話番号へダイヤルする。数度のコールの後、アメリアは電話に出た。


「俺だ」

「ニュース見た。やめときなさい」


 明瞭で分かりやすい否定だった。


「どうせ市警の通報センターに行くっていうんでしょ? やめときなさい、相手は銃で武装してんのよ。いくらあんたでも死ぬわ」


 全くもってその通りだった。ここ一ヶ月でアメリアは礼人の行動パターンを知り尽くしていた。どう言えば礼人をコントロールできるかさえ把握しているといっても過言ではない。だがそれは礼人も同じだった。


「人質の中に妹がいる。何回コールしても出ない」

「……」


 アメリアの返事が聞こえない代わりに、街の喧騒が聞こえる。東口の混乱とは別世界のように、街の様子はいつもと変わらない。


「俺に残された、本当に大切な家族だ。助けられるなら、死んでも構わない」

「バカ、死んだら助けられないでしょ」


 アメリアにはもう反論する気がなくなっていた。はっきりしていて、切り替えが早いアメリアの性格が、礼人は好きだった。


「頼みがある。オフィスビルへの侵入のための陽動の手伝いと、あるものを用意してほしい」


 礼人はアメリアに欲しいものを伝える。


「……まぁ、それなら駅の中で買えるだろうけど。でも2時間頂戴。ちょっと用意があるの」

「構わない、こちらも下準備がある」


 短く、素早い意思の疎通。二人の『共犯関係』は完璧と言ってもよかった。


「2時間後、仙台駅構内。東口自由通路の土産屋通りの前で」

「わかった。絶対に助けるわよ」


 電話を切った後、礼人は大きく息をつく。

 

 絶対に助ける。


 言われるまでもなかった。そのためなら何でもできるし、まさにそれを今からしようとしていた。礼人は今度は公衆電話に小銭を数枚入れ、礼人が記憶している、とあるダイヤルにかける。しばらくして相手が出た。


「俺だ。一度しか言わない、よく聞け」


 受話器の先にいる相手の、うろたえる声が聞こえる。


「通報は無意味だ。通報管制がマヒしている。誰もお前の助けを聞かない」


 そう、礼人は言葉通り『何でも』するつもりだった。


「要求を言う。断った場合、お前を殺す」

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