5-2

 6月15日21時。礼人は汗だくになりながら、アメリアの工房の屋上入口から内部へ通じる階段を早足で降りる。階段を下りる途上ヘルメットを脱ぐ。湿気のこもるこの時期に厚着をし、犯罪者と格闘し、屋根を伝って警察から逃走するのは、想像を絶するほど体力を消耗した。暑いという感情以外の思考が消えてなくなる。破損したヘルメットも再作成したが、梅雨に入る前の暑さだけは対策しようもなかった。


「お帰り、フェイスマン。ちょっと体測らせて」


 工房に入るやいなや、暑さに苦しんできた礼人を気にせず、アメリアがメジャーを持って礼人の体を採寸し始める。


「なぁ、これ、今やらなきゃ、ダメなのか」


 礼人は冷房で冷えた空気を必死に吸い込む。


「あったりまえでしょう? 激しい運動で体がむくんだ時のことも考えて作らないと」


 アメリアは仕事の合間にフェイスマンのコスチュームを作り続けていたが、彼女が納得いくものはまだ出来上がっていない。


「フェイスマンらしさを残して、動きやすさを追求……でも機能性も捨てられないし……」


 採寸しながらブツブツと呟き始める。こうなったアメリアに何を言っても無駄なことを、礼人は短い付き合いの中で学んでいた。


「ダメ、一回休憩! ご飯食べるわよ、フェイスマン!」


 有無を言わさぬ命令に、疲れ切った礼人は抵抗することができなかった。


 ◆


「あー悩むの楽しいわ! あと久々の牛タンもたまんないわ!」


 片手に箸、もう片手に鉛筆を持ちアメリアは満足げだった。彼女の目の前には牛タン弁当と、フェイスマンのコスチューム案を書いているスケッチブックが置かれている。


「食べるか書くかどっちかにしろ」


 二人は配達アプリで注文した牛タン弁当を食していた。工房内には唾液腺を刺激する塩ダレの匂いが漂っている。仙台市民でわざわざ牛タン弁当を買って食べる者はそう多くない。しかし滅多に食べることがないそれは、戦闘に疲れきった礼人や、デザインに悩むアメリアに活力を与えるぐらいに美味であった。


「モノ作りはアイデア出してるときが一番楽しいのよ」


 アメリアは箸と鉛筆の両方で礼人を指す。家では食事のマナーにルーズな礼人さえ、目を細め抗議の意を示さずにはいられなかった。


「悩むで思い出したけど、あんたはどうなのよフェイスマン」


 麦飯を運んでいた礼人の箸が止まる。


「街の人たちの中には、あんたの戦い方がぬるくなったって言う人もいるみたいよ。戦うの、嫌になった?」


 対アキモノ戦以来、礼人の犯罪者の接し方はかなり変わった。以前は拳をとにかく振るわずにはいられなかったのが、相手が降伏さえすれば、それ以上痛めつけることはしなくなった。


「戦うことが、嫌になったわけじゃない」


 フェイスマンとしての活動はアメリアの協力により、以前よりも活発になっていた。アメリアの工房を第二のアジトとして使わせてもらうことで、行動範囲が格段に広がった。以前では対応しきれなかった仙台駅に近いエリアでも自警活動を行うことができるようになったのだ。また、商店街に顔の利くアメリアは仙台駅付近での迷惑行為や犯罪行為の情報を礼人に提供することもしていた。おかげで通報はされないが常習的に行われている犯罪に対しても、フェイスマンは先回りして阻止することができていた。

 そうやって礼人が自警活動を終えた後は、決まってアメリアと二人で今夜のような『プチ戦勝会』をするのが習慣になっていた。

 しかし戦い続けることが習慣となった今も、フェイスマンとして夜毎に戦うことへの意味や理由付けは、礼人の中で見つからなかった。発覚した時のリスクを考え、残される妹の莉桜を思えば、すぐさまヘルメットを捨てるべきなのに、そうすることも出来なかった。


「なぜ戦ってしまっているのは、自分でも分からないんだ」

「ま、誰にだって煮詰まるときはあるわ」


 うじうじしくさって、という罵声が浴びせられることも覚悟したが、アメリアは礼人を否定しなかった。


「参考までに聞きたいんだが」


 礼人の問いかけに、テールスープに手が伸びたアメリアの手が止まる。


「アメリアはなんで服を作るんだ」

「なんでって……まぁそう言われると大した理由じゃないんだけど」


 アメリアの手の中の鉛筆がくるくると回る。


「最初は自分で着る服をデザインできれば、くらいだったのよ。せっかくなら自分の好きなデザインを身に纏いたいじゃない」


 彼女は自分の服を鉛筆で指す。確かに彼女の服と同じものは街で見かけない。アメリアのオリジナルなのだろう。


「でもその内、自分の作った服で誰かの明日が良くなればと思ったのよ」


 アメリアの視線が工房内に置かれたトルソーたちに向けられる。


「あたしの作る服で、誰かの日常の『マシ』が『良い』に。『良い』が『最高』になっていけば良いかなって。そう思って続けてる」


 素敵な生き方だ。と礼人は素直に感心した。自分は果たして製作所の仕事もそんな風に捉えていただろうか。恰好は奇抜かもしれないが、アメリアは自分よりも遥かに『大人』なのだと実感した。

 感心のあまり黙ってしまった礼人を、話が理解してないと思ったのか、アメリアは表情を険しくする。不機嫌そうな態度を隠さず、再度テールスープの入ったカップに手を伸ばす。


「もちろん、それはあんたに対してもよ。あんたのコスチューム、言っとくけど最悪だからね。ホラー映画の殺人鬼にしか見えないわよ」


 ずずずっと音を立てながらスープを飲むアメリアに、礼人は思わず顔を顰める。


「あんたの『最悪』を『マシ』にして、そのついでに名も売って、街を平和にしたいのよ、私は」


 あんたは気長に考えればいいんじゃない、犯罪者は腐るほどいるし。と、アメリアはあくまで楽観的だ。思い悩む礼人の牛タン弁当の中身の減りは、アメリアのそれよりも遥かに遅かった。


 ◆


 6月15日23時。市内の変哲もない、平屋建ての住宅に10人の男女が集まっていた。20代後半から50代の年齢層で、皆一様に気難し気な表情を浮かべていた。


「皆、不安なのは分かる」


 リーダー格の、平凡な顔つきをした男性が集まった面々を見渡す。彼以外のメンバーの視線は、彼らが囲むテーブルの上にある数丁の半自家製の拳銃に向けられている。民家の居間にふさわしくないそれは、市内の複数の工場に依頼したパーツを、自分たちで組み上げたものだった。銃弾も威力は低いが手製のものを用意できた。超近距離であれば、人を殺傷することも可能な代物だ。


「だが、市民である私たちが立ち上がらなければならない」


 彼らは一つの明確な目的をもつ集団だった。ただの拳銃であれば3Dプリンターがあれば作れる。だが樹脂製のおもちゃっぽく見えるものはダメだ。少ない人数で威圧感を出すなら、自分たちの目的を達成するには、威力があるように見える鋼鉄製がいる。


「『大義』のために、我々市民の叫びを響かせよう」


 そう、これは『大義』を成すための行動だ。そのためであれば、恐怖すらも味方につける必要がある。明確な目的が、この場にいる皆が過剰な暴力を持つことへの疑問を払拭した。自分たちにはそうするだけの理由があると思っていたし、実際にそれは妄想などではなかった。妄想であった方がよかったと皆、哀しみと怒りを胸に湛えていた。


「今夜はゆっくり休もう」


 リーダー格の男が拳銃を手に取ると、他の面々も重々しい手つきで半手製の拳銃を手に取る。


「そして明日、持てる力のすべてをこの街に還元しよう」


 映画のようにリーダー格の男を讃える歓声はあがらない。ただ静かに全員が頷く。明日、己がどうなろうとも目的を達するのだと、全員が鋼鉄の暴力を手に決意したのだ。

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