5章 変革の街
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6月15日19時。施設のメンテナンスが入らない仙台署は、徐々に増す湿気を追い出せず不快指数が高まっていた。それは遠藤たちが詰める『フェイスマン特別捜査本部』の会議室も例外ではない。仙台の梅雨は他県に比べ涼しく過ごしやすいが、昨今の地球環境の変化による影響か、人の思考を鈍らせるには十分な暑さだった。上手くまとまらない思考の中、遠藤は一枚の用紙に考えを集中させる。
拳銃。
荒谷の書いたスケッチを統合し、しっかりとした図面に直したものだ。組織犯罪が撲滅された仙台では、警察官が携帯するものを除いて全く見られなくなった代物だ。
「またそれを見てるのかい」
本田の呼びかけで、自分が図面に長く気を取られていたことに、遠藤はようやく気が付いた。
「あ……っす。やっぱり気になって」
装弾数一発、連続耐用発射数二発。複数の工場で別々に生産された影響によりパーツ間クリアランスは最悪で、命中精度は劣悪。おまけに装弾には装填棒の使用が必要。
鑑識に内密に依頼し荒谷のスケッチから想定してもらった拳銃のスペックは、在野の警官がもつリボルバーや遠藤たち刑事が使用するオートマチックに比べれば、おもちゃ同然のものだった。しかし、どんなにチャチなものでも銃は銃だ。犯罪組織の資金源になりうるし、危険な思想の者の手に渡れば悪用は免れない。
「ただ、どうにもできないですけど」
各町工場にクライアントの開示請求を取り捜査を進めたいところだが、いち刑事のスケッチだけでは請求を行う理由としては認められない。遠藤が個別に捜査をしようと試みるも、状況を察知した上層部に捜査の差し止めを受け、それもままならなかった。出来たことと言えば、各部署にこのスケッチと図面を共有したぐらいだが、どの部署でも遠藤は邪険に扱われた。
「フェイスマンを未だに捕まえられていないのに、まだ案件を抱え込むのか……そう何度も言われましたよ」
「悔しいけど正論だね」
『フェイスマン特別捜査本部』はアキモノの一件以降、邪魔が入らなくなり正常に捜査を開始していた。だが6月が折り返しを迎えたにも関わらず、目立った成果は上げられていない。本田は捜査本部内に掲げられた、フェイスマンの犯行現場をマーキングした仙台市中心部の地図を見据え唸る。
「5月以前に比べて格段に範囲が広くなってるね」
以前は片平、西公園、国分町、その付近のアーケード。遠くても勾当台公園までしかなかったフェイスマンの行動範囲が、今や仙台駅前と駅裏と呼ばれたの東口方面の一部まで広がっている。捜査本部の見立てでは仙台駅に近い土地に新たな拠点ができ、活動範囲が広まったと推察されたが、依然としてフェイスマンの足取りを掴むことはできなかった。
「捜査員も西公園付近を張ることを想定した人数しか確保できていません。駅前まで広げるとなると厳しいです」
少ないバターをトーストになんとか塗ろうとするように、捜査員による監視と捜査網は薄くなるばかりだった。
更に事態はある意味では良く、遠藤たちにとっては悪くなっていた。過激だったフェイスマンの犯行は、アキモノの一件以降かなり抑えられたものになっていたのだ。かつては遭遇していた犯罪者を再起不能になるまで暴行を加えていたのに対し、ここ一ヶ月のフェイスマンは相手が抵抗さえしなければ、拘束だけして現場を去ることも珍しくなかった。おかげで市警の検挙率もここ数年の中ではトップクラスの水準だった。
治安を乱す者を殺さず捕らえる謎のヴィジランテを、信奉こそしないものの肩を持つ市民は着実に増えている。フェイスマンを捕らえるべき遠藤ですら、アキモノの一件以降、フェイスマンを逮捕することに抵抗を覚えるときすらあった。あの八木山橋での震えた背中を思い出す度、胸が苦しくなる。彼を捕まえてマスクを剥いで、それでいいのかと自問自答する瞬間が多くなった。
「というか、本田さん。すいません苦情処理なんかさせて」
「いやいや、いいんだ。おじさんにはこれくらいしかできないから」
市警には『善意のヒーローを捕まえるな』や『市警はきちんと仕事をしろ』といった苦情が連日のように寄せられる。仙台署の前で市民のデモも起こるほどだ。その矛先は署内でフェイスマンの捜査を執り行う、この『特別捜査本部』に向けられている。電話で寄せられる苦情処理を本田が一手に引き受けている有様だ。ただでさえ貴重な人員が浪費されていることに、遠藤のフラストレーションは溜まる一方だった。
「荒谷がいたら、あいつにも手伝わせるんですけど……」
荒谷はここ数日、捜査には加わっていなかった。仙台市民の市警への心証を少しでもよくしようと、市内の高校生を対象に警察施設の社会科見学の実施を市警は企画。見学に来る高校生たちの案内役に、荒谷は駆り出されていた。
「くそっ、ただでさえ人が足りないのに」
あのうざったい『パイセン』呼びが恋しくなるなど、遠藤は予想していなかった。
「荒谷ちゃんは人懐っこいから、あの仕事は適任だよ。彼女が市民と僕たちの緊張を少しでも和らげることに期待しよう」
本田に肩を叩かれ、遠藤は努めて平静を保とうとしたが、内心の焦りや動揺は署内の不快指数と同様、高まるばかりだった。
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