4-9


「お帰り遠藤。ご苦労だったね」


 『とくべつ課』に帰還した遠藤を、本田は優しくねぎらった。

 フェイスマンによる開戸 光延誘拐事件は、ともすれば遠藤の刑事生命を終わらせかねなかったが、そうはならなかった。

 遠藤がフェイスマンに付け入る隙を与えたことを認めれば、それは上長の佐野上課長の進退にも影響する。昇進が控えている佐野上にとって、例え尻尾切りで切り抜けたとしても、経歴上の汚点が残ってしまう。書類上『警護はなかった』と隠ぺいしたほうが良かったのだ。

 光延の自白もこの茶番を助けた。議員の息子が捕まる。そんなことは光延の親も隠したかったらしく、そもそも光延はあの場にはいなかった、という処理がなされた。


「顛末を考えると、複雑ですけど」


 遠藤はバツが悪そうに上着のポケットに手を突っ込んだ。遠藤は最も憎んでいた物に助けられた。民営化後に強まっていた、記録が残っていなければ良いという事なかれ主義と腐敗にだ。


「今の自分は刑事失格ですかね、本田さん」


 正直言えば気分はよくない。遠藤は信念を曲げたのだ。恐らく自分がやったことなど、この大ベテランにはお見通しなのだろう。であれば真っ向から否定され、職を辞すならそれも良しと考えた。


「遠藤は知らないかな、『あぶぼく課』の前身は」


 あぶぼく、『あぶないグループぼくめつ課』の略称だ。今はめっきり規模が縮小されたが、かつては組織犯罪に対するエリート集団だったと遠藤も知っていた。


「かつての彼らは、大きいホシをあげるために組織のメンバーと会食することすらあったんだよ」


 今では信じられない話だ。昨今の犯罪グループは即市民の通報による褒賞制度の餌食になる。そんなところを見られたら、その警官もおしまいだ。


「だからまぁ、遠藤のスタイルは『クラシック』なスタイルと言える。そして僕はロートルだから、クラシックは嫌いじゃないよ」


 本田の遠回しな肯定は、遠藤の罪悪感を救うには十分だった。少なくとも開戸 光延が市民に危害を加え、それが静観されることはなくなった。ひとまずはそれでよしとした。


「で、どうだった。フェイスマンは」


 本田は楽しそうに尋ねる。


「本田さんの言った通りでした。奴は単独です」


 遠藤の言葉を聞いた本田はかぶりを振る。


「そうじゃなくて、彼に対しどう感じたかだよ」


 遠藤は少し言葉を詰まらせ、言いにくそうに重くなった口を開く。


「……まるで鏡を見ているようでした」


 誰に言われたわけでもないのに、自らの『贖罪』のため、傷つきながらも街を駆けずり回る。それは同じく、誰に言われたわけでもないのに市警の改革を目指す、遠藤自身の姿と重なった。

 自分も傍から見れば、ああ写るのか。遠藤は犯罪者たちが、自分の顔を見せつけるフェイスマンを恐れる理由が分かった気がした。人間、自分を客観視したときが一番傷つく。あの哀しい後ろ姿を見て遠藤の意志は揺らいだ。


「じゃあそんなに悪いやつではないかもね」


 本田は変わらぬ口調で遠藤を励ました。


「遠藤は真面目で面倒見も良い。いい刑事だ。フェイスマンもそうなんじゃないかな」

「まさか、自分はあんなコスプレしませんよ」

「あはは、確かに」


 本気で嫌そうな顔をした遠藤とは反対に、本田はからっと笑う。だけどね、と続ける。


「自分だけが孤独じゃないと分かるだけでも、人は案外楽になれるもんだよ」


 そうかもしれない。少なくとも遠藤には本田がいたし、捜査本部に集まった刑事たちも遠藤を信頼して集まっていてくれた。

 そしてかつては、亡くなった恩師、蛮徒先生が傍にいてくれた。フェイスマンにはそういう相手はいるのだろうか。出来ればいてほしい、と遠藤は不本意にも心の中で祈ってしまった。


「で、普段隣にいる後輩は、今何やってんのかなぁ?」


 遠藤は書類の山の向こうに隠れて、何かを書いている荒谷に呼び掛けるが、返事はない。生意気な後輩は、自分がいない間に怠け癖を再発させているようだった。


「聞いてんのか荒谷……」


 遠藤は書類の山から怪獣のように顔を覗かせる。視界に飛び込んできたのは、複数の機械部品のスケッチだった。紙一枚につき一つの部品が描かれている。遠藤は怪獣よろしく行われる予定だった、説教の火炎放射を中断する。


「あ、パイセンこれなんすけど……」


 荒谷の手元にはメモが置いてある。メモに書いてあるのは、捜査本部発足前に遠藤たちが聞き取りをし、町工場で聴取した個人発注の部品のリストだった。リストの先頭は最初に話を聞くことが出来た、菊間製作所で聞いた『3.6インチ シリンダー』と書かれている。機械部品のスケッチはそのリストを元に描かれたもののようだ。


「あーいや、これ絵の練習になるかなぁって書いてただけで……」


 いつも自信満々で、うざったいくらいの荒谷の声が、今日はいつになく弱弱しかった。これまでにも何度も職務中の落書きを咎めてきたが、この反応は遠藤が荒谷と接してきて初めてだった。


「……なにか気になるところがあったか?」


 遠藤の問いかけに、荒谷は黙って頷いた。彼女はたどたどしい手つきで部品のスケッチを描いていた紙を重ね、不安な様子を隠さずに遠藤に手渡す。


「蛍光灯とかで、後ろから照らしてくださいっす」


 本田がすぐにスケッチの束を持つ遠藤の前から、ペンライトの光を紙の束に当てる。各部品のスケッチが光を通して透けて見えたとき、遠藤は思わず目を見開いた。


「おい、嘘だろ……」


 スケッチの重なりで浮かび上がったそれは、まぎれもなく拳銃の形を成していた。

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