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「お待たせしました、トマトクリームスパゲティと、しらすとエビのパスタです」


 少し言葉に青森弁の名残がある、けれども丁寧な接客と眩しい笑顔の女性が、礼人とアメリアの座る席に料理を運ぶ。


「お好みでこちらのタバスコと粉チーズをお使いください。他に必要なものはございますか?」

「ないわ。復帰おめでとう」

「ありがとうございます、アメリアさん。お連れ様もどうぞごゆっくり」


 女性は綺麗に一礼してその場を去る。


「ね? やっぱりあのクズ野郎はいない方がいいわ」


 アメリアは自分の正しさを証明できたようでご満悦だった。

 アキモノはフェイスマンの要求通り、謝罪動画を公開した。風邪気味の姿で必死に謝る姿は、アメリアのお気に召すものだったようだ。あれ以来、仙台の街でアキモノの姿は見られなくなった。


「まぁ、あんたみたいなアメコミヒーローもどきと戦うヴィラン……って感じはしない小物だったけど」


 アキモノこと、開戸 光延に制裁を加えてから一週間経っていた。給料日を迎えた礼人は、アメリアに借金を返すべく工房を訪れたのだが、彼女は返済を拒否した。


「そんなことより、打ち上げしましょ。あいつらだけ良い飯食ってたのは納得できないわ。もちろんあんたの奢りね」


 そう言われ、連れてこられたカフェレストランで、礼人とアメリアは二人だけの戦勝会を行っていた。莉桜には素直に「知り合った女性と食事に行ってくる」と告げたところ、メッセージアプリ越しに散々囃し立てられてしまったが、嘘を妹につくよりは遥かにマシだった。


「では、クソ野郎の討伐を記念しまして、乾杯!」

「……乾杯」


 共にノンアルコールが入ったグラスを合わせ乾杯する。店柄か、周りにいる客はおしゃれな男女が多いが、その中でゴスロリファッションのアメリアと、製作所の機械油の匂いがしみついた作業着の礼人は店内でかなり浮いていた。しかしアメリアは気にすることなく、グラスの中のコーラをあおる。


「この会計額だと、返済には到底足りないんだが」

「あたりまえじゃない。これからも悪人をしばいたら、貸した金額まであんたの金で打ち上げするから」


 つまり、彼女はこれからも礼人に協力するつもりらしい。


「理解しかねる。俺に協力して、アメリアには何の得もない」

「得ならあるわ。いつかあんたのコスチュームをデザインするの。それ着て戦ってもらうから」


 礼人は舌を巻いた。自身も異常者の自覚はあったが、目の前の怪人の協力をしようと目論む彼女はそれ以上だ。


「そしてあんたが捕まったら、脅されて作ったって言って炎上商法で儲ける」


 アキモノとやろうとしてることが変わっていない。強いて言うなら、犠牲になるのが街の人間か、礼人一人かの違いだが、反論はできない。少なくとも彼女がいなければ、礼人は今この場で食事などできなかったのだから。


「無駄話してないで、あったかいうちに食べるわよ」

「もうひとつ聞きたいことがある」


 アメリアはカラトリーを鳴らして抗議する。問答はもうたくさんと言いたげだ。


「俺を助けたもう一つの理由、それを教えてくれ」


 ここ数日、自身の『贖罪』と生きる意義を考えていた頭の隅に、疑念が残っていた。ファッションデザイナーとしてのアメリアは成功している。地方都市とはいえ、この若さで工房を持つとなると相当のやり手であることは間違いない。なぜリスクを負ったのだろうと、いくら考えても答えは出なかった。


「……それは、あんたが私と同じだからよ」

「全然、違うだろう」


 礼人の否定に、彼女も首を横に振る。


「好きな恰好して、好きなことしてる。一緒よ」


 要領を得ない礼人をよそに、アメリアは少し離れたところで働く、青森弁のアクセントがある女性を眺めている。


「あたしのいたクソ田舎じゃね、こういう服で外を歩いてたらね、こう言われんの」


『いつまでそんな格好してるんだ』

『絵本の中だけでやめときなさいよ』

『なんで普通に生きられないんだ』


 アメリアは自らにかけられたであろう言葉を、努めて淡々と吐く。だが怒りが抑えられたのは一瞬だった。

「ふざけんなっての! 自分の金で買った服着て、好きに生きて何が悪いっての! クソくらえっての!」

「頼む、もう少し声量を抑えてくれ」


 周りの客の視線が二人に注がれる。このやり取りからフェイスマンに繋がりかねないか、礼人は気が気ではなかった。実際のところは痴話喧嘩にしか見えていなかったが。


「だから、仙台まで来て仕事をはじめたの。ここじゃクソ田舎よりは文句言うやつは少ないから」


 確かに、東北最大の都市である仙台なら、彼女のゴスロリファッションも珍しいものではあるが周りから咎められることは少ないだろう。もっと奇抜な格好をしている市民だっている。


「で、あんたが現れた。あたしと同じく、好きな恰好して好きなことしてるやつが」


 言われた内容に礼人は顔をしかめた。


「俺のは『好きなこと』じゃない。この街で生きるための『贖罪』だ」

「はぁ? この街で生きるためぇ? 馬鹿も休み休み言いなさいよ」


 アメリアの口調と目は、軽蔑の意を隠さない。


「頭の悪いあんたのために言ったげるわ。『贖罪』ってのはね、自分のためにやるもんじゃないの。罪の犠牲になったモノのためにやるの」


 アメリアはフォークで礼人を指す。


「聞くけど、あんたがアキモノみたいなクズや犯罪者をボコって、あんたの犯した罪の犠牲になった何かは救われたの?」


 礼人は言葉に詰まる。アメリアの言葉通りで、反論の余地がない。

 確かに師匠は自分にルールを与え「この街に力を還元しろ」とは言った。だがそれ自体が『贖罪』になるとは一言も言ってなかった。贖罪のチャンスを与えるとは言ったが。

 とどのつまり、礼人はずっと勘違いをしていたのだ。いや、問題から逃げていたと言っても良い。


「ほらね、やっぱり好きでやってるだけだったじゃない。自分のやりたいことしてんのに、贖罪なんて言ってるその態度が軟弱で嫌だったのよ」


 アメリアはテーブルに肘をつき、ほら見たことかとねめつける。


「改めて聞くわフェイスマン。あんたは何でこんなことしてるの」


 礼人は真っ白になりそうな頭で必死に考える。犯罪者と戦っていたのは、暴力を振るう理由付けだったのか。かつて子犬に手をかけたときのように『傷つけても良い相手』に力を振るいたかっただけなのか。

 違う。礼人は目の前の女性にも、パスタを運んだ店員も、妹も傷つけるつもりはなかった。それどころか、アキモノに手を下さなかったことに対して安堵すら覚えていた。あの日、捨て犬を殺したことをずっと、ずっと後悔していた。後悔していない日は一日として無かった。

 ではヒーローになり弱者を守るためなのか。それも違う。そんなことは警察に任せてしまえばいいのだ。だから市警がマスコミで自分の代わりに叩かれたときに胸を痛めた。


「わからない」


 そう答えるのが精いっぱいだった。目じりから涙があふれだす。自分がからっぽになったようだった。元々自分には顔なんてなかったような気さえしてきた。


「そんなもんよ、やりたいことなんて。やりたいからやるってだけなの。理由付けは後からなのよ」


 アメリアは礼人が静かに泣いているのを、優しく見守っている。そんなアメリアの顔に、礼人はいつか河川敷で見た師匠の優しい顔を重ねた。


「同じ生き方をしてる身として、あんたがどうなるのか気になるのよ。だから共犯者になったげるって言ってんの」


 共犯者。なんと甘い響きなのだろうか。自分に寄り掛かれる、同じ視線で見てくれようとする相手がいるだけでこんなに違うのか。礼人の涙は、なかなか止まらなかった。


「やや! もしかしてお口に合いませんでしたか! アレルギーの発作ですか?!」


 二人の様子に気づいた青森弁の店員が、心配げに席まで駆けてきた。アメリアは呆れたように手を振る。


「あー大丈夫。自分の馬鹿さ加減に気づいて、びっくりして泣いてるだけ。ほら、早く食べなっての」


 アメリアに急かされ、礼人はパスタを口に無理やり運ぶ。嗚咽でうまく食べられない、息が苦しい、涙で視界がぼやける、最悪だった。

 しかし礼人は、両親が死んだその日以降、初めて自分が生きていると実感できた。

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