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 開戸 光延は仙台駅東口の近辺にある、個人経営の焼き肉店で仲間たちと――正確に言えば『取り巻きたち』と、ビールの注がれたジョッキを合わせ乾杯していた。


「やー! アキモノさんのおかげであいつビビッて出てこなくなりましたね!」


 取り巻きの内の一人が、外にまで聞こえそうな声で囃し立てる。光延たち今いる焼き肉店の店主はこのような自分たちの『やんちゃ』をとやかく言わず、受け入れてくれる人だ。だから光延が取り巻きの発言も咎めなくても問題はない。


「もうアキモノさんが街のために戦ったらいいんじゃないっすか?」


 別の取り巻きがそんなことを言ってくる。


 バカ共が。


 自分が正義感だの、おもしろ可笑しく生きるためにこんなことやってるわけではないことに、誰も気づかない。今の世の中は注目されるかどうかで、そいつの価値が決まる。いくら議員の子だからといってもそれは変わらない。自分以上に顔が良くて、コネもあって、金のある連中など世の中にはいて捨てる程いる。そんな中で成り上がるには、多少のリスクを冒してでも注目を集める必要がある。

 注目が、いいねの数が、登録数が自分の糧となる。何も持ちえない自分の生きるための、成り上がるための手段になる。もちろん老害たちは、そんな自分たちの生き方を否定してくる。かつて自分たちがしてきた『やんちゃ』を、お前たちはするなと押さえつけてくる。知ったことではなかった。かつてやってよかったことを、自分たちが何故してはいけないというのだ。光延は街や市民を敵に回しても、自分が幸せになりたかった。ただそれだけだった。


「いやーっ! 今回はみんなのおかげで出来たことだよ! 次はフェイスマンを逃がそうとした女を特定しようぜっ!」


 無論、自分の考えは取り巻きには悟らせない。一生俺の踏み台やってろ。そう心の中で見下す。


「あのクソ刑事の監視が外れたら、もっと面白いこと、みんなでやってごっ……」


 言葉の途中で光延はせき込んだ。取り巻きたちが笑い始める。黙ってろ、クズども。頭の中だけで悪態をつく。なんとか咳を止めようとするが、なぜか止まらない。ジョッキを置いて水の入ったグラスを取ろうとするが、今度は視界がぼやける。自分の視界が涙でぐちゃぐちゃになっているのだ。

 

「ごほっ……げほっ……」

「おい、てんちょ! 換気扇まわしてよ!」


 取り巻きたちも、光延と同じ状態だった。店内は煙が充満し、涙とあいまって視界が確保できない。しかもその煙を吸い込むと、喉が、鼻が、気管が焼けるように熱くなる。せき込むとさらに熱い空気が体に入り、苦痛が永遠に続く。


「みんな! 外に出ろ!」


 取り巻きの一人がそう口にして、出口の方へよろよろ歩き出す。


 しかし、そいつが外に出ることはなかった。濃くなる煙の中で「ぎゃっ」という短い悲鳴と、金属が人体に激突した音がして、そいつの声は聞こえなくなった。光延と取り巻きたちはパニックになる。狭い店内でほとんど目を瞑った状態での遁走は転倒や、仲間同士での衝突を容易に引き起こした。

 そして煙の中で、黒い影がゆらめく。光延たちにはその影に見覚えがあった。数日前に皆で対峙したはずの、マスク姿の変質者。こちらに恐れをなして、尻尾を巻いて逃げたはずの奴が、なぜかここにいる。

 取り巻きの一人が、恐怖のあまり叫んだ。恐怖は伝染する。その場にいる誰もが、そこから逃げ出そうとするが、動いたものから顔のない怪人が振り下ろす凶器に仕留められていく。一人、また一人と床に倒れ伏す。そうして最後に残ったのは、光延ただ一人だった。


「近づくな変態野郎! お前なんかこれっぽっちも怖くない!」


 近づく影に怯えながら、光延は精一杯の虚勢を張る。こいつも老害と同じだ。自分の価値観を押し付けてきて、自分のような存在が目立つことが許せない。顔を隠した卑怯な偽善者だ。そんな奴に屈するつもりは光延にはなかった。


「正義の味方ぶりやがって! これが、この生き方が今は正しいんだ!」


 そこから先は光延は声を上げることができなかった。フェイスマンが左手で光延の太い首を掴み、喉を潰しているからだ。


「お前の生き方に興味はない」


 マスクの下から聞こえる声音は不気味そのものだった。だが発せられた内容は、光延が予想していたような思想的なものではなく、もっと純朴な言葉だった。


「だが『人のイントネーションを馬鹿にする奴は、万死に値するわ』……だそうだ」


 警棒の打撃による鈍い痛みが光延の頭に走る。光延の人生史上経験したことのない揺れを、彼の愚かな脳みそが受け気を失うまで、そう長い時間はかからなかった。


 ◆


 ひとまずは勝った。光延ことアキモノを打ち負かした礼人は、息苦しさの中で安堵のため息をつく。

 作戦はこうだった。アキモノの動画の中には、彼の住所地を示すものは出てこなかったが、取り巻きたちの言葉の中でヒントになるようなものがあった。


『終わったらいつもの店』


 短い単語だったが、編集の漏れで残った音声だ。そこから更に動画内の視聴を続け、彼の取り巻きのSNSを特定することで、彼らが打ち上げに使う焼き肉店を特定することができた。店主や店員はバックヤードにいたところ拘束し、店の裏の倉庫に放り込んである。帰りに解放する予定だ。

 店を掌握したら、換気扇を止めてアメリアと用意した『装備』を展開する。それは言わば『煙玉』のようなもので、理科好きの小学生が夏休みの実験に作るようなものに近い。ただし使う材料の量を増やし、煙が残留する時間を長くするよう調整した代物のため、狭い店内の視界を奪うには十分だった。さらにアメリアのアイデアにより、煙玉の中身には唐辛子いりの香辛料も混ぜ合わせた。催涙効果を持ったそれは、アキモノと、その取り巻きたちの戦闘能力の殆どを削ぐことに成功した。

 煙が広がった後は出口付近に潜み、逃げようとする彼らを一人ずつ倒していくだけだった。礼人自身が煙で動けなくならないよう、ヘルメット内にガスマスクとゴーグルを装備していたため、普段と違う視界に戸惑いこそしたが、問題にはならなかった。

 あとはアキモノがもう二度とこの街で迷惑行為ができないよう、再起不能にするだけだ。礼人は彼の肩目掛け、警棒の柄の金属部分を振り下ろそうとする。肩を粉々に砕けば、もうカメラは持てないだろう。


「それは、やめてもらおうか」


 凛とした声が礼人を、フェイスマンを止める。その声の持ち主を礼人は知っていた。


「フェイスマン、ついてきてくれるか」


 礼人はアキモノから視線を上げる。そこには目を細めながらハンカチで口と鼻を抑え、裏口から店内に侵入した遠藤刑事の姿があった。

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