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「お待たせ、ブラックでよかったかな」


 遠藤はチェーンのコーヒー店の紙カップをふたつ持ち、礼人が座るベンチに戻る。仙台のアーケード商店街は平日の昼間でもそこそこの人の往来がある。遠藤たちはアーケード内の中心に移動していた。条例によりアーケード内でのデモ活動などは禁じられているため、ここでは活動家の声も遠くにしか聞こえない。

 遠藤は礼人の隣に座り、カップの一つを礼人に渡すと、行き交う市民を眺めながら自分のコーヒーを口に運んだ。隣に座る青年、礼人はうつ向いたままコーヒーに口を付けない。


「今日は仕事じゃないのか?」

「仕事中にミスして、今日は帰れって」


 どうりで落ち込んでいるわけだ。遠藤がアーケードで見つけたときの礼人は、今にも車道に飛び出さんばかりの様子に見えた。職務中のことだったが、声をかけた自分を内心褒めてやる。


「刑事さんは?」

「自分はサボり」


 アキモノこと開戸 光延の警護は、退屈かつ非生産的そのものだった。彼は今仲間たちと近くの古着店で動画を撮っている。しかも光延から「警官が近くにいると動画の質が下がる」と、邪険に追い払われたのだ。

 勝手にしろ、フェイスマンにぶっ殺されても知らないぞ。と内心悪態をついた。

 大物のドラ息子の警護よりは、町工場で働く青年を助けた方がはるかに生産的だ。刑事としては危険な思想だったが、捜査本部の凍結で職務に投げやりになってしまっているのも事実だった。


「なにやったんだ? 部外者だから言えないこともあるだろうけど、話せば楽になるかもよ」


 遠藤の見立てでは、礼人は真面目な青年に見えた。荒谷とは対照的なタイプで、日々の業務は淡々とこなせるが、一度調子を崩すと元のペースに戻るのは遅い。抱え込ませず、なるべく早く毒気を抜いたほうが良い。礼人はゆっくりと口を開く。


「目標があったんです」


 続きを言うのに、どういえばいいか思案しているのか、礼人は間を置きコーヒーで唇を湿らす。


「大きな目標、というか責務みたいなものがあったんです」


 責務、という20歳かそこらの青年には重い言葉に遠藤は違和感を覚えるが、続きを急かさない。きっと荒谷に慣れ過ぎて、礼人のようなタイプが今の若者には多いのかもしれないと、遠藤は聞く姿勢のままだ。


「でも、責務を全うするのに、俺は力不足だったんです」


 礼人の目は行き交う人々も、街の風景も見ておらず、まるで深い闇を覗いているようだった。


「自分はもっとできる、と思っていたのが、自分の周りにはもっと強い人たちがいて」


 苦しんでいる。礼人は具体的なことは語らないが、それだけは遠藤は見て取れた。


「自分はもう、何もしなくていいんじゃないか、この街にいらないんじゃないかと思えるんです」


 遠藤は少し姿勢を低くして、礼人の顔を覗き込んだ。


「礼人くんにとっては、その『責務』とやらはそんなに大切なのかい」

「……俺の生きる理由でもあったんです」


 遠藤は古い記憶を呼び起こす。あの人なら、自分を引っ張り上げてくれた恩師、蛮徒先生ならこの子になんと答えるか。


「礼人くん、その責務が何か分からないが、君が生きる理由だとまでいうのなら」


 先生、どうかあなたの力を少しだけ貸してください、と心の中で念じる。


「大丈夫、君ならやれる。いや、君にしかできないんだ」


 礼人が顔を上げる。


「他の出来る奴がいたって、礼人くんという存在はこの街に、世界に一人しかいない」


 遠藤は街を行きかう人を手で指す。そこに同じ顔の人間は一人もいない。似ていた顔があったとしても。それは微妙に違う顔だ。決して同一のものはない。


「君が『責務』と定めたのなら、それは君だけの『責務』だ。他の誰にもできない。だから大丈夫、やりきれるよ」


 礼人は目を閉じて何か思案したかと思うと、突然ベンチから立ち上がる。その様子に驚く遠藤は、自分が口にした言葉が、礼人が落ち込んだ時に父にかけてもらった言葉と同じということを知らない


「おい、大丈夫か」


 呼びかけに答える代わりに、礼人はカップからプラスチックの蓋を外し、中身を一気に飲み込む。いい飲みっぷりだ、と遠藤は心の中で称賛を青年に贈った。


「遠藤さん、ありがとうございました。やるべきことを思い出しました」


 笑顔、ではなかったが礼人の目には光が戻っていた。口の端についたコーヒーを袖で強引に拭っている。


「そりゃよかった。迷ったとき、困ったときは誰かを頼ってみな」

「今からでも、そうします」


 結局、遠藤には彼が何で悩んでいるか分からなかったが、目の前の若者が元気になってくれたのなら、それでよかった。


「もう行きます、コーヒーごちそうさまです。今度お会い出来たら、今度は僕がご馳走します」

「お、賄賂か? 楽しみにしてるよ」


 ブラックジョークに礼人が少し口角を上げたように見えた。礼人は遠藤にお辞儀をすると、カップを手近なゴミ箱に投げ入れ、駆け出した。その姿は遠藤からどんどん遠ざかっていく。


「さて、自分の現実に戻るか」


 遠藤は立ち上がる。彼にも責務があったように、自分にも叶えたいものがある。


「諦めないからな、ここが『仙台』だからって」


 佐野上課長の言葉を、真っ向から否定してみる。この街が自分を否定するなら、適応し逆に変えてやる。見送った青年同様、遠藤の心にも火が灯っていた。

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