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 アキモノによるフェイスマン襲撃から三日が経過した。

 仙台署内にある『フェイスマン特別捜査本部』の設置された会議室には、今や捜査員の姿はなく、とりあえずの待機要員として荒谷と本田がいるのみだ。本田は資料をまとめたり、自身の仕事をしているものの、荒谷に至っては印刷損じの用紙の裏に落書きをしている始末だった。


「ポンさ~ん、3.6インチって何センチすか」

「ん~、9.1センチくらいかな」

「あざっす」


 自分の指であたりをつけると、荒谷は紙に直線を引く。その内デスクに頬杖をつき、つまらなそうにペンを素早く走らせる。遠藤なら小うるさく説教しそうな様子の荒谷に対し、本田はそんな彼女を叱ることはしなかった。


「荒谷ちゃん、元気だしなよ。遠藤が自分で言ったことだし」


 荒谷は大きくため息をつき、ペンを持ったまま頭をかきむしった。


「遠藤パイセンがやらなくても、良い仕事だったのに」


 捜査本部が動いていないのには理由がある。光延がフェイスマンを襲撃、その一部始終が動画サイトにアップロードされた。遠藤たちも光延から『フェイスマン』を逮捕する。という言葉を聞きはしたものの、本当にそれが出来るとは想定していなかった。

 しかし事実として光延とその取り巻きは、それをあと一歩というところまでやってのけた。捜査本部があるにも関わらず、一般市民に先を越されたことは、市警上層部としては世間の批判をかわすために『なかったこと』としたい案件になった。結果、捜査は中断。捜査本部は解体こそ免れたが凍結、という形で『なかったこと』にされた。

 また、光延がフェイスマンの報復を受けないよう、捜査本部の人員から光延の警護をするよう、上層部からお達しがあった。特に光延本人の強い希望で荒谷が指名されたが、遠藤が『彼女には捜査中の案件がありますので』と代わりを買って出たのだ。

 そのため遠藤はここ三日間、捜査本部に顔を出していない。今頃も遠藤は光延の近くに控えているはずだった。


「遠藤もさ、意地があったんでしょ。あんなやつの警護を、可愛い後輩にやらせたくなかったんだよ」


 本田の慰めの言葉が、荒谷には納得できずにいた。自分のために先輩がしなくていい苦労をしているが何より気に食わない。その口は堅く一文字に結ばれていた。本田はやれやれと小さくため息をつく。


「今の荒谷ちゃんを、新人の頃の遠藤に見習わせたいよ」

「え、逆じゃなくてっすか」


 本田は荒谷の方を見ず、自身の使用しているノートパソコン視線を落としたまま答える。


「そうだよー」


 老眼鏡の奥にある目は、画面の光の反射により荒谷からは伺うことができなかった。


「パイセンって昔どんなんだったんすか?!」


 荒谷は途端に悪戯っぽい顔になり、椅子を滑らせ本田の前に移動する。本田はにやりと口角を上げる。ベテラン刑事にかかれば、新人刑事のふさぎ込んだ気持ちを引き上げることも、造作ないことだった。


「昔のあいつは僕の言うことなんて、全く聞かなくてね。常に署内をひっかきまわしてたよ」

「想像できないっすね、あんな真面目の塊みたいなパイセンが」

「真面目だったからこそ、だよ」


 荒谷は首をかしげる。本田はノートパソコンを閉じ、老眼鏡を外し目を休める。


「あいつは市警を改革したくて、仙台署に来たんだ」


 本田の目は荒谷を見ていたが、どこか遠くを見ているようだった。


「遠藤はね、昔はかなりやんちゃしてたんだってさ」

「あの正義感の塊みたいなパイセンが?! ヤンキー?!」


 荒谷は目と口を大き開き驚愕する。俄かには信じられなかった。


「それはもう荒れてたとか。でも、あいつを気遣ってくれた高校の先生がいたらしくて、根気よく遠藤と接してくれたらしいんだ」

「ははーん! その先生の熱血指導であんないい警官を志したんすね」


 荒谷は指を鳴らす。が、本田は重々しく首を横に振った。


「その先生は強盗に殺されたんだ。奥さんと一緒に」


 空気が一瞬凍り付く。死の話題が多い署内でも、やはりこういった話に慣れることはない。


「当時、僕はその事件の担当でね。葬儀にも出たけど、忘れられないよ」


 本田は目を閉じ、椅子の背もたれに深くもたれかかる。


「残された兄妹がまだ小学生でね。妹の方はずっと泣いてたし、お兄ちゃんのほうは事態を飲み込めきれなくて、葬儀場のトイレで錯乱しててね。あの子たち叫びが、未だに頭を離れないよ」


 本田は再び目を開き荒谷を見る。その表情は先ほどの軽快なものと違って、見るからに不安と戸惑いが見て取れた。


「あいつは恩師を殺した犯人が逮捕されるのを願った。でも民営化されたり、力を入れられたのは犯罪組織の掃滅ばかりで、結局その強盗は見つからなかった」

「じゃあ、パイセンは犯人を捕まえるために?」


 本田はこれにも首を横に振る。


「違うよ。さっきも言った通り、あいつは市警の改革がしたくて来たんだ。自分と同じような目にあった人に、少しでも救いがあってほしいと、そう今でも願っているんだ」


 民営化後、それが余計酷くなったから、と本田は付け加える。だからあんなに仕事を抱え込んでいるのかと、荒谷が合点がいった。


「でも荒谷ちゃんの知っての通り、仙台では仕事をする刑事の方が出世しない。その現実を咀嚼するまでに、荒谷ちゃんくらいの時の遠藤はかなり苦労してたのさ」


 似たような苦労をさせたくない。上層部と現場と現実の間に横たわる矛盾に、荒谷を巻き込みたくなかったのだと、本田はそう荒谷に語り掛けた。


「そうしたいぐらい、荒谷ちゃんを刑事として買ってるのさ。かつての自分みたいな、正義感がある子だって」

「そうっすかね、自分不真面目っすよ」


 荒谷ははにかんで、手に持っていたペンを恥ずかしさを誤魔化すように回す。


「あーあ! 理想ばっか追う先輩をもつと大変だなぁー!」


 演技がかった声音で、荒谷は来た時と同じように椅子を滑らせ、自分のデスクの前に戻る。


「そんな先輩が戻った時、楽できるように仕事する私えらいっすねー!」

「うんうん、えらいえらい」


 自身の事務仕事に取り組み始める荒谷を、本田は穏やかな笑みを湛えてみていた。


 ◆


 礼人は平日の昼間にも関わらず、製作所ではなく一人、サンモール一番町商店街近くを、うつむきながら歩いていた。

 商店街入口では、どこかの市民団体の一団が『警察は即時公営化を!』という横断幕を広げ、拡声器で市警の怠慢と治安の悪化を人々に呼び掛けている。


『バカヤロー!』


 誰も聞いていない、やかましい拡声器の声をかき消すように、耳にこびりついている門馬の怒声が頭の中で響く。普段から温和な門馬だからこそ、印象に残りやすかったのかもしれない。

 今日の礼人は仕事でミスをした。正確に言えば、ここ数日ミスが重なっていたという方が正しい。そして今日、危うく工作機械で自分の指を吹き飛ばしかけたところを間一髪、門馬に助けられたのだ。門馬にはこっぴどく叱られ、けい子も三日前の莉桜からの安否確認もあり、彼に対しどう指導しようかと礼人を前に頭を悩ませていた。


「社長! 礼人くん、まだ使ってない半休があります!」


 助け船を出したのは、猪野江だった。礼人がここ一ヶ月、残業も含めて働き過ぎていること、少し休んでもらった方がいいというのを、けい子含め社員全員を説得し、礼人に午後から休めるよう調整したのだ。

 一人で街を歩きながら「ゆっくり休んでくださいね」と、普段の頼りなさげな雰囲気とは違った、頼りがいのある猪野江の姿を思い出し深くため息をつく。

 『フェイスマン』としても『蛮徒 礼人』としても、なにもかも中途半端な自分が心底嫌になってしまった。恐らく家に帰れば、莉桜にも心配されることだろう。それすら自分を苦しめるのだろうと、礼人は怖くなっていた。


「お、君は菊真さんとこの」


 どこかで聞いたことのある声が礼人を呼ぶ。礼人が顔を上げると、カジュアルなスーツ姿の見覚えのある人物がいた。


「遠藤さん……でしたか」

「覚えててくれたのか、ありがとう」


 生気をなくした礼人とは対照的に、遠藤は聞き込みの時とは打って変わって、くしゃっと人懐っこく笑った。


「ちょっと話さないか?」


 目の前に刑事がいることに気づかず、活動家たちは声高に警察再公営化を叫んでいた。

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