4-2


 蛮徒 礼人は飛び起き、周囲を確認する。

 そこは奇妙な空間だった。打ちっぱなしのコンクリートの壁の広い空間だ。

 壁際には殺風景なコンクリートとは対照的に、絵本の登場人物が着ているような、フリルや装飾が可愛らしいドレスが、トルソーにかけられいくつも並んでいた。部屋の壁の一面は、窓が部屋の端から端まで広がっており、その窓から見える電線で、そこが二階以上の建物であることが分かった。部屋の天井には四角い蛍光灯が4つばかり備え付けてあり、薄暗く部屋を照らしている。

 部屋の中心にはいくつもの作業机、作業台が置かれ、そのうちの一つにはミシンが置かれている。最近まで作業中だったのか近くには作りかけのドレスもあった。

 礼人の体は床にしかれたブルーシートの上に寝かせられていたらしく、かろうじて床の冷たさから礼人を守っていた。


 この奇妙な光景に、自分はまだ夢を見ているのではないかと、礼人は錯覚する。しかし、体が20歳の礼人の体そのものだったことと、襲撃で攻撃を受けた箇所がじんじんと痛むことで、この状況が夢でないことを礼人は理解できた。

 自分の体を見渡す。下はそのままだったが、上の服が脱がされている。打撲箇所には大小様々な湿布が貼られ、礼人の周囲を湿布特有の薬品臭さが覆っていた。礼人はこの段階で初めて、自分の頭からヘルメットが取られていることに気がづいた。


「ようやくお目覚めね、おまぬけヒーローさん」


 皮肉気な女性の声が聞こえた方へ、礼人は顔を上げた。そこにいた人物の容貌は、戸惑う礼人をさらに困惑させた。

 その女性は礼人より少し年上であろう年齢に見え、長い髪を明るめの金色に染めツインテールにしていた。顔は人形のように白っぽく、目元のメイクが際立っている。着ている服は、部屋の壁際に飾ってあるような服に形状は近いが、黒の面積が多く、各所に十字架を逆さにしたアクセサリーが散りばめられている。礼人はファッションに疎かったが、その女性の容貌がゴシックロリータ、ゴスロリという普段の街中であれば、あまり見ない類のファッションの形態だということは知っていた。彼女は事態が飲み込めていない礼人を立って見下ろしていたが、反応が返ってこないとみると、顔をずいっと礼人の顔面に近づける。


「もしもーし、聞こえてる? 助けてくれた恩人へのお礼の言葉とかないわけ?」


 目の前のゴスロリ服の女性からは、礼人を窮地から救い、逃がしてくれようとした女性と同じ声がした。礼人を助けたのは、自分と同じくらいか、それよりも目を引くような服を着た女性だったのだ。


「……ありがとう、ございます」


 近づけられた顔の迫力に、礼人は思わずかしこまる。


「はい、どういたしまして」


 感謝の言葉を聞くと、そのゴスロリ服の女性は礼人からあっさり離れた。


「ここはどこ? あなたは誰? たすけてママーって感じの間抜け面してるから、先に言っとくわよ」


 呆気にとられる礼人に、女性はカードを差し出す。受け取ってよく見ると、それはタロットカードを模した名刺だった。17という番号と星が描かれており、箔押しで『Amelia』と記してある。


「あたしはアメリア。一応ファッションデザイナーで、それ以外にもそれなりに手広くやってる。ここはあたしの工房」


 アメリアと名乗る女性は、自慢げに薄暗い部屋を披露する。確かに壁の殺風景さを差し引けば、そこは工房と言っても差し支えない空間だった。ただ、礼人の反応が想定より薄かったせいか、アメリアは露骨に不機嫌そうな表情をした。


「一応言っとくけど、本名じゃなくてアーティストネームだから。あんたの名前は?」


 礼人はしばし逡巡してからぽつりと答える。


「……フェイスマン」

「派手に頭打ったけど、うっかり本名言わないくらいには大丈夫みたいね」


 アメリアは満足そうに頷く。ころころ表情の変わる人だ、というのが礼人の第一印象だった。


「というかあんた、めっちゃボコボコにされてたじゃない。あんな分かりやすい罠だったのに」


 アメリアの言葉に礼人は首をかしげる。少なくとも礼人には『わかりやすい』襲撃ではなかった。アメリアはその様子を見て、うんざりと言わんばかりに天を仰いだ。


「あんたネットとか見ないの?! あいつら予告までしてたのよ?!」


 アメリアは過剰にデコレートされた自身のスマートフォンを取り出すと、画面を礼人の眼前に突きつける。そこには礼人をおびき寄せて視界を奪った小太りの男が映っていた。


<はーい! ばっちり準備してまーす! 警察の通報でフェイスマンくんは反応してるっぽいので、これからっ! トゥーホー、かけちゃいます!>


 甲高く耳に残る声が工房に響く。アメリアは不快そうに顔を歪め、素早く画面を消した。


「わかった? あんたがどうやって市警の通報拾ってるか知らないけど、手の内バレバレだったみたいよ」


 礼人は息をのんだ。自分の『贖罪』で相手にするのは、道を踏み外した市民か、仮に追うものが現れても市警や、かつての仙台でよく見られた、犯罪組織を密告する賞金稼ぎのような類の人物だと勝手に想定していた。

 しかし実際はサーカスの道化、それもとびっきり出来の悪い道化のような男に打倒されたのだ。まるで奈落に突き落とされたかのような感覚がした。


「まぁこいつらが馬鹿なおかげで、SNSのトレンドに乗ったのを見て、私も見に行けたんだけど」


 まさか自分が助けることになるなんて思わなかったけど、とアメリアは苦笑して付け加える。


「追っ手はどうした」


 礼人は何とか冷静さを取り戻そうと努め、現状の把握に努める。


「当然、撒いたわ。仙台に来て長いし、監視カメラのない道も把握してる」


 アメリアは自慢げに胸を張る。彼女が動くたびに、アクセサリーの逆十字が金属音を鳴らす。


「それにあたしこう見えても、商店街の人たちとは仲いいの。あいつらマジで迷惑だし、みんな快く逃げ道を作ってくれたわ」


 屋内を通った感触がしたのはそのせいか、と礼人は納得した。目の前の女性は印象的なファッションに負けないくらい、やり手のようだった。


「最後にあんたが電柱にぶつからなければ、完璧な逃走劇になったんだけど」


 アメリアは作業机に置かれた物をこつこつと叩く。それは礼人のもう一つの顔、フェイスマンのヘルメットだった。正面はスプレーによりショッキングピンクに染色され、電柱にぶつかった時に破損した正面ディスプレイは大きい隙間が空き、中が見えるようになっていた。側面や後頭部も武器で殴られたときにできたへこみや傷が、いくつもついている。


「ちなみに上の服もまっピンクになってたから。闇に紛れて動くなら、新しいの買った方がいいわよ」


 アメリアの淡々とした被害報告を礼人はなんとか飲み込む。

 完敗。その一言に尽きる。自分は『贖罪』に失敗したのだ。


「ところで気になったんだけど」


 アメリアは礼人の様子を気にしていない。


「あんた、なんでこんなダークナイトもどきみたいなことやってんの?」


 昔流行ったヒーロー映画を引き合いに出され、礼人はうつ向いた。


「……『贖罪』」

「それってあいつらの? それとも自分の?」


 アメリアは礼人を興味深そうに見ているが、礼人は彼女を見ることができないでいる。


「自分の贖罪だ」


 礼人の言葉を聞くと、アメリアは急に関心をなくし「あっそ」とそっけない返事だけを返す。機嫌を害したことだけは、はっきり礼人にも感じ取れた。


「アメリア……さんは、なんで俺のことを助けたんだ」


 礼人はうつむいたまま問いかける。


「呼び捨てでいいっての」


 その礼人の様子が、アメリアを余計にいらだたせた。


「理由は二つあるけど、一つはあんたの態度が気に入らないから教えない」


 そう言ってから、アメリアは作業机に置いてあった雑誌を一冊、礼人の方へ軽く投げた。そばに落ちたそれを、礼人は拾い上げる。アメリアが投げてよこしたのはファッション誌だった。厚さは雑誌というよりは、もはや冊子という薄さだったが、ページを開くとかなり個性的なファッションについての記事が多く目に留まった。礼人の目から見えても前衛的と感じるものが多い。


「それ、ホームレス支援のためのファッション誌なの。ホームレスの人たちに配って、それを路上で売ってもらって、収益をその人たちの生活費とか。社会復帰の資金にしてもらうの」


 礼人には馴染みのない話だった。自分が関わる要素はどこにもない気がする。礼人が状況に気づけていないことをアメリアは感じ取っていた。


「あんた先月、西公園でホームレスのお爺ちゃん助けたでしょ」


 覚えている。遠藤、荒谷刑事に遭遇した夜だった。


「このファッション誌、もうこの辺りだとあのお爺ちゃんしか売ってないの」


 ほとほと困ったとアメリアは肩を落とす。


「だからあんたを助けたの。せめてもの恩返しにね。あのお爺ちゃんも感謝してたわ。お礼がその時言えなくて、申し訳なかったって」


 礼人は声を震わせた。


「……そんなことで」


 アメリアが怪訝な表情を浮かべ礼人を見つめる。


「そんなことで、あんな危険な真似をしたのか」


 アメリアはその言葉を聞くと、容赦なく座り込んでいる礼人の肩目掛け、蹴りを見舞った。


「っ! 何する!」


 痛みで歪んだ礼人の顔を、アメリアは冷たく見下ろす。


「人の大切な楽しみを『そんなこと』って言ったあんたが悪い」


 彼女は礼人の手からファッション誌を素早く奪い返した。不潔なものを払うように、礼人が持っていた部分を手で払う。


「で、次はどうするの?」

「次?」

「あいつらよ。あんたを襲った『アキモノ』とかいうクソ野郎。どうやって反撃する気?」


 一瞬の静寂が訪れる。


「しない」

「は?」


 礼人の言葉が信じられなかったのか、アメリアの目が見開かれる。


「反撃は、しない」


 礼人からしてみれば当然の帰結だった。罪人の自分が生きてていい理由は、弱者を守るため、そしてこの街に力を還元するという贖罪のためだ。それが出来なかった。目的を達せなくなった『クソ』は消えるべきだと、礼人は確信しており、素顔を見られても取り乱しはしなかった。


「はぁぁぁぁ?!」


 アメリアは礼人の髪の毛を掴み強引に引き上げる。痛みで思わず立ち上がった礼人の眼前に、アメリアの顔が息がかかるくらいの近さで迫る。


「なに寝ぼけたこと言ってんの?! 一回負けたくらいで男がへこんでじゃないわよ!」


 その剣幕は礼人が遭遇したどの犯罪者、いやどんな人間よりも迫力があった。


「俺は『贖罪』に失敗した。俺はもうこの街にいるべきじゃない」

「あんたの言うその『贖罪』なんてこっちは知ったこっちゃないって言ってんのよ!」


 髪の毛から手は離されたが、礼人の体は突き飛ばされ、固い床に尻もちをつく。


「あんたがネットもろくに見ないボンクラだから教えてあげる」


 彼女は大演説家かのように手を広げる。


「あのデブは、カメラっていう武器をちらつかせて、反論できないお店の人や街の人を虐げる、最低最悪のファッキンクソ野郎よ」


 力が入り、アメリアが手にもったファッション誌がくしゃりと音を立てる。


「あいつの嫌がらせが怖くて、仕事に行けなくなっちゃった子も知ってる。青森から来てた良い子だったのに、イントネーションを馬鹿にされて、滅茶苦茶傷ついてた!」


 ヒートアップするアメリアの目には涙すら浮かんでいた。彼女は誰かのために怒れる良い人なのだと、自分とは違う善良な人間なのだと礼人は悟った。


「でも市警はなにもしてくれなかった。『実害は出てないから、民事は不介入だから』って!」


 その反応は日々市警の無線を傍受している礼人には、聞きなれてしまった文言だった。


「この街であんたくらいよ、誰かのために戦ってるのは」


 そんなことはない、と礼人は返そうとするが突如投げられた黒い布で遮られる。それはフェイスマンとして着ていた黒の作業着だった。首元の部分がピンクに染まっている。アメリアは背を向け表情を隠す。


「もう帰って。とんだ期待外れだったわ」


 ◆


 礼人は作業着を裏返しに着て、工房から出る。そこがクリスロード商店街の裏手にあたる、アパレル店が並ぶ通りであることがすぐ分かった。仙台でも最も活気のあるアーケードのすぐそばにある通りは、アーケードの中の安心感のある商店とは対照的に、個性を押し出した店が立ち並ぶ。海外のマイナーブランドの取扱店、まるでスポーツカーでも展示するかのように大仰にショーウィンドーにスニーカーを飾る店舗。潰れた車を看板代わりにしている店すらある。アメリアの工房もその並びの中の、アパレル店が複数入るテナントの二階にあった。

 礼人は腰に装着していたポーチからスマートフォンを取り出す。襲撃時の衝撃で画面は見るも無残に割れていたが、電源は入りかろうじて操作できた。

 画面がついたときに見えたのは、現在時刻が午前2時という表示と、不在着信16件という通知だった。着信はすべて妹の莉桜からだった。礼人が折り返すか迷っている間に、莉桜から着信が入る。礼人は深呼吸して、応答ボタンをタップする。


「おにいじゃん! いばどごでずがぁ!」


 通話を開始してすぐ、スマートフォンから莉桜の嗚咽の混ざった声が聞こえてきた。泣いているときの声が10年前と何ら変わりない。礼人はそれに安心感を覚えるが、同時に妹を不安にさせたことに心苦しさも感じた。


「ごめん、酔って転んで、ちょっと救急病院まで行ってて」

「じんばいじたんでずよぉ! けいごおばざんも、じらないっていうし! しょくばのひとともいっじょにいないっていうしぃ!」


 嘘がばれた。額に玉のような汗が浮かぶ。


「……んっく、フェイスマンがまぢでおぞわれだっで……けがでも……まぎごまれてけがでもしたんじゃないがっでぇ!」


 莉桜は兄を疑いはせず、純粋に心配しているようだった。


「今日は一人になりたくて、そうしたら悪酔いしちゃったんだ。フェイスマンが出たのも今知ったよ」


 自分の口から平然と吐かれる嘘に眩暈がしてくる。


「ずびっ……早く帰ってきてください」

「すぐ帰るよ。先に寝てて」


 最後にもう一度謝罪の言葉を伝え、電話を切る。そこではじめて、アメリアの工房にフェイスマンのヘルメットを忘れてきたことに気が付いた。


「……どうでも、いいか」


 贖罪する力のない者には、あの何もないのっぺらぼうの顔ですら相応しくない。

 礼人はアメリアの工房を一瞥し、逃げるように目をそらし、深夜にもかかわらず関わらず煌々と煌めくショーウィンドーに照らされながら家路についた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る