3-5
遠藤たちの元に光延が現れた同日19時。礼人はアジトのキャンピングカーで受信機の前に座っていた。
昨日、自身で考えていた通り、荘田や門馬を誘って飲みに行くのではなく『贖罪』を行うことにしたのだ。
危険と知りつつも、贖罪を、暴力を振るうことを優先する自分。もはや自分は『贖罪』などどうでもよく、ただ暴力を振るうことを目的に動いてるだけでないかと、最近は自問自答する時間が多くなっていた。
『この街を頼んだぞ』
百貨店の屋上で言われた師の声が、頭の中で反響する。彼女は一体なぜ自分のような落伍者にそんな言葉を託したのか、礼人はいまだに理解できていないでいた。他に適任が、優れた人格の持ち主に託すべき力と目的ではなかったのかと。自分はあの日、やはり殺されるべきだったと。
<OPより一番町四丁目アーケード付近のPCへ、××付近での暴行事件が発生。対応願います>
礼人の意志が死に傾きかけたとき、受信機が通報を付近のパトカーに知らせる警察無線を捉える。各パトカーが出動を渋る応答も一緒に聞こえてくる。
<PC23からOPへ。どうせ例のボンボンだろほっとけよ>
<OPからPC23へ。一応規定ですので……>
市警が行き渋るのであれば、フェイスの出番になる。通報を聞いた礼人は、先程までの思考を頭の隅に追いやり、フェイスマンになるための装備を身に着け始める。もはや本当の自分がどこにあるかさえも、礼人自身あやふやだったが、体は製作所にある工作機械のように、極めて機械的に動いていた。
ヘルメットを被り、自分の顔を消してしまうと、より一層自身の心が、奥底に追いやられるのを感じた。
人間としての礼人の心が仮死し、贖罪者の『フェイスマン』が覚醒する時間だった。
◆
礼人が通報のあった現場に近づくと、怒声が聞こえてきた。
一番町四丁目アーケードは、仙台駅から続くアーケードの勾当台公園側の最端部にあたる。菊間製作所や大学方面へ続く方角のアーケードと違い、四丁目は完全な屋根付きアーケードではなく、店の軒先のみに屋根がある地区だ。そのため、屋根伝いに移動する礼人にとって、攻撃を仕掛ける前の偵察がしやすい箇所だった。
礼人は夜の闇に紛れながら、薬局の入るビルの非常階段に身を潜め、成り行きを見守る。
二人の若い男性が、地面で蹲っている小太りの男性を足で踏みつけている。酔ったうえでの凶行か、何かのトラブルかは不明だが、礼人一人で十分対応できるレベルだ。
礼人は非常階段から体を滑らせ、アーケードの屋根から、音もなく暴行犯二人の目の前に飛び降りた。暴行犯たちの前に、顔のない姿になった礼人――フェイスマンがが立ちはだかる。
「やべっ、ほんとに来た!」
「退却、退却!」
暴行犯二人は、フェイスマンの姿を認めると、屋根付きのぶらんどーむ商店街方面へと逃げ出す。明るい場所であれば、フェイスマンの不気味な容貌も暗闇よりは恐怖感は薄れてしまう。それでも、二人は逃げ出すことにしたようだ。
逃げる方向が分かっているのは追跡は容易だ。礼人は追跡術もかつて師匠から学んでおり、アーケード付近にいるのであれば、追跡対象を逃がすことはない。
「立て、もう行った」
礼人はうずくまっている男性に手を差し伸べる。が、うずくまっていた小太りの男性は、顔を少し上げ、フェイスマンを見てにたりと笑った。
「アキモノビーム!!」
男性が叫ぶと、礼人の視界がピンクに染まる。カラースプレーをヘルメットに吹きかけられたのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。二つあるカメラのレンズの殆どが塗料に覆われ、視界がほとんど確保できなくなる。
「みんな! いまだぁっ!」
先ほど助けたはずの男性が、何者かに号令をかける。礼人はすぐ小太りの男性を掴もうとするが、その手は空を掴む。状況を把握しようと試みるが、それは後頭部への打撃で中断された。後ろから角材のようなもので殴りつけられたらしい。礼人の意識が一瞬消えかけるが、歯を食いしばり意識を繋ぎとめる。
「正面は俺が抑える! みんなは周りから!」
すぐさま四方から同じような衝撃が、礼人の体を襲う。声と足音、衝撃の頻度から少なくとも六人に取り囲まれていることが分かった。中には礼人の腕を掴み拘束を試みる存在も感じたが、力づくで払いのける。視覚のない中、多人数に拘束されたが最後、決定的な敗北が待つ。
(考えろ。どうやって打破する、考えろ!)
礼人はダメージが体に蓄積する中、打開策を考えるが何も思い浮かばない。徐々に活動が鈍る脳裏に浮かんだのは、この謎の集団に敗北し、素顔を惨めに晒す自分と、かつて殺した野良犬の死体だった。
礼人は浮かんだ走馬灯を、罰として受け入れる。あの時の報いが今ようやく、自らの身に降りかかったのだと。怪物たる自分は、人間の真似事をしていた自分は、ようやく死ぬのだと悟った。しかし、礼人が意識を手放そうとしたとき、気の強そうな、それでしっかりと芯のある女性の声が、礼人の意識を引き上げた。
「フェイスマン! こっちにきて!」
襲撃者たちの怒号に紛れていたが、確かに聞こえた。
礼人を襲う集団からかなり離れた位置から聞こえる。礼人の最後の記憶では、国分町とは反対の、昔からの飲み屋街に続く路地から聞こえたはずだ。
この呼びかけも、この集団の罠かもしれない。だが、現状のままでも負けることには変わりない。礼人は一瞬しゃがみこみ、足に括り付けてある『禁じ手』を手に取る。
「こいつナイフもってるぞ!」
礼人が取り出したのは包丁だった。100円ショップで売っている、どこにでもあるようなありふれた包丁。かつて師から使用を禁じられた、刃物。
無論、ルールを破るために使うのではない。よほど訓練された人間でなければ、刃物が目の前に来れば、本能的にその危険物から遠ざかろうとする。礼人が包丁をあたりに振りかざした時も例外ではなかった。集団の動きが、一瞬、ほんの一瞬だけ止まり、礼人から離れる。
礼人はその隙を逃さず、自分を呼んだ声のした方へ走り出す。誰かが行く手を阻もうとする気配がするが、刃物による死傷を恐れるからか、その妨害は頼りなく、礼人の突進で吹き飛ばされた。
走っていた礼人の、包丁を持っていない方の服の裾を、誰かが掴んだ。
「全力で走るから! 転ばないで!」
先程、礼人を、フェイスマンを呼び掛けたのと同じ女性の声が叫ぶ。その声と服越しに伝わる感触に、礼人は敵意を感じなかった。礼人が返事をする間もなく、その女性(と思しき何者か)は礼人の腕を掴み直すと、礼人の手を引き走り出した。後方から二人を追う襲撃者たちの怒号が聞こえるが、手を引く女性の進み方には迷いがない。礼人は包丁を捨て、躓きそうになりながら、数メートル置きに何かにぶつかりながらも、必死に追従する。
「そろそろ大きい車道に出る! 気合入れてついてきて!」
女性の声がそう発したかと思うと、急に自身の右側からクラクションが立て続けに流され続ける。赤信号の大通りを強引に横断していることは、視界が塞がっていても、よく分かった。右側から聞こえてきたクラクションが今度は左側から聞こえると、追っ手の声は先程までと比べ、かなり遠くなっていた。
「ここで完璧に撒くわよ!」
空気の味が変わる。恐らく屋内に入った。女性は自分でない誰かに「ごめん! 通して!」とか「そう、こいつ! 今助けてる!」と呼び掛けている。どこかの商店のバックヤードでも通っているのだろうか、埃っぽい味が口の中に広がったと思うと、再び外の空気がマスクの中に入ってくる。
「もうすぐ着く! 頑張って!」
女性の声がそう聞こえたとき、礼人は何かに顔面からぶつかった。ヘルメット前面のディスプレイが割れ、刹那、外の様子が垣間見えたが、それは直ぐに街の明かりを反射して薄赤色になった、夜の空の雲になる。礼人は倒れていたのだ。
「おい! 起きろご当地ヒーロー! 見つかるっての!」
女性の呼び掛ける声と、自分の肩を揺らす柔らかい手の感触を感じる。だが徐々にその声も感触も感じなくなり、礼人は完全に意識を手放した。
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