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「ふざけないでください! あいつを今すぐ署からつまみ出します!」


 遠藤は中年太りしている『とくべつ課』の総責任者、佐野上さのうえ課長のデスクに拳を叩きつける。遠藤は対面する佐野上に鬼のような形相で迫るが、佐野上は爪の間のゴミを取りながら、遠藤の言葉に飽き飽きしていることを隠そうともせず、ねちっこく返す。


「だらかね、遠藤くん。あの子は、光延くんはここにいても問題ないんだって」

「それはあいつが、仙台署の上層部と懇意にしている、議員のドラ息子だからですか」


 佐野上は遠藤の問い詰めに、苦虫を嚙みつぶしたような顔で遠藤をにらみ返し、無言で肯定した。

 開戸あきと 光延こうえん。それが捜査本部の乱入者の、アキモノと名乗った青年の本名だった。

 年齢21歳、現在市内の大学に在籍する傍ら、動画投稿者として巷を騒がしている人物だった。数多くの騒ぎに対して、彼が警察の世話になった回数は皆無に等しい。理由は遠藤が佐野上課長に言った通りだった。タダでさえ怠慢が横行している市警で、誰も大物の息子によるトラブルに巻き込まれようとはしない。署内の上層部もそれを黙認している始末だ。

 その光延が、仙台署に乗り込んできた。『市警の怠慢を世に広めるため』という名目で、署内の映像を動画サイトにアップするつもりだと、遠藤たちに大胆不敵に申告している。


「到底容認できません。ここは法治国家の根幹ですよ」


 トーンは抑えたが、それでも遠藤の怒気が消えることはない。


「いいじゃない。本人も、捜査資料とか個人情報は見れないように、モザイクかけるって言ってるし」


(それでも警官か、保身にしか目にないタヌキ親父が)


 遠藤は口先まで出かかった言葉をなんとか飲み込む。


「それに」


 だが佐野上は遠藤の飲み込んだ言葉などつゆ知らず、遠藤の最も聞きたくない言葉を投げかける。


「気を張ったってしょうがないよ、ここは『仙台』だよ?」


 地方都市の小さな管轄の話だから。

 出世に有利にならない事だから。

 この現状を変えられるわけがないから。


 それは市警で何度も聞かされた、諦めの言葉の集積そのものだった。


 ◆


 遠藤がとくべつ課から捜査本部に戻ると、本田と荒谷に付き添われ、というよりは監視され待っていた光延が人をイラつかせる笑みを浮かべて迎えた。

捜査本部内に他の捜査員はいない。光延の闖入とその存在により、捜査員たちのプライバシーとモチベーションを守るため、本田が本日は解散としたのだ。

 本田は荒谷も一旦場から離れさせようとしたが、荒谷本人の希望で監視の任に残ることになった。


「遠藤刑事ぃ~! おつかれさまでぇっす!」


 椅子に座ったまま、余裕の様子を見せる光延を見下ろし、遠藤は凄む。


「クソボンボン、お前がどこで何しようと勝手だが、ここでは好き勝手させねぇぞ」

「でも何もできなかったから、いまそうやって頑張ってビビらせようとしてるんでしょっ」


 小馬鹿にした口調にイラつかされ、遠藤の堪忍袋の緒は限界を迎えかける。その両手は固く握りこまれ、今にも光延に殴りかかりそうだった。

 しかし光延にとってか、遠藤にとってかは捉え方によって変わるが、幸運にもそうはならなかった。本田が二人の間に入ったのだ。本田は片膝をついて、座っている光延より視線を低くして優しく光延に語り掛ける。


「君が市警について、深刻に考えているのはよく伝わったよ。私たちも善処したいと、常日頃考えている」


 本田の語り掛けは、まるで小学生か幼稚園児に話すようであった。子供じみて本田から顔をそらす光延の態度も、幼稚園児のようなものだったが。


「おっさんの言うこと聞きたくありませーん。美人なお姉さんならいいんだけどぉ」


 光延の視線は荒谷に向けられる。荒谷は光延の方を全く見ないし、返事もしない。この手の輩に効果があるのは『構ってもらえないこと』であることを、荒谷はよく知っていた。


「彼女も仕事があるんだ。今日のところはお引き取り願えないかな? おじさんだけど、時間ができ次第、私が可能な限り署内を案内するから」


 本田は無下に扱われていても、対応を変えない。子供じみた犯罪者の相手はベテランたる本田には、苦のないことだった。


「はーい、今日はおっさんがうるさいので、帰りまーっす」


 光延は立ち上がると、三人の刑事の間を醜悪なジェスチャを交えながら通り抜け、その場を後にしようとした。


「待てボンボン」


 遠藤は光延の方を見ずに呼び止める。


「お前、これから何やらかすつもりだ」


 遠藤の唐突な追及に、光延は足を止め振り返り、遠藤の背中を嬉しそうに見る。


「すっげー! 刑事さん俺の考えわかるの? すごっ、なんで分かったの?」

「刑事の勘だ」


 嘘だ。

光延は誰が見ても害悪そのものだ。だが動画投稿者として一定以上のPVを稼ぎ、その地位を得ているのであれば、決して馬鹿ではない。意味のない行動に時間を費やせるほど、現代の若者は暇ではない。この理論を今の光延に当てはめるのであれば、考えうる答えの選択肢は少なくなる。

 光延の目的は『市警に赴き、そして何の収穫もなく帰ること』だ。市警から生きて帰ってくるだけで、彼の目的は達せられているのだ。遠藤が佐野上課長へ抗議に向かう前に、無理やり光延のスマートフォンを取り上げ、録画された動画を削除させた時に、さして抵抗されなかった事も遠藤の推察を確かなものにした。

 動画がないのであれば、作らなければならない。恐らく今回の事をネタにしたものではあるだろうが。

最も、今の遠藤にそれを光延に説明してやる気は毛頭なく、釘を刺そうとしただけだが、効果がないことは明白だった。


「マジモンの刑事の勘やっべー!」


 光延は醜悪な形の虫がそうするように、手をばたつかせ興奮する。


「じゃあマジモンの刑事の勘に敬意を表して、これからやること予告しちゃいまーす!」


 その場に遠藤ら三人の刑事しかいないにも関わらず、光延は演技がかった声で叫び、右手人差し指を天に向ける。


「俺が市警に代わって、フェイスマンを逮捕します!」


 市警の無能さを身をもって体験し、その後自分が市警の代わりになることをアピールする。PV稼ぎにはもってこいの内容だ。

 遠藤は光延の突飛な言葉に意表を突かれ、思わず光延の方を振り返った。

 遠藤の目に映った光延の姿は、先刻と全く変わっていない。不快感の塊のような男だった。しかし、その顔に不敵な笑みを浮かべ、さっきまでのおふざけを感じさせることはなかった。


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