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「お、お兄ちゃん。私プチトマトは苦手なんですが……」


 莉桜が食卓に並んだ料理を見て、顔を曇らせる。叔母であるけい子は忙しく、基本的に子供たちの食育には甘かったが、礼人と莉桜が二人暮らしをするようになってからは、莉桜の嫌いなメニューも食卓に並ぶようになった。プチトマト入りのサラダもその一つだ。


「口の中でぐじゅぐじゅになるの、本当ダメなんですよぉ」

「付き合いで行く居酒屋で食えないと恥ずかしいぞ、今のうちに慣れておくんだ。代わりに莉桜の好きなおかずにしたから」


 食卓の上にはサラダ以外に莉桜の好きなグラタン、コンソメスープが並ぶ。グラタンは出来合いのソースを使ったが、莉桜の好きなチーズを多めに入れてある。


「うぅ、グラタンがあるなら、プラスマイナスで言えば若干プラスですね……いただきます」


 莉桜は苦手なプチトマトから口をつけ始める。なるべく味合わずに食べようと、あまり口を動かさずに飲み込んでいる。妹の様子を心配しつつも、微笑ましく一瞥したあと礼人はテレビを付ける。

 地方ニュースはいくつかの報道のあと、フェイスマンについて報じている。謎の自警者が現れたことに、市民の反応は様々だ。


『危険な存在だ』

『助けてもらった人を知っている。きっと街の未来を憂ういい人だ』

『どうでもいいけど、屋根の上に上るのはやめた方がいい』


 といった具合だ。だが、報道は徐々に市警への不満についてシフトしていく。


『あんな危険な存在を放っておくなんて、今の市警はどうかしてる』

『善意の市民が戦わなければいけないほど、市警は仕事をしていないのか』

『フェイスマンは良いけど、街の監視カメラを増やしてほしいよね』


 礼人は心の中で叫ぶ。違う、悪いのは市警ではないと。

 彼の脳裏に、事務所に訪ねてきた二人の刑事の姿と、自分の醜い顔が交互に浮かぶ。責められるのは文句を言われながらも、聞き込みを続け地道に働く彼らではない。害意をもって他者に暴力を振るっている、罪人である自分こそが責めを負うべきなのだと。


「お兄ちゃん、大丈夫ですか。怖い顔してましたよ」


 妹の声でハッとする。よほど険しい顔をしていたのか、莉桜は心配そうにこちらの目をのぞき込んでいる。


「……ああ、大丈夫。暗いニュースしかやってなくて、嫌になっちゃったんだ」


 テレビを消して莉桜のほうに向きなおる。


「莉桜はなに見てたの」

「ああ、これですか。くだらないんですけど……」


 礼人と莉桜はお互い若いこともあり、食事中のスマートフォン操作に関してお互い言うことはなかった。どちらかというと礼人が操作している時のほうが多いのだが、今日は珍しく莉桜がスマートフォンの画面を見ていた。莉桜のスマートフォンには、耳障りな甲高い声で喋る男が映っている。


『はーい! ハローアキアキ! アキモノチャンネルへようこそー! 今日は一番町にできたばかりの、こちらのスイーツ店に来てみましたー!』


「……なんだこれ」


 内容の意味不明さに、思わず口に出た。


「私もそう思ってます、お兄ちゃん」


 莉桜が言うには『迷惑系動画配信者』というものらしい。地域の店や企業に『突撃』し、無茶ぶりをしてPVを稼ぐ。そんな連中がいるらしい。


「学校の友人が勧めてきたので、話題作りのため見てみたのですが、良さが全く分からんのです」


 動画の中の男は、他の仲間と思しき連中と一緒にスイーツ店のケーキについていちゃもんをつけている。


『ずんだケーキってほんとにずんだを使ってるんですか』

だとか

『虫を着色料に使ってるんですか』といった具合だ。店員と店の内装にはモザイクがかかっているが、仙台の街中を日常的に歩く人であれば、どこかすぐわかる程度のモザイクだ。


「不快なものを見せてすいません、お兄ちゃん。こんなものを見て喜んでいる友達とは、付き合いを考えなくてはいけませんね」


 莉桜はスマートフォンの画面を消して、テーブルの端に置いた。


「ところでお兄ちゃん、明日はせっかくですし、職場の人たちと飲んできてはどうですか?」


 莉桜は微妙なった食卓の雰囲気を変えるべく、兄に提案した。


「お兄ちゃん、さっきもお疲れな感じでしたし、お酒でも飲んでリフレッシュしてきてくださいよ。おっと! 綺麗なお姉さんがいる店に行っても妹は引きませんからご安心を! 夕飯も自分で用意しますゆえ!」

「明日も莉桜の好きなメニューにしたいだけだろ」


 礼人の指摘に、莉桜は図星だったようで、うっと言葉を一瞬詰まらせてから、慌てて取り繕う。


「とにかく今のお兄ちゃんにはリフレッシュが必要です! どうぞ妹のことはお気になさらず!」


 莉桜は気丈に振舞うが、礼人の心は晴れなかった。製作所の同僚を自分から飲みに誘ったことはない。誘われれば行くが、そういった日以外は『贖罪』の方を優先するからだ。恐らく明日もそうなるだろう。

 礼人は先ほどまで、妹のスマートフォンでやかましくしていた動画投稿者を思い出す。

 いるだけで店に迷惑をかける先ほどの男と、暴力を振るわずにはいられない自分。それほど違いはないように感じた。


 ◆


 翌日、遠藤は仙台署の一室に設けられた『フェイスマン特別捜索本部』に集まった十数人の刑事たちを見渡した。その中には本田の姿も見える。


「知っての通り、皆さんには仙台市内で自警活動を行う捜査対象、通称『フェイスマン』の確保に動くべく集まっていただきました」


 遠藤は設置されたホワイトボードの前に立つ。ホワイトボードには仙台市の中心街の地図と、まとめられたフェイスマンの情報が列挙されている。聞き取りの際に使ったフェイスマンの写真や、荒谷の絵も掲示している。


「荒谷、頼む」

「あいあいっす!」


 遠藤からの指示で、荒谷は手に持ったマーカーで設置されたホワイトボードに張られた地図に点を打っていく。

 西公園、片平、定禅寺通り、勾当台公園、一番町アーケード商店街……これらのマーキング地点は、ここ一ヶ月でのフェイスマンが目撃された場所、及び自警活動を行った地点だ。


「フェイスマンは見ての通りこの近辺でのみ、自警活動を行っています。そのため、エリアを絞り込んで私服警官による警戒を行い、フェイスマンへの警戒、姿を現した場合は確保を目指します」


 遠藤は捜査員たち一人一人を改めて見直す。誰も遠藤に意を挟まない。地道な捜査になることに誰も文句を言わない。それだけでも、理想と現実の違いに苦しむ遠藤の目頭を熱くするには十分だった。


「では、各員の持ち場とローテーションを……」


 遠藤が各捜査員に具体的な指示を出そうとしたところ、捜査本部のドアが騒がしく開かれたことによりそれは中断された。


「みなさーん! ここがあの『フェイスマン』を追う刑事さんたちのようでぇっす!」


 捜査本部内の全員が開かれたドアの方を見て、そして絶句した。

 ドアには小太りの青年が、先にスマートフォンを取り付けた自撮り棒を持っており、捜査本部内の様子を撮影している。髪の毛はアニメキャラのようにオレンジ色に染め上げられており、顔に対して小さい目により、バランスの悪い漫画のキャラクターの印象を与えた。趣味の悪いデザインの、体のサイズに合っていないシャツがその印象をより強める。

その場にいる全員がその闖入者を、警官ではないと判断するのにそう時間はかからなかったが、あまりの突飛さに遠藤がゆっくりと口を開くまで、誰も何も言えなかった。


「君は……なに……なんなんだ?」


 困惑する遠藤の様子を見たオレンジ髪の青年は、不快な笑みを浮かべながら捜査本部内を我が物顔で横断し、遠藤にスマートフォンを向けながら近づく。


「おおっとー! あなたが責任者ぽいですねぇ!」


 青年は腹をかきながら遠藤ににじり寄る。


「フェイスマンの捜査が進まないことについてどうお考えですかぁ? 市民の安全を守る立場の警察官として、恥ずかしくないんですかぁ?」


 青年はまるで悪質な記者のように挑発気味に遠藤に詰め寄ろうとしたが、荒谷が二人の間に入り、青年の行く手を阻む。


「いや、なに捜査中の会議の様子撮ってんすか。スマホ、没収」


 荒谷が普段は見せない剣幕で青年に迫る。その表情はベテラン刑事顔負けの迫力があった。しかし青年は意に介さず、煽り立てるように甲高い声で煽り立てる。


「あああぁぁ! 民営化によって横暴化した公権力が、アキモノの自由を奪おうとしてまーっす!」

「なめくさってんじゃねぇっすよ、クソガキ」


 荒谷の口調が崩れる。だが、それすら青年には脅しになっていない。


「あ、お姉さん怒った顔かわいー! うちのチャンネルのイメージガールになってよー!」


 あまりにとぼけた青年の態度に、荒谷は不快感を顔いっぱいに広げて、まるで台所に現れたゴキブリにそうするように、思わず青年から遠ざかるように後ずさる。


「アキモノは世の不正と戦います! 自由のために戦うアキモノチャンネルのために、高評価とチャンネル登録をお願いしまーっす!」

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