3-2


 遠藤が仙台署に戻ったのは午後17時を過ぎてからだった。

菊間製作所の後も、市内の町工場を何か所か回ったが、聞き込みを拒否されるか、菊真製作所で聞いたことと、ほぼ同じ内容――取り扱っていない、個人発注の部品はあるが該当するものはないという情報しか得ることができなかった。

  ヘルメット以外にも、コスチュームで割り出すことも考えたが、それこそ購入者が星の数ほどいるので特定は不可能だった。


「パイセーン、収穫ゼロでしたねぇ」


 仙台署のロビーに入ったとたん、荒谷は恨みがましく遠藤を見て、今日の徒労を責める。だが遠藤に言わせればそれは間違いだ。


「違う。収穫がなかったのが収穫だ」


 遠藤の言葉に荒谷は、はぁ? とでも言いたげな顔を向けたが、遠藤が口を開く前に、助け舟が出た。


「収穫がないときは、無数にある選択肢を減らせたと考えるべし」


 遠藤と荒谷の背後から、渋い男性の声が聞こえる。遠藤たちが振り返るとそこにいたのは、白髪が目立つ髪の、使い込まれた上着を着た50代半ばの男性だった。遠藤はその姿を認めると、向き直ってすぐさま頭を下げた。


「本田さん、お疲れ様です」


 男性の名前は本田ほんだ しん。仙台署『とくべつ課』所属のクラスB+刑事で、民営化前から在籍する、数少ないベテラン刑事だ。新人時代の遠藤に、捜査のノウハウを叩きこんだ人物でもある。温和な人柄で、署内でも彼を『ポンさん』と愛称で呼び慕う刑事多い。荒谷もその一人だった。


「ポンさーん! 聞いてくださいよぉ! 先輩朝っぱらから今まで、外回りに連れ出したんすよぉ」


 荒谷はすぐさま本田に駆け寄って、本田の高い背丈に抱き着く。荒谷の失礼極まりない行動に遠藤は無理やり引き離そうとしたが、本田はやんわりと荒谷を引き離し、遠藤も無言で諫めると二人の後輩を優しく労う。


「どれどれ、じゃあこのロートルに、コーヒーでも飲みながら二人の頑張りを教えてくれ。少し遅いけど、おやつも奢ろうじゃないか」


 ◆


「それじゃあやっぱり、西公園付近の徹底的な見回り、張り込みが妥当かな」


 署内の食堂でコーヒーを飲みながら、遠藤が集めてきた情報を聞いた本田はそう結論づけた。遠藤も同じ結論に至っており、同意するように頷く。


「はい、やはり人員を確保して西公園から国分町、一番町アーケード付近まで広く警戒して確保するのが最善と考えます」


 装備から容疑者を特定できない以上、人海戦術で確保する他ない。問題は現在のたるみきった市警では、その人員を確保するのが一苦労なのだが、遠藤は既に根回しを済ませていた。


「聞いたよ。『フェイスマン特別捜索本部』の設置と、その主任やるって」


 本田の言葉に遠藤は続けて頷く。メディアがフェイスマンを騒ぎ立てるため、流石に市警も対応策を打ち出した、というよりは『打ち出しましたよ』という姿勢をアピールをすべく、捜査本部の設置を決めた。遠藤はその捜査本部の捜査主任の立場に、わずかなコネと嘆願でどうにか収まることができた。


「はい、各部署からも人を回してもらって徹底的にやります。明日から稼働させますが、本田さんも抱えている案件に余裕があれば、参加していただきたいんです」


 遠藤の言葉に、今まで黙って本田に買ってもらったチョコレートケーキを貪っていた荒谷が反応する。


「え! ポンさんも参加してくれるんすか! やったぁ! ポンさん、自分ポンさんとバディ組みたかったんす!」

「お前が本田さんとバディ組むのは100年早い」


 逸る荒谷を抑える遠藤を見て、本田は調子を変えず落ち着いて答える。


「もちろん。ロートルだけど、可愛い後輩にこき使われるなら本望だ」


 本田の返答に遠藤はひとまずほっとするが、すぐに不安が頭をよぎった。


「問題は奴が現れるか、ですが」


 先月に遠藤たちがフェイスマンと遭遇してから、フェイスマンは仙台市内での自警活動を連日続けていた。市警が検挙する人数より多く犯罪者に制裁を加える夜すらあった。

 しかし、ここ一週間でフェイスマンの活動がぱったりと途絶えた。フェイスマンの活動初期の段階で人員を展開できていれば、今頃フェイスマンを確保できていたかもしれなかったのだが、事なかれ主義の上層部が渋ったせいで、それは叶わなかった。逆に人員が確保できる目途が立つと、彼は街に現れなくなった。まるでこちらの行動を読み、危険を回避しているようだった。


「もう現れないっすかね、あのクソ野郎」


 荒谷は回復した指をさすり、若干怒気のこもった声を遠藤に投げかけるが、遠藤は首を振って否定する。


「いや、必ずまた現れるはずだ」


 本田は眉を吊り上げ、遠藤を試す。


「なんでそう思うんだ、遠藤」

「やつと初めて会ったとき、やつは自らの行いを『贖罪』と言いました。贖罪という行動は、誰かが、その者を許すことで初めて終わります」


 本田はコーヒーを飲みながら無言で遠藤に続きを促す。


「フェイスマンを裁ける存在がいたとして、こんな常軌を逸した犯行を画策したやつが、中途半端なところでやめさせるとも思いません。フェイスマンがくたばるまで続けさせるでしょう」


 本田は優しく微笑み、遠藤を讃える。


「奴が単独犯でなければ、という部分は抜けてるが良い推理だと思う。いい刑事になったな、遠藤」


 かつての師のお褒めの言葉に、遠藤は嬉しさと、少しの恥ずかしさを覚えうつ向いた。


「あ、先輩照れてるっすね、可愛い~」

「黙れ荒谷。でも正直さっぱり分からなくなってもいます」


 遠藤はからかう荒谷を見ることなく続ける。


「『容疑者を追い詰めるとき、容疑者の心境を考えるべし』」

「ちゃんと覚えているね」


 本田の教えの一つを口にだした遠藤だったが、その表情は険しくなっていた。

「本田さん、自分はこの考えで、今まで成果を上げられてきました。でも今回ばかりは、空を掴む気分です。やつの……フェイスマンの考えていることが。何が目的で、今どういう気持ちで我々から逃亡しているのか、状況が規格外で何も掴めないんです」


 遠藤の思考は手元にあるコーヒーのように、深く暗いものに囚われていた。本田も荒谷も、苦しむ遠藤にかける言葉が見つからない。遠藤の思考は同じところをループし続けていた。


「フェイスマン、お前は今、何を思い、考えているんだ?」


 ◆


 野菜が高い。


 礼人は仕事帰りに寄ったスーパーマーケットの野菜コーナーで、今日一番の険しい表情を見せていた。異常気象による不作で、野菜がことごとく高い。特にレタスなどの葉物野菜は、ここ数ヶ月全く値が下がらない。礼人は財布の中身を確認する。


 ここ一週間、フェイスマンとして活動できていなかったのには理由がある。

 第一に仕事が忙しいこと。製作所でカフカの足が治るまで使う用に、と作った犬用車いすを製作所のアカウントでSNSに上げたところ、それが『バズった』。好感触を感じたけい子が、低価格の犬用車いすとして、製作所のサイトで受注を開始したところ、注文が殺到。今は受付を停止しているものの、製作所は予想を上回る発注によりフル稼働状態となった。連日残業となり、フェイスマンとして活動する時間が確保できなくなっていた。


 もうひとつは資金不足。フェイスマンとしての活動資金はあくまでも生活に支障をきたさない範囲に限られる。5月に入り、莉桜の修学旅行の代金の積み立てや、市民税や各種支払いが控えている事から、装備の更新が難しくなっていた。今日刑事が聞き取りに製作所に訪れたことから、街での警戒もさらに強くなっていくことが予想される。市警からの逃走する際に使う装備に用意がない今、活動を活発化させることは危険だった。

 幸いにも先月から残業が多かったため、次の給料日にはいくつか材料が調達できるはずだ。

 礼人は財布をしまうと迷わず、レタスとプチトマトを買い物かごに入れる。自身の『贖罪』より、妹に良い食事をさせることが、何よりも優先されるからだ。

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