3章 ヒーロー退治に高評価を
3-1
「お忙しいところ、お時間を作っていただいきありがとうございます」
連休も終わった5月中旬の月曜日の午前。遠藤は片平近くにある町工場『菊真製作所』の事務所内のソファで、応接机を挟んで向かい座る製作所の社長、菊真けい子に頭を下げた。
「正直、めちゃくちゃ忙しいのでお断りしたかったんですけど」
けい子は目の前の若い刑事に、忌憚なく自身の本心をぶつけた。遠藤はなんとか平静を保とうと拳を応接机の陰で握りしめる。
警察の民営化後、特に警察の通報に対する対応が悪くなっている現状では、任意の聞き込みに対し市民が非協力的であることは珍しくなかった。遠藤が菊真製作所に来る前に、既に二か所の町工場への聞き取りを断られている。応じてくれただけ、菊真製作所はまだ協力的と言えよう。
「えー! 事務所でわんちゃん飼ってるんすかぁ! 見たい見たい!」
そんな遠藤の苦労をよそに、荒谷刑事は菊真製作所の若い男性社員に、目を輝かせながら話しかけていた。
「荒谷、失礼だろうが」
遠藤は荒谷を睨みつけ、自身の隣のソファを叩き座るよう促す。荒谷は露骨に不機嫌になる。「あとでお見せしますから」と話しかけていた男性社員に気を使われる始末だ。
「あー、元気がいい刑事さんですね……」
けい子の皮肉が遠藤の胸に突き刺さる。聞き込みに飽きてしまった荒谷は後できつく説教するとして、遠藤は話題を本題に移した。
「本当にすいません……。今日はこれを見ていただきたく、お伺いしました」
遠藤は写真と絵を一枚づつ、ショルダーバッグから取り出し、けい子に見えるように応接机に置いた。
「これは……最近ニュースでみる『フェイスマン』ですか」
二枚の絵と写真はそれぞれ、ここ一ヶ月、仙台の街を騒がせている黒づくめの自警者の姿を映したものだ。
写真のほうは、市でかろうじて生き残っている監視カメラが一瞬だけ捉えた低解像度の映像を、可能な限り拡大し画像にしたものだ。画像が荒く、はっきりとその姿は見ることは難しい。
もう一枚の絵は監視カメラの映像と、相対したときの記憶を元に荒谷が書いたフェイスマンの全身図だった。指の骨折が治ったばかりの荒谷が『ぜひ自分が』と自薦して書いたものだが、実際にその目でフェイスマンを見た遠藤も、よく書けていると思わされた出来だった。遠藤はその絵で描かれたフェイスマンの頭部を指さす。
「菊間さんたちにお伺いしたいのは、この部分についてなんです」
「ニュースで見ましたよ、人の顔を奪う怪物だって」
遠藤は首を横に振る。
「実際にフェイスマンを見ましたが、こいつはモンスターや妖怪の類ではありません」
フェイスマンの『顔』はあくまで『工業製品』だ。彼の身に纏っている衣装も、どれも工場勤務の人間が身に纏うものであることも荒谷は観察していた。
そういった特徴とフェイスマンが仙台でしか活動していないことから、フェイスマンは工業技術を持つ仙台在住の個人、もしくは集団である可能性が高いと遠藤は推察していた。
仮にそうでなかったとしても、町工場はフェイスマンと思しき人物から『顔』の作成を依頼されている可能性が高い。地元の人間で親しい間柄なら、秘密裏にそういった依頼を請け負う可能性はゼロではない。それらに探りを入れるため、遠藤は荒谷を引き連れて朝から仙台市内の町工場への聞き込みを行っていた。
「このヘルメットの表面にある曲面のディスプレイに、何らかの方法で撮影した被害者の顔を表示しているにすぎないと、私たちは考えています。ですので、こういった物を作成できる技術を持った方を――」
けい子は緑茶の入った「世界一の社長」と書かれたマグカップを口元に近づけながら、遠藤の言葉に口をはさむ。
「『加害者の顔』じゃなくてですか?」
けい子の言葉に遠藤は息が詰まる。フェイスマンの活動が報道されるようになった現在、大半の市民は彼を危険人物として見ている。
だがフェイスマンを民営化された警察より役に立つと思う者が、ごく一部の市民や、彼に助けられた者の中にいることも確かだった。今回の聞き込みは令状のない、任意の物だ。『お前たちが気に入らない』と言われて追い出されればそれまでだ。
遠藤はなんとか、この社長の機嫌を取ろうとするが、続ける言葉を見つけることができなかった。
「そんなことはいいんすよ、些細な問題っす。それよりも大事な問題があるんす」
会話の糸口を開いたのは遠藤ではなく、先ほどまでぶーたれていた荒谷の方だった。いつになく真剣な表情で、けい子に相対する。遠藤はその姿に、少し感動を覚えた。指を折られた恨みからとはいえ、彼女なりに事件に向き合っていると思えたからだ。その遠藤の気持ちに応えるように、荒谷は口を開く。
「菊間さん、そこのイケメン社員くん、タイプなんすけど彼女はいますか」
遠藤の気持ちには全く応えられていなかった。遠藤はがっくりと肩を落とし、けい子は口に含んだお茶を噴出した。当の先ほどまで荒谷と話していた男性社員は、資料を片手にきょとんとした顔を見せている。そんな周りの様子は気にも留めず、荒谷は自己アピールをし続ける。
「自分、仙台署勤務刑事、荒谷トネっす! 彼氏募集中で趣味は絵を描くことと、推しのいるバンドのライブを見に行くことっす!」
遠藤は暴走する後輩を黙らせようと、口を塞ごうとした。しかし荒谷も負けじと遠藤を押しのけ抵抗する。二人の滑稽な攻防戦は古いカートゥーンのような有様だった。
「本当に! 本当にすいません!」
「ルックスには結構、自信あるっす!」
「お前、ほんともう、黙れ!」
遠藤はなんとか荒谷の口を、頭を無理やり押さえつけてなんとか手で塞ぐ。これで、ここも帰らされるだろうな、と諦観の念を抱きながら。
だが、けい子はその様子を逆に気に入ったようで、先ほどまで遠藤に見せていたような皮肉は、彼女の顔から消えていた。
「あっはっはっは! 刑事さんたち面白いですね!」
けい子は膝を叩いてひとしきり笑ったあと続ける。
「いやぁ、この子は私の甥なんですよ。身内を褒められちゃ邪険に扱えませんね。こちらこそすいません、最近忙しくて余裕がなくなってまして」
荒谷が意図してこうした行動をしたのか、偶然かは分からないが、けい子の態度が軟化したことに、遠藤はひとまずほっと息をつき、荒谷を拘束していた手を離す。荒谷が自分のおかげでしょう、とこちらを見てニヤニヤしてくるのは無視して話を再開する。
「ご協力ありがとうございます。単刀直入に聞きます。こういった機構のヘルメットを、こちらの工場で作れますか? さらに踏み込んで聞くなら、こういったヘルメットの部品になるような特殊なパーツの受注を受けたことはありますか?」
遠藤の率直な質問に、けい子は少し唸った後に慎重に言葉を選ぶようにして答える。
「そうですね、一つ目の質問に関しては、うちの作業員たちであれば作れます。正確に言うなら、うちの作業員『でも』と言ったところですが」
けい子は自身のスマートフォンを取り出し、ある検索結果を遠藤たちに見せる。『液晶 個人 製作』という検索ワードで六万件以上の検索結果が表示されている。
「すごい数ですね」
遠藤はその数に素直に驚かされる。
「動画とかで勉強できる時代ですからね。3Dプリンターの普及もあって機械工作の間口はかなり広くなりましたよ」
菊間社長の言葉には重い実感がこもっていた。
「遠藤さんが仰った程度の機能の代物なら、今はちょっとした知識があれば、ネットで部品を発注して個人で製作できると思います。礼人でもできるよね」
けい子は、先ほどまで荒谷に絡まれていた男性社員に呼び掛ける。けい子の隣に控えていた、礼人と呼ばれたその社員も頷いて答えた。
「必要な材料があれば俺も、荘田さんや門馬さんも組み立てられると思います。職場の前を通る大学の学生さんでも多分作れますよ」
それを聞いてけい子は満足そうに頷く。
「こんな感じです。作成の可否でフェイスマンの正体を絞り込むのは厳しいと思いますよ」
「そうですか……部品の発注はどうでしょうか」
遠藤は気を取り直して二つ目の質問の答えを促すが、これにはけい子は首を横に振って答えた。
「該当しそうな部品の発注は、私が知る限りではないですね」
けい子の言葉を引き継ぐように、礼人が資料を見ながら答える。
「詳しいクライアント様の情報は守秘義務に抵触するので、公式な開示請求がなければお伝え出来ませんが、ここ最近で該当するような発注はありません。企業からいただいた大口の案件と、個人の方からの3.6インチのシリンダーの大量発注、あと最近は犬用車いすの発注があり、これで業務が圧迫されてます」
けい子はうんざりとした表情を見せ、遠藤への質問を締めくくる。
「というわけです。うちではご当地ヒーローのコスチュームを作ってあげられる余裕は、今ないんです」
遠藤は聞き取った内容をメモに書き留め、頭を下げる。同時に遠藤はぼーっと礼人のことを見ている荒谷の頭を再度掴んで、頭を下げさせた。令状のない聞き込みであればここまで聞ければ上等だ。
「不躾な質問に対して、ご協力本当にありがとうございます」
けい子はいえいえ、と手を振った後、思いついたように遠藤に言った。
「刑事さん。もしこのフェイスマンに会ったら伝えてほしいことがあるんです」
遠藤の顔が若干曇る。フェイスマンに助けられた者たちは、大抵「フェイスマン」にお礼を、と言ってくる。
フェイスマンは助けた被害者たちから謝礼を受け取らず、すぐに現場を去る。後で駆け付けた自分たちは、彼のマネージャーか何かのようにそう言った言葉を言われるのだ。けい子はフェイスマンに助けられた市民ではなかったが、市民からそういった言葉を浴びせられるのは、遠藤としては忸怩たる思いがあった。
「なんでしょう」
遠藤が平静を装いながら、言葉を口からひねり出すと、けい子はその思いとは裏腹に、からっとした笑顔で遠藤に伝えた。
「うちは今忙しいから、うちに発注しないでねって、言っといてください」
◆
遠藤たちが帰ったあと、けい子はソファの背もたれに体を預け、天を仰いだ。
「あぁぁ、疲れた。猪野江ちゃーん、カフカ―、もう出てきていいよー」
けい子の呼びかけに、事務員の猪野江と、彼女に抱えられた子犬が事務所の奥のスペースから出てくる。礼人が助け、事務所で飼われることになった子犬は、元の飼い主も見つからず、猪野江によりカフカと命名されて、事務所で可愛がられていた。
「社長、私あの人たち嫌いです。特に荒谷って人、失礼すぎます」
猪野江はカフカを抱きしめたまま、眼鏡の奥から不満そうな視線をのぞかせる。カフカからフェイスマンに繋がる可能性がないとは言い切れなかったため、礼人は猪野江にカフカが邪魔をしないようにと、一緒に事務所の奥にいるようにお願いをしていた。
礼人の事情は勿論知らなかったが、猪野江は現在の仙台市警を快くは思っていなかったため、快く引き受けてくれた。そして荒谷刑事の見せた破天荒なふるまいは、より一層、猪野江の中の市警への不信感を高めたようだった。
「まぁまぁ、猪野江ちゃん。あの人たちも仕事だから。うちじゃないのは分かってるけど、聞いとかなきゃなのよ」
けい子がなだめるが、猪野江はまだ不満そうだ。その不機嫌を察知したのか、カフカが顔を上げて猪野江の顔を舐める。
「カフカ、くすぐったい……それに、蛮徒くんが拒否しないことを言いことに、言いたい放題……」
猪野江がぼそぼそといった不満に、けい子はにやっと笑って閃く。
「あ、猪野江ちゃん。礼人が刑事さんに盗られそうだから、やきもち焼いてるんだ」
けい子の言葉に猪野江は熱した鉄のように顔を真っ赤にした。
「なななな! ちちちち違います! ただ警察官としてあるまじき態度じゃないかって!」
「ヒュー! 礼人ぉ! モテモテじゃんかぁ! 叔母さん嬉しいぞぉ」
礼人は囃し立てるけい子に、自分が持っていた資料を押し付ける。
「叔母さん、セクハラですよ。じゃあ俺、作業途中だったんで、戻ります」
「おーん! ありがとね、正直一人じゃ不安だから助かったわ」
礼人はけい子の感謝に無言で頷き、荘田と門馬がいる作業場に戻る。背後からは「礼人くん! 違いますからね! いや、嫌いというわけじゃないですからね!」という猪野江の声とカフカの吠え声が聞こえた。
けい子から警察が聞き込みに来ると聞いたとき、内心礼人は焦りを覚えた。しかも事務所に来たのが先日、西公園で相まみえた刑事二人だったため、遂に正体を突き止められたのだと覚悟を決めたが、ひとまず杞憂に終わった。
だが突き止められるのは時間の問題だろう。気を付けて活動していたつもりだったが、監視カメラに姿を現してしまっていたし、最近は自分の姿をとらえた、視聴者投稿の動画をニュースで見ることもあった。
自分の『贖罪』が明るみに出たとき、自分の後ろにいる優しい人たちはどんな顔を自分に向けるのだろう。そして自分はいつまで『贖罪』を続けられうのだろう。礼人は作業場に向かう通路の途中、一瞬だけ振り返り、言い合いをする叔母と猪野江を見て、またすぐ歩き出した。
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