1-2


 礼人は火の元、戸締りを確認しアパートを出ると、原付にまたがり、毎日の通勤路を安全運転で進む。

 礼人の職場は片平の近くにある。仙台市中心部の商店街アーケードの終端から少し進んだその地区は、個性的な顔をも持つ場所だった。東北大学のお膝元というだけあり、付近には学生向けのアパートや飲み屋が連なる。だが、合間には個性的な洋服店や美容室が立ち並び、その道路の向かいに宗教法人の施設があるかと思えば、昔から続く自転車店や町工場があったりする。

 礼人の職場はまさに、その町工場『菊真製作所』であった。

 各種金属部品の企業向けの受注と、個人向けにも金属部品や3Dプリンターによる出力品を個別納品する、小さいが実績ある町工場だ。


 ◆


 出勤した礼人が製作所の事務所に入ると、礼人より年上の男性社員の荘田そうだが困り果てた顔をしていた。


「荘田さん、どうしたんですか」

「お、礼人。お前犬は得意か?」


 荘田は痩せ気味の腕を組み、眉をハの字に曲げている。


「苦手ではないですけど……犬がどうしたんですか?」


 製作所のもう一人の大柄な男性社員、門馬もんまが事務所内のデスクとデスクの間に置かれた段ボール箱を覗き、これまた困惑の表情を浮かべている。

 礼人も段ボールを覗き込むと、その中には白と茶の毛の、たれ耳の小さな生き物がいた。ひどく怯えている子犬だ。


「犬ですね。しかも子犬」

「そうなんだよ蛮徒くん。今朝の確認作業中、倉庫の前にこの子がいてね」


 穏やかな口調ではあるが、門馬は疑問を言葉の端から隠しきれない。何故、町工場なんかに犬を捨てていくのか。ほとほと理解に苦しんでいたし、それは荘田も、そして『表面上は』礼人も同じだった。


「紳士諸君、どうしたどうした。大の男三人が、そんな情けない顔して」


 事務所の奥から女性が一人、製作所の社員たちの方へ歩み寄る。その手には淹れたばかりのコーヒーが入った『世界一の社長』と書かれたマグカップが握られている。


「叔母さん、それ今の時代セクハラですよ」

「おー? 礼人社員はコンプラ意識高くて、叔母さん嬉しいぞー」


 目の前の小さな命にたじろいでいる男性社員たちを尻目に、菊真製作所の所長、そして礼人の叔母である菊真きくま けい子はなんの問題もないと言わんばかりの態度だ。

 バツイチのけい子は、自身の息子と両親を亡くした蛮徒兄妹を育てながら、先代から受け継いだ町工場をずっと引っ張ってきた。ガッツで体が構成されているような女性だった。礼人の見立てでは、ライオンが事務所に捨てられていても、態度は変わらないように思われた。


「その子、ケガしてるんじゃない」


 けい子の指摘に、荘田は恐る恐る子犬に顔を近づけ様子を見る。


「あっ、確かにそうっすね。後ろ脚、めっちゃ腫れてますね」


 それだけではない。心無い連中に蹴られたあざが、丸まって隠れているお腹にある。捨てられたのか、元々野良で親犬から離れ離れになってしまったのか。理由は分からないがそうして一匹でいるところを、あの罪深き奴らに見つかって『おもちゃ』にされたのだ。

 だがそれを知っているのは、この4人の中では礼人だけだった。そしてその事を、製作所の仲間たちに言うつもりもなかった。


「よし、この子はひとまずうちに『仮就職』してもらおう」


 けい子のその言葉は、この哀れな子犬を飼うという宣言だ。


「いいんですか、よかったぁ。流石に保健所もってけと言われるかと思いましたよ」


 荘田が安心したように肩の力を抜いた。


「うちに来たのも何かの縁かもだしね」


 けい子は楽し気に笑みを浮かべ、箱の中の『新入社員』を見下ろした。


「犬用製品の発注を受けたときに、活躍してくれるかもしれませんしね」


 門馬もけい子の判断を支持するように頷く。


「無論、工作機械に近づかないようみっちりしつけるから、みんなも協力してね」


 早速、情が芽生えかけてた荘田と門馬の安堵の声に、けい子はく釘を刺す。人情家だが締めるところは締める。そんな気概があるけい子を、礼人を含め、社員たちは好いていた。


「じゃあ朝礼後、礼人はこの子を動物病院に。礼人の分の仕事は私と荘田くんと門馬さんで分担。今日は忙しくなるけど安全第一、ご安全にいこう!」

「ご安全に」

「うぃっす」

「了解しました。では連れて行きます」


 仕事が増えたが、新しい『社員』の存在で皆の士気は上がっていた。

 朝礼後に皆がそれぞれの仕事に向かったあと、礼人は段ボールを抱え、箱の中の怯えた犬に静かに呼びかけた。

「言っただろ、ここの人たちは優しいって」



 ◆



「いやぁ、あいつらマジモンのクズでしたよ」


 午後12時になるかというところ。被害者たちの入院先から、市区役所が立ち並ぶ勾当台公園付近に居を構える、仙台市警察署に戻ってきた荒谷は、開口一番『とくべつ課』のフロア内全体に響き渡るように被害者たちを罵った。

 仙台市内の警察の民営化後、各部署の再編成や階級の整理が市警内で行われた。

 既存の階級や課はナワバリ意識を強めるという見解から、企業コンサルタントからの提案により、刑事たちは最高SからDまでのアルファベットでランク付けされ、課の名前も『市民に親しみやすいよう』な名前に変えられた。


『あぶないグループぼくめつ課』

『どろぼうげきたい課』

『さぎたいじ課』


 といった具合だ。

 遠藤たちが所属している、凶悪犯罪に対する課も例に漏れず『とくべつ課』などと間抜けなひらがな表記にされている。その名に引きずられているのか、捜査の情報を大声で話す、危機意識の低い荒谷を注意する刑事はいない。部下の指導で給与算定評価が上がらないのも一因だ。

 唯一、その報告を受けている遠藤だけが眉を顰めた。


「ボリューム落として話せんのか、お前は」

「でもこれ聞いたら、パイセンもそう思うっすよ。でかい声も出したくなりますって」


 後輩の指導に頭を悩ませる遠藤を尻目に、荒谷は被害者たちの内の一人から引きだした証言を語った。



 彼らが普段からつるんでいる学生グループで、その日も仲間4人で深夜まで市内一の歓楽街、国分町まで飲みに出ていたところまでは間違っていなかった。

 だが、4人の内の一人が、朝の時点では隠していたことを証言した。

 彼らは帰り道の河川敷付近で犬の鳴き声が聞こえ、あたりを見渡した。すると、段ボールに入った子犬を現場となった河川敷で四人は見つけたそうだ。

 彼らの中の一人が昨晩は彼女と別れたストレスから、かなりの量の酒を飲んでいた。普段からそのようなことをするわけではないが、そいつはストレス発散にと、戯れにその子犬を掴んで地面に投げつけた。子犬は逃げようとしたが、投げられたときに足を折り、満足に立てなかったそうだ。証言した学生は後悔の弁を述べていたが、その時は他の三人もその様子が滑稽で大笑いし、投げつけた一人をはやし立てたそうだ。


 その時だった。子犬に暴力を振るった学生の背後に突然、黒づくめの『何か』が音もなく現れた。


 そいつは黒装束に身を包み、のぞき穴がないヘルメットのようなものを被っていた。目鼻のない顔は、学生たちに妖怪のっぺらぼうを連想させる。

 背後に立たれた学生は、驚いた様子の仲間を見て、振り返る。

 だが彼は驚きも、怖がりもしなかった。子犬にそうしたように、目の前を自身のストレスのはけ口にしようと、がなり立てる。


 おい、なんだよ、だせぇコスプレ野郎

 聞こえてんのか、見てんじゃねぇよ

 やんのかこ――


 学生は相手を威圧するための言葉を繰り返したが、途中で遮られた。

 黒づくめのそれは、目にも止まらぬ速さで、いや、動いたということさえ感じさせない速度で学生の左腕を掴み、その掴んだ左腕を『本来では曲がらない方向に曲げた』のだった。

 骨折の痛みを遅れて感じた学生は、一拍の間を置き絶叫する。しかし黒装束のそれは止まらなかった。素早く学生の膝を『蹴り折り』、倒れた学生の顔をまるでサッカーボールでも蹴るように蹴り飛ばした。

 泡を吹いて倒れる仲間を見て、他の二人が助けるべく走り出す。だが怪人は慌てる様子をみせずに、懐から伸縮式の警棒を取り出すと、素早く向かってきた二人の内一人の頭蓋を砕き、もう一人の攻撃を無言で左腕で受け止め、逆にその飛んできたパンチを繰り出した腕を掴むと地面に引き倒し、容赦なく相手のうめき声が聞こえなくなるまで警棒で乱打した。

 最後に残った一人は、怯えて腰を抜かした。逃げようと試みたが、抵抗むなしく歯の大部分を失うまで殴られ続けたそうだ。恐ろしいことに、その時の怪人の顔は、最後に殴られた学生と同じ顔になっていた。

 その後、黒装束の怪人、のっぺらぼうはケガをした犬を抱えて、4人の前から姿を消した。



 襲われた彼らは純粋な『被害者』ではない。それが荒谷のもたらした新情報だった。


「つまり、その黒づくめの浦島太郎は、犬をいじめていただけで4人にトラウマが残るくらいの暴行を加えたと」

「パイセン! 今の発言はナシっすよ! 犬をいじめたり殺したりした奴はハリウッド映画なら確実に殺されてますよ! いじめたただけなんて宣うのはモラハラっすよ、モラハラ!」

「お前みたいな倫理観めちゃくちゃな警官に、モラルを語られても困る」


 ぷりぷりと怒る荒谷を軽く流して、遠藤は聞いた内容をまとめたメモに目を落とす。


「だが、ひとつだけ同意できる点がある」

「映画で犬が死んだら、殺したやつも死ぬべきってとこすか」

「まぁ、映画の趣味としては否定しないが。でも近い。同意したかったのは『確実に殺されてる』ってとこだ」


 遠藤の真意が理解できずに、荒谷は首をかしげる。


「荒谷、お前は何かにカっとなって、暴力を誰かに振るってしまったら手加減できるか?」

「いや、無理っすね」


 荒谷の答えに迷いは一切ない。それに関しては問題ではあるが、ここでは遠藤は指摘しない。人間の心理としては、決して間違いではないからだ。


「そうだ。もし感情的になった人間ならそうするだろう。でもそいつは多数を相手どれる実力があるのに、全員を『破滅的にボコボコにはするが命はとらない』くらいまで殴りとばした。義憤に駆られたやつなら、そんなギリギリのことをやる余裕はないはずだ」

「つまりこの、のっぺらぼうな容疑者どのは『暴力のプロだけど、我を見失うことなく冷静で、罪なきわんこを助ける正義感のあるコスプレ野郎』ってことすか」

「犬を助けたのは偶然で、悪意にあふれたやつかもしれんがな」


 しかし武器も携帯しており、そんな凝った衣装を着ていたことを考えると、衝動的な犯行には思えない。恐らく以前から行動を入念に計画しており、監視カメラに映らない逃走ルートなども把握したうえで標的を探し、今回実行に移したのだろう。


「計画性がある。しかも今回は成功した。味を占めたそいつは二回目もやるはずだ」

「あ、なんか嫌な予感してきたんで帰るっすね」


 その場から離れようとする荒谷の上着を、遠藤は素早く掴んで逃がさない。


「しばらくは残業だ。付き合ってもらうぞ」

「ああ! やだぁぁぁ! 残業いやぁぁ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る