1章 地獄と天国の街

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 この街は、仙台は地獄だ。


 クラスC刑事の遠藤は事件現場を撮影、確認する鑑識官たちの中、早朝の広瀬川河川敷で、自分の住む街を口に出さずなじった。

 署への、正確には『社』への通報があったのは午前4時。新聞配達員が大手町大橋付近で配達を行っていたところ、助けを求める声が聞こえた。配達員があたりを確認したところ、広瀬川河川敷に倒れている4人の人影を発見。ナビダイヤル110番へ通報した。通報管制コールセンターのオペレーターの怠慢により実働する課への報告が遅れ、さらに人員不足により実働署員の編成が遅れ、現場へ遠藤たち『とくべつ課』刑事の正社員と、鑑識課の派遣社員たちが到着したのは、午前6時を回ってからだった。

 4人の被害者は全員、仙台市内の大学に通う男子大学生であり、全員が重症を負っていた。頭蓋骨の骨折、関節部の破壊、骨が皮膚を突き破りそうになるほどの骨折。顔面がぐちゃぐちゃになって鼻が真っ平になり、歯がほとんど折られた者もいた。奇跡的に全員、命に別状はなかったが、あまりにも惨澹とした状況だ。被害者の状態は、いっそ死んでいたほうが楽だったかもしれないという有様だった。


 東北六県でも最大の都市、宮城県仙台市が10年前に税収の悪化と財政健全化のために電気、水道、ガスの次に民営化したのが、治安維持を司る市警察だった。

 民間による徹底したコスト管理と、公営ではできないきめ細やかな治安維持が行える、と民営化に際して県知事と市長は当時市民に説明し理解を求めた。結果としてはコストカットによる人員の大幅削減と、優れたノウハウを持つ刑事、警察官たちの喪失。そして「お上の仕事だから多少楽をしてもすぐにクビになることはない」と考える、低水準の警察官の跋扈だった。

 初期こそ犯罪組織の徹底掃滅で評価を得たが、首輪の無くなった犯罪者たちによる凶悪事件が多発するようになり、治安は10年で民営化前に比べ大幅に悪化した。


(それにしたって、ここまで酷いのは久しぶりだが……)


 4月とはいえ、仙台の朝はまだ冷える。遠藤はスーツの上に着こんだジャンパーの中で体を震わせながら、鑑識官たちの合間の縫うように現場となった河川敷を見て回った。

 遠藤は思案する。確かに治安は悪化しているが、見せしめのような暴行や事件は、犯罪組織が掃滅されてからは久しくなかった。それゆえ、ここまで痛めつけられ、取り返しのつかないケガを集団でいた男子大学生たちが負わされたという状況は、今の仙台では異常な事件と言えた。


「遠藤パイセぇン。被害者への聞き取り一応やってきたっす」


 遠藤が重い自身の思考にとらわれているのもつゆ知らず、遠藤の後輩刑事、クラスD刑事の荒谷あらや トネが、軽いノリで自身の仕事を報告すべく、被害者が治療を受けている救急車から遠藤のもとへ戻ってきた。

 年齢20台前半、身長150センチ代前半、銀髪のショートカットに赤いインナーヘアーという出で立ちの荒谷は、被害者に寄り添う刑事というよりはアニメのキャラクターか、これから推しのバンドのライブにでも行く少女に見える。パンツスーツ姿により、かろうじて荒谷が仕事中の人間だと判別できた。身長170センチ台後半でSCPD(仙台市警)と背に書かれたジャンパーを着こむ遠藤と並ぶと、異質さが更に際立つ。


「で、なんだって」


 遠藤は自分の手帳を取り出し、彼女の聴取内容を漏らさず残そうとするが、対する荒谷の手には手帳どころか市警から貸与されている端末すらない。ろくにメモをとってないのだ。


「パイセンが聞いたのと変わんないっすわ。自分の顔したのっぺらぼうに襲われたって」


 メモは取るように後で指導、と遠藤は自身の手帳に記載し閉じる。


「……今時ドラッグを手に入れるのも大変だろうに」


 遠藤はいら立ちを隠せず髪をかきむしった。現場にいち早く到着した遠藤は、後から現場に到着した荒谷に先んじて簡単な聴取を被害者たちに行ったが、その内容は荒唐無稽なものだった。



 午前1時、飲みの帰りにグループの内の一人の家に向かうことになった。

 その道すがら、突然襲われた。

 それは顔のないのっぺらぼうだった。

 それは全員に暴行を加えた。

 そして、最後にはのっぺらぼうの顔が、殴った相手と同じ顔に代わっていた。


 4人の被害者は概ね同じ状況を証言した。あまりにも子供じみた証言に、遠藤は酒の飲み過ぎか、ドラッグによる幻覚で学生たちが正確に証言できていない可能性があると考えた。しかし、アルコールによる酩酊やドラッグによる幻覚でそこまで共通化されたイメージができるのだろうか、と遠藤はひっかかりを感じた。

 そのため、早朝出勤を嫌がる後輩を叩き起こし、再度聴取を行った。時間が多少立った事と、相手が変わったことで、新たな証言が引き出せればよかったが、結果は変わらずだった。


「まぁ連中、パイセンにも私にも言ってないことあるっぽいんで、入院先決まったらもっかい聞きに行きますけど」

「頼む。同行はするから」

「いや、いいっすよ。てかこれ、早出代でますよね。めっちゃ眠いんすけど」


 遠藤を見上げながら、大きなあくびをする荒谷は、手ごたえのない仕事への嫌気をまるで隠していなかった。


「刑事らしくない……いや、お前はまだマシなほうか」

 少なくとも荒谷は現場に来た。遠藤は他の刑事にも応援を依頼したが、直々に面倒を見ている荒谷以外は要請に応じなかった。文句を言いながらも来た荒谷は、文字通りマシなのだ。その荒谷も被害者への聴取を一人で行うと言ったのは、先輩の目を逃れて聴取後に街でサボるためなので、不真面目であることには変わりないのだが。


 荒谷のような不真面目な警官がデフォルトで、遠藤のような実直な刑事が今の仙台ではイレギュラーなのだ。


「わぁ。じゃあ褒めたついでに、マシな後輩連れてこれから飲みにいくとかどうっすか?」

「アホ、朝から飲む刑事があるか。今日も定時までみっちり働くぞ」

「うぇぇ、他の課の人たち朝から飲んでましたよぉ!」

「うちはうち、よそはよそ」


 文句をつける後輩を引き連れ、後の調査を鑑識官たちに任せ遠藤は現場を後にする。

 その遠藤たちと広瀬川を、高く昇り始めた朝日が美しく照らしはじめる。その美しさと裏腹に、遠藤はどす黒い言葉を、荒谷に聞こえないようにつぶやいた。


「この街は、地獄だ」


 ◆


 この街は、仙台は天国だ。


 差し込む朝日と、妹が作ったであろう朝食の香りで、蛮徒ばんと 礼人れいとは目を覚まし、その柔らかな朝を感じてそう思った。

「痛っ」

 布団から起き上がろうとした礼人は思わず声を上げる。昨晩、『4人』の内のひとりから良いパンチを受けたようで、ガードした左腕を少し痛めたようだ。


(力を強くいれなければ問題ない……はず)


 今度はゆっくり起き上がり、ダイニングに向かう。2LDKの小さなアパートのため、自室からドアを挟みすぐだ。


「おはようございます、お兄ちゃん。朝ごはん出来てますよ!」


 仙台市内の公立高校の制服と、エプロンを身に着けた少女が、華やかな笑顔を礼人に向ける


「おはよう、ごめん起きられなかった」

「よいのです、よいのです。製作所の人たちに付き合わされてたんでしょう。毎日疲れてるでしょうし、お気になさらず!」


 今年、高校2年生になった礼人の妹、蛮徒 莉桜りおは、寝坊した兄と朝食当番を代わったことを気にせず、にっこりと笑いかけ、礼人を気遣う。

 母親からの遺伝で莉桜は色素が薄い。天然の茶髪が朝日を浴びてきらきらと輝いて見える。ワンサイドアップにしたそれは、莉桜が動くたびに、可憐に揺れる。

 妹はいい子に育った。礼人は心からそう思った。

 礼人と莉桜は10年前に両親と死別していた。礼人が工業高校を卒業するまで母方の叔母の家で世話になり、卒業後に就職と同時に礼人と莉桜は叔母の家を出て、北四番町駅近くのアパートで二人暮らしをし始めた。

 若者二人の初めての自活のため、莉桜には苦労をかけることも多いが、彼女は文句ひとつ言わず生活に協力してくれる。これは自分というより、妹の性格と、今は亡き両親と、良くしてくれた叔母の影響であるから礼人は頭が上がらない。


 自分のような『罪人』からすればもったいない、本当にできた妹だと礼人は思わずにはいられなかった。


「さぁさぁ、妹の作った朝食を食らうとよいですよ、お兄ちゃん」


 自信満々に手を広げ自身の朝の成果を莉桜は兄に披露する。


「目玉焼きとベーコンが炭化してなくて安心した」

「去年の話じゃないですかぁ! 」

「冗談、ばっちりじゃないか。いただきます」


 莉桜のもー、という抗議を受けながらも食パンにかじりつき、片手でテレビのリモコンを操作する。朝の地方のニュースは過激な様子のニュースを遠慮なく伝えてきた。


『昨夜未明、西公園付近の広瀬川河川敷で男子大学生4人が何者かに襲われました。現場付近の監視カメラからは情報が得られず、警察では犯人の身元に関する情報提供を……』


 昨日の『贖罪』はひとまず成功と言えた。監視カメラは市の財政不足によりダミーに置き換えられたものや、正常に動作していないものが多い。本格的な活動の前に入念に調査を重ねたので、尻尾を掴まれてはいないことを礼人は確信していた。


(ただアジトに近すぎた。状況としては仕方なかったとはいえ、次は気を付けないと)


 あの罪深い若者たちを襲った場所は、礼人のアジトから500メートルも離れていない。警察が本気を出せば容易に『スーツ』と『道具』を見つけられてしまう。今後はアジト付近での『贖罪』は慎重になるべきだと再認識した。


「民営化したのに、全然治安よくなりませんね」


 礼人の思考をせき止めるように、莉桜は落ち込んだ声でぽつりと呟いた。食パンの上にベーコンと目玉焼きを乗せ、まるでアニメのように楽しく食べようとしていた妹の目は、今やニュース映像に悲しそうに向けられていた。


「そうすぐには、よくならないよ」

「それは……そうですが……」


 莉桜はテレビのニュースから、今度は冷蔵庫に張られた家族写真に視線を注ぐ。莉桜の7歳の誕生日に撮ったパーティの写真。両親が生きているときに撮った写真に。

 両親は結婚記念日に殺された。その日は久しぶりに両親が二人きりで街へ出かけ、母の好きな俳優の出演している映画を見た日だった。礼人たちを預けた叔母の家に向かう途中、路上で強盗に襲われ、二人とも命を落とした。

 当時は市警察の仕事のキャパシティが限界にあり、仙台市、特に仙台駅前から一番町をまたぎ、国分町に至る範囲では治安が著しく悪化していた。その後、事態を重く見た宮城県と仙台市は、警察組織の円滑な運営と、犯罪の取り締まり強化のため仙台市内の警察業務の民営化に踏み切ったが、治安は一向によくなっていなかった。

 莉桜は両親が死んだときから10年たってなお変わらない街の状況に、隠しきれない悲しみを抱いている。


「ほら、目玉焼き落ちそうだぞ」

「うぇ? あわわ、危ない危ない」


 傾きかけてた食パンを慌てて持ち直し、莉桜は急いで食べ直す。

 礼人の心は罪悪感で締め付けられた。自分の『贖罪』は完全に自分のために行っていることだ。正義感などはなく、警察の代わりになるとも思っていない。

 しかし結果、妹を悲しませている。両親の死を思い出させてしまっている。兄としては最悪の部類に入るだろう。

 それでも恐らく、自分は『贖罪』をやめられない。そうでないとこの街には、妹のそばにはいられないからだ。

 自分の中のどす黒い言葉を、ベーコンと目玉焼きで飲み込み、腹に押し込む。


(こんな天国のような場所に、俺はふさわしくない)


 ◆


 朝食後、先に家を出た莉桜を見送った礼人は、朝食に使った皿を片づけると、自分の身支度を始めた。仕事着の薄緑色の作業着に着替え、洗顔と寝癖を直すため洗面台の前に立つ。目の前の鏡には青年の顔が鏡に映る。


 礼人はこの時間が一番嫌いだった。


 妹とは違う、濃いぼさぼさの黒髪。つい先日20歳になったというのに、どこか幼さの残る顔。そして生気のない黒い目。罪を犯した罪人の顔だ。

 妹は『かっこいいです』と褒めてくれるが、礼人は自分の顔が大嫌いだった。見る度に吐き気を催しそうになる程の嫌悪感を覚える。妹が使わなければ、この洗面台の鏡を叩き割ってしまいたいくらいだった。

 礼人はせめてもの抵抗として、なるべく鏡を見ないように身支度を進めた。

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