第16話 梅
開け放った掃き出し窓の向こう側。宵闇に紛れて、ことん、と小さな音がひとつした。
最初、ケモノでも出たかと身を固くした。少ししてから気が付いた。
梅だ。梅が落ちた音。
梅はいい。
私のようにろくに手入れもしないできない植物を育てるのに全く不向きな人間の元でも、病気らしい病気にもならず、毎年きれいな花を咲かせた上に、使える実までなる。
我が家の梅は白梅。ホームセンターで買った安くて小さい苗木が、いつの間にかずいぶん大きく育った。おかげで今では何瓶か梅酒を作れるくらいの実が取れている。
作ると言ってもわざわざ木から実をもいだりはしない。落ちてきたのを毎日のように拾っては洗って拭いて、氷砂糖とホワイトリカーを入れた広口瓶に足し入れていく超アバウトスタイル。そんな雑な方法でも作れるのが梅酒のいい所だ(だから私でも作れるとも言う)。
以前、住んでいた集合住宅の敷地にはたくさんの梅が植えられていた。その割に落ちた梅を拾うひとはほとんどいなかった。
子どもたちが小さかった頃、遊びがてら梅を拾っていたら、近くを通りかかった年配の方が梅ジュースの作り方を教えてくれた。早速、教わった通りに作ってみると、これが子どもたちに大好評。もちろん大人が飲んでも美味しい。
それからの何年間か、子どもたちと拾っては彼らが寝た後、夜なべ仕事みたいにして梅ジュースを作っていた。完熟の梅で作ると出来上がりが早くて、自分たちが拾ったものが短期間で飲めるようになっていくのも子どもたちにとっては面白かったみたいだ。
とは言え、無理してまで拾って作る必要はない。なのに拾った分だけ飲めるとなると採集? 本能が刺激されてしまうらしい。それに私たちが拾わないと、大半の梅はその場でただ腐っていくだけ。そう思うともったいなくて、何となく不憫でもあって、拾うことが半ば義務みたいになっていく。拾えば貧乏性の悪いクセで、使わざるを得ない。もはやお遊びというよりは真剣勝負? の梅拾い&梅ジュース作り。
結果、入れる物が足りなくなってしまった。たまたま実家と義母の家それぞれに使っていない広口瓶がかなりの数あって、それを譲ってもらうことになった。
譲り受けた瓶はどれも、当時にして既に年季が入っていた。ものの本によると、梅酒などを作る時には使う前に容器の熱湯消毒を、とあった。梅酒はともかく、アルコールを使わない梅ジュースにはたしかにその方がいいだろうと思った。特に梅雨の季節、子どもが飲むものだからなおさらだ。
消毒の為、静かにゆっくり瓶にお湯を注ぐ。と、突然、ぱきん、と高い音。見ると瓶に大きなヒビが──。そんなことが何度かあった。底が抜けるようにぐるりと一周ヒビが入ったこともあった。古くなるとどうやらガラスも脆くなるらしいとそれで初めて知った。
それからは熱湯消毒は止めた。梅ジュースには容量が小さい新しい瓶を使うようにし、古い広口瓶は梅酒用にした。無事、出来上がった梅ジュースは、どれもあっという間に子どもたちに飲み干されていった。
子どもたち、と言うには若干の違和感が感じられるような年になった今も、意外や彼らに梅ジュースは人気だ。だが、私としては梅酒の方が作るのに気楽で、だから今年も梅酒のためにまずは広口瓶をひとつ、丁寧に洗った。洗って、キッチンの脇に逆さにして置いておく。ある程度乾いたら、口を上にして置き直す。
しばらくして、聞き慣れない音がした。梅が落ちた音ではない。家の中、それもごく近くからの音。
何だろう。ぐるりと見回して考えたが、見当たるものも思いつくものもなかった。まあそういうこともあるさと、家事に戻る。
翌日。梅酒を作るため、自然乾燥させていた広口瓶に手を伸ばすと。
瓶が割れていた。
下の方に入った長くて細い亀裂を前にして、やっと思い当たった。
昨夜の音。音の理由。
熱湯消毒をした訳ではない。ただ洗って置いておいただけ。だが、古いガラスは、そんなことにも耐えられなかったのだろう。丁寧に洗った直後だけに、広口瓶はそれほど古びた風もなくすっきりとして見えた。
梅酒は一日遅れで作った。もちろんこちらも古い広口瓶だ。今度は割れなかった。割れた広口瓶は厚手のビニール袋に入れて「ワレモノ」と赤いマジックで書いた紙を貼り、ゴミの日に出した。
そぼ降る雨の中、今日も私は庭に落ちた梅を拾っては、広口瓶の中にぽとん、ぽとんと落としている。
*
草の陰などに隠れていて落っこちているのに気付かずしばらく放置されていた梅は、まず間違いなく穴が開いています。あれ、だれが食べてるんだろうと思っていたら、どうやらナメクジみたい。たまにダンゴムシが入っていることもあります。
ナメクジってばい菌だらけらしいです。同じくカタツムリも。だから触ったらよーく手を洗わなきゃいけないのだそうです。ってことは、拾った梅もかなりしっかり洗った方がいいってことですかね?(割と? テキトーで使っている気がする)
ナメクジ、たまに玄関先で見かけるようになりました。多分、庭にはもっといるはず。ビールやコーラが好きで、夜、ペットボトルみたいな容器にちょびっと入れて置いておくとほいほい取れるらしいですが、あいつらに飲ませるだなんてもったいない。ってことは、私はナメクジの仲間か? と思うと途端にどんよりしてきます。
最近たまに梅酒を飲みます。梅を囓ってるのがナメクジだとすると、このチョイスでもやっぱりナメクジの仲間になってしまいそうで、何だかビミョーに腹が立ってきたので、週末にでも駆除剤の「ナメトール」買いに行こうかなと思っている所です。
梅雨ですね。
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